角川版『Our Times 20世紀』の偏向解説 | 足尾鉱毒事件自由討論会

角川版『Our Times 20世紀』の偏向解説

この本の1900年のところに、「足尾鉱毒の被害深刻。田中正造、政府を追及」という解説文があり、この年の2月にあった被害農民の最後の反対行動について説明しています。

そして、次のように続いています。


「被害民は何度も政府や県に鉱毒対策を要求してきたが、当局は真剣に対処しようとはしなかった。」
「田中正造は代議士を辞任し、天皇への直訴をはかった。」
「政府は、新聞の批判には新聞紙条例違反や官吏侮辱などで弾圧する一方、世論に押されて鉱毒調査委員会を設置した。」


政府当局は、鉱毒調査委員会を設置して、公害の歴史上最も優れた防除対策を立て、これを実施させている(1897年)のに、「真剣に対処しなかった」とはどういうわけでしょう。なぜ公然たる事実をわざわざ隠すのでしょう。

防除工事は成功して、被害農地は「激甚地以外はきわめて豊作」と報じられるほど回復しました(1901年10月6日、朝日)。
そんな中で正造が直訴したのですから、これは異常行為ですし、直後の世論に押されて、「鉱毒調査委員会を設置した」との記述も曲解です。この委員会は、2回目のものだからです。

解説の続きはこうです。


「1907年、内務大臣原敬(前年までは古河鉱業副社長)は、谷中村の土地収用を公告し、抵抗する16戸の残留民の家屋を破壊した。村の復活に日本の再生をかけて谷中村に入った田中は、13年に死亡する。なおも抵抗を続けていた残留民も17年に谷中村を立ち退き、ここに谷中村は国家によって抹殺された。」


谷中村の農民が抵抗するのは当然です。しかし、洪水から(公害からではなく)自分の農地を守るために、上流の農民たちも、谷中の遊水池案には賛同しているのです。
それなのに、なぜ正しい選択をした政府をこうも非難するのでしょう。
明治以来の国土開発は、無数の村を抹殺してきました。救われるべきは、谷中村だけではないはずです。
田中正造と谷中村の悲劇だけを強調するのは、歴史の本がすることではありません。
この本の監修者は、ジャーナリストの筑紫哲也です。