花村校長のあきれた個人崇拝③ | 足尾鉱毒事件自由討論会

花村校長のあきれた個人崇拝③

明治政府の命令に従って古河市兵衛が履行した鉱毒防除工事は、田中正造の直訴後に政府が設置した第2次鉱毒調査委員会により、その効果が徹底的に調査されました。

その調査結果について、花村校長は次のように書きます。


「明治36年3月3日、委員会は桂首相宛に、<調査報告書>を提出した。ここには、<銅分の根源は、工事以前の排出物の残留分が大部分を占め、現業に起因するものは小部分に過ぎない。>と、足尾銅山を擁護する政府の方針を追認する姿勢に基づくものであった。」


つまり彼は、政府の調査は信用できないと結論付けたわけですが、なぜ、当時のトップクラスの専門家の諮問を否定できるのでしょう。
しかし、実際にこの年の秋には、被害地の田畑は豊作になりました。この事実については、彼はこう書いています。


「これは全て神仏の加護であると正造は訴え、この絶好の機会にこそ足尾銅山の鉱業を停止して、鉱毒の流出を永遠に停止し、被害地の完全復旧を図るべきであると主張した。」


さらに彼は、正造だけが正しく、被害農民も間違っているという主張を、次のように進めていくのです。


かかる悲痛かつ絶叫とも言うべき正造の主張・訴えにもかかわらず、被害民のほとんどは、この豊作が、第2次官製鉱毒調査会の報告、すなわち政府と鉱山側の主張するように、工事の実効の証左であり、鉱毒事件はほぼ解決された、という姿勢に急速に傾斜していった。」
「結果として、この年の豊作は鉱毒問題を治水問題へ転換させ、鉱毒事件を鎮静化せしめ、正造の孤立化に拍車をかけたのである。」


何千何万という被害農民が、公害防止工事の効果で自分たちの農地が復旧したと確信したのに、なぜ花村校長は彼らの判断は間違いで、被害者でない政治家の主張は正しいと、断言できるのでしょう。滅茶苦茶な理屈ではありませんか。