金銭感覚の異常性・47 | 足尾鉱毒事件自由討論会

金銭感覚の異常性・47

明治45年7月に明治天皇が崩御されていますから、8月から大正時代に変わります。大正元年に入ってからの正造の日記を見てみましょう。


次々と他人の家を回って食事をいただき、泊めてもらっている様子が分かりますが、何の用事でその家に行ったのかについては、何も書いてありません。


8月22日、(古河の旅館)田中屋より人力車で新郷村に入り、山中栄吉、小倉佐市、小野善助氏を訪れて新久田の並木氏を訪問。不在。渡良瀬川を   西に越えて河辺村稲村広吉氏方に入り昼飯を乞う。車夫と二人分。

 
8月29日、去る24日、館林町荒井清三郎氏方の厄介となり泊す。・・・眠り覚めて小便に立ち、東西を誤り、行く所を失い隣室を呼ぶ。この家の老婆驚き起きて下女を呼ぶ。家中騒動となる。小便ほとんど洩る。


9月2日、植野村新井新次郎方に休息を許されて昼寝す。島田雄三郎氏を訪ねて小遣金3円を得て馬門に行く。


9月7日、昨夜海老瀬村の増保金蔵氏方に泊す。


10月3日、昨夜福田女史、石川三四郎両氏と宮崎女史を訪ねて泊す。2氏は帰る。


10月10日、昨日、部屋に泊す。


10月11日、昨日、古河町田中屋に泊す。


10月12日、恵下野に泊す。


10月20日、赤麻村大前山志家氏に 泊す。


10月21日、藤岡、谷中、古河町、野木に入りて夜栃木に来たり<かな半>に 泊す。


10月23日、恵下野に泊す。


車夫と二人分の昼飯を請求したり、小遣いを3円も(今の3万円ぐらい)もらったり、昼寝をするために家にあがったり、深夜に老女を起こしたうえ小便を漏らしてしまったり、何とも迷惑至極ではありませんか。