栃木の教師たちの不可解③ | 足尾鉱毒事件自由討論会

栃木の教師たちの不可解③

栃木県連合教育会は、昭和60年代に、前述の『下野人物風土記』を絶版にし、同じ主旨の副読本『しもつけ物語』を編集・発行しました。


その第4集(昭和62年)に田中正造が取り上げられていますが、足尾鉱毒事件に関しては、前の本では「政府は何の対策もしてくれなかった。」となっていたものが、「政府もようやく重い腰をあげ、明治30年5月、足尾銅山に対して鉱毒を防ぐための工事をするよう命令しました。」と書きかえられました。


ところが、その続きは「しかし、(工事は)思うほどの効果はあがらないで、鉱毒による被害はなくなりませんでした。」とあり、いかに訴えても政府が対応してくれないので、田中正造はやむなく「明治天皇に直訴をしたのです。」と説明されています。


事実は、この工事によって「長い間の鉱毒問題も最後の解決に達した」(『下野人物風土記・第3集』)のですから、この説明は当然ウソで、連合教育会は栃木県の小・中学生に、今日までウソの歴史を教え続けていることになります。


それだけではありません。
『しもつけ物語』では、谷中村を救うために闘った田中正造が文句なしに称賛されています。
しかし、谷中村の遊水池化計画は、専門の学者15人による「鉱毒調査委員会」が全員の賛成で立案し、栃木県会も賛成の決議をし、谷中村を除く渡良瀬川沿岸の被害民も残らず賛同しているのです。


栃木県連合教育会は、議会制民主主義や多数派の意志を否定して、少数派を支持した過激な人物を称賛しているわけですが、こういう教育が正しいと考えているのでしょうか。