教育出版の「小学国語・6年下」② | 足尾鉱毒事件自由討論会

教育出版の「小学国語・6年下」②

来栖良夫の「田中正造」には、次のような部分があります。


「明治政府も、銅山のあたえる被害を認めないわけにはいかなくなった。鉱山側も、わずかの補償金を出して、被害地の人たちをなだめすかし、あるいは、<(欧米の)機械を入れて、鉱毒を出さないようにする。>と言ったが、被害はますます激しくなるばかりである。」


しかし、事実はまるで違います。
田中正造が始めて国会質問をした2ヵ月半後には、政府は「原因は足尾銅山からの排出物にある」と官報で公表しました。「認めざるを得なくなった」のではありません。


足尾銅山主の古河市兵衛も、この結論に何一つ異議を挟まず、すぐに被害農民と示談交渉を始め、8500戸ほどの被害民に総額で10万円(今のお金で10億円)ほどの損害賠償金を支払いました。この行為が、なぜ「なだめすかした」ことになるのでしょう。
日本の公害の歴史において、最初から加害者責任を認め、示談金を支払ったケースはありません。


示談成立の後、被害農民は、各町村ごとに盛大な慰労会を開き、仲裁に当たった県会議員たちに感謝状まで贈りました(鉱毒仲裁委員・横尾輝吉の記録)。


子供たちに立派な行為として教えるべきことを、非難すべき行為だと教えているのですから、まるで逆ではありませんか。


「被害が激しくなった」のも、加害企業のせいではありません。明治29(1896)年の夏、渡良瀬川に3回もの大洪水があったため、深刻な不作になったのです。作者の来栖良夫は、自然災害を足尾銅山の怠慢のごとく説明して、子供たちに敢えて偽りの話を吹きこんだわけです。