東京創元社『新編・日本史辞典』のウソ | 足尾鉱毒事件自由討論会

東京創元社『新編・日本史辞典』のウソ

この辞典は、京都大学出身の学者たちが編集していますが、内容のデタラメさに関しては、ほかの事典と変わりありません。
解説文を引用しながら、これを批判してみましょう。


「この年(明治30年)、政府は鉱業主に鉱毒除外工事を命じたがその効なく、同年より洪水ごとに被害民数千人が上京し、1900年(明治33年)には、群馬県川俣で阻止しようとする警官に弾圧されて、負傷者や検挙者を出した(川俣事件)。」


被害民が2回も上京して政府に請願したため(明治30年)、工事の命令が出されたのに、その逆であるかのようにウソをついています。
工事の効果はすぐに出ないはずです。にもかかわらず、被害民の行動を正当と見、政府の対策を非難しています。
デモ隊を規制するのは間違いだと言えるのでしょうか。そうでないこともあるはずです。


「この事件(田中正造の直訴)は世間を衝動し、婦人矯正会・社会主義者・弁護士・学生らも救済を叫び、02年(明治35年)政府は予防工事を命じ、被害は一応収まった。」

直訴(明治34年12月)以前に工事の効果は出ており、新聞も「激甚被害地以外の農地はきわめて豊作」と報じていました(同年10月6日付け・朝日)。
02年の工事は改善だけであって、これで被害が収まったのではありません。歴史的事実を何も調べていないことがわかります。
つまり、直訴もその直後の世論の高まりも、被害の回復に大きな役割を果たしてはいないのです。


「政府は谷中村を廃村として遊水池を作り、反対農家19戸を07年(明治40年)強制的に破壊した。」

谷中村の遊水池化は、鉱毒対策でなく洪水対策です。上流の被害民もこぞって賛成しており、栃木県も国も議会で決議している以上、この説明もまた
客観性を欠き、谷中村の残留農民だけを正当化している点、説明が一方的です。

この解説を書いた歴史学者は、神戸女子大学名誉教授の山本四郎です。