NHK斉藤ディレクターの無知 | 足尾鉱毒事件自由討論会

NHK斉藤ディレクターの無知

2002年2月20日、NHKテレビの人気番組『その時歴史が動いた』は、「田中正造、足尾鉱毒事件に挑む」を放送しました。


斉藤ディレクターとは、この番組の制作・演出をした教養番組担当の斉藤圭介のこと。彼は、事件の主舞台の足尾の町で生まれ育った栃木県人で、銅山が閉鎖した1973年に地元の小学校に入学し、「銅の成分を沈殿させる茶色い大きなプールのような施設も、子供時代の記憶の回路の中にしっかりと組み込まれ、」「銅とともに生きた土地の空気を、胸の奥深く吸い込んできた」そうである(取材ノート)。


しかし、いったいどうしたことなのでしょう。彼が子供時代に見た風景も吸った空気も、この番組に何一つ反映していなかったのです。
放送は、「政府も古河も何の対策もとらなかったので、最後の手段として、田中正造が明治天皇に直訴した。」という内容になっていました。
彼が「しっかりと記憶している」公害防止用の沈殿池は、何のために、誰がどのように造り、実際にどれほどの効果があったのかなどを、彼はなぜ調べようとしなかったのでしょう。


1903年6月、政府は、6年前に造られたこれら沈殿池の効果で、鉱毒が渡良瀬川に流出しなくなったと発表しました。
当時の最高のレベルにいた専門家による、政府のこの調査結果さえ調べていないのは、いったいなぜなのでしょう。


『田中正造全集』の別巻にある「年譜」には、「1903年10月、鉱毒被害地の稲豊作」と明記されています。
彼が小学生の頃盛んに読まれていたに違いない『下野人物風土記』の3集には、「鉱毒問題は、この施設によって解決した。」とはっきりと書かれているではありませんか。


結局彼は、生まれ育った足尾のことなど何も知ろうとしなかったことがわかりますが、その理由は、彼がある種の偏見を持っていたからだと思います。


この放送を再録した単行本には、「政府は、洪水の際に鉱毒水をためる貯水池を造り、被害を抑えようとした」と、谷中の遊水池のことが説明してあります。


しかし、政府がこんな変な理由で遊水池を計画するはずはありませんし、防除工事が成功して、洪水があっても鉱毒に侵されなくなったので、この説明はあまりにもお粗末な作り話になってしまいます。おそらく彼の頭の中には、「政府も古河鉱業も誰がなんと言っても悪である」といった観念しかなかったのです