金銭感覚の異常性・40 | 足尾鉱毒事件自由討論会

金銭感覚の異常性・40

前回の手紙から半年後、明治42年12月26日に、増田清三郎は東京日暮里の逸見斧吉の家に滞在する田中正造に宛てて、また金返せの催促状を出しています。内容は以下の通りですが、誰かに代筆してもらったことは歴然としています。


とは言っても、意味が分からないところがたくさんあります。なぜそうなのかをよく考えながら、読んでみてください。


「拝啓、御貴殿様に申し上げます。3か年間田畑不作のために家族9人、実に食することも出来ない始末。明治40年度より3か年村税未納、次に学校建築費と共に53円を、いよいよ、いよいよ、いよいよ、財産差押えの命令あり、他に借用金の返済を請求され、子供5人に寒さしのぎが出来ず、そのために子供が病気を引受け、小生も長年の病気で見る影もなく、御貴君様お助け、お助け、お助けを願います」


「御貴君様は、聞くところによれば、来ても小生宅には寄らず、この次は寄るかと思えば素通りして、お願いもできず、12月30日までに金100円をぜひぜひぜひ、ご都合なり、借用するなり願います」


「家内どもは、御貴君が素通りに付き、田中さんは金の為に殺すんだろうか。実に母始めとして涙に暮れております。金もなし、食するものもないから、毎日母上に口説かれておりますことは、貴様が14,15年間の運動と田中正造への立て替え金元利、34年の調べは山のごとくだろ、その為にぢうらいのしんくうをしまうのか。実に情けない、なさけない、なさけない。毎日家内一同に泣かれております。大至急御情け、助けを願います。増田清三郎、家内一同にて」