岩波『日本史辞典』の主観的日本史 | 足尾鉱毒事件自由討論会

岩波『日本史辞典』の主観的日本史

岩波書店は、『田中正造全集』を刊行しているので、この辞典にも反映していると思いきや、全く違いました。
この辞典の解説者は、自分に都合の悪い事実は一切書かず、主観的に正しいと思ったことだけを書いており、客観性は全く無視しています。
内容は次のとうりです。


田中正造を指導者とする被害農民は、政府に鉱業の停止を求めて東京へ大挙押出し(請願運動)を図るなど、強力な反対運動を展開した。」
「政府による鉱毒問題の治水問題への転換、谷中村の強制破壊によって、歴史的には抹殺された。」
「だが、被害はその後も続き、今なお足尾には禿山、下流には広大な遊水池を残している。」


『田中正造全集・別巻』の「年表」は、次の事実を明確に記載しています。
加害企業の古河が、被害農民と示談をくりかえしたうえ、損害賠償金を支払い、政府が専門の委員会を設けて対策を立て、古河に鉱毒防除工事を命じ、古河がこれを忠実に履行したこと、その結果、「明治36年10月には鉱毒被害地の稲が豊作になった。」ことなどです。


しかし、こうした重要事項を、この辞典はすっぽりと抜かしてあるわけです。

解説者は、田中正造と谷中村の抵抗農民だけが正しく、それ以外の被害農民の声さえ否定する極端に偏向した立場をとっていることがわかります。


しかも、たとえば、2番目の文章には主語がなく、何が誰によって抹殺されたのか不明ですし、3番目の文章におけるその後の被害と、禿山や遊水池との関係も理解不能です。


本辞典の編集委員には、由井正臣が名を連ねていますが、この項目は彼が執筆したのだと思われます。田中正造全集は彼が編集し、岩波新書の『田中正造』は彼の手で書かれているからです。しかし、上の解説は、二つの著書が生かされずに、特定のイデオロギーを読者に押し付ける書き方になっています。こんな主観的な日本史でいいのでしょうか。