菅井益郎の回答⑧ | 足尾鉱毒事件自由討論会

菅井益郎の回答⑧

私は、「企業の社会的責任」を、古河市兵衛ほど立派に果たした加害企業の経営者は、いないと思います。
また、田中正造の政治力こそ、政府と古河を動かし、史上例のない本格的な公害防止工事を履行させ、被害農地を回復させたのだと思います。
だからこそ、農民たちは正造を尊敬してやまなかったのだと確信しています。
ところが、菅井益郎教授の解釈は、私とは全く反対なのです。
彼は、小学館編集部に宛てて次のように書いています。
このような人が、百科事典で「足尾鉱毒事件」の解説をしているのです。どう書いているか、ためしに読んでみてください。


「他人に損害を与え、迷惑をかけたなら、謝罪し、償う、そして二度と迷惑をかけません、と誓うのが市民社会のルールですし、再び過ちを犯すなら、鉱業条例に則って禁止するのが当然です。しかし古河は国益のためと開き直り、日清ー日露戦争を背景に軍備拡張に邁進する政府はこれを擁護し、その後も1974年に至るまで古河は鉱毒被害の原因を公式には認めなかった、これが事実なのです。」


「多くの農民の被害はそのまま放置されたが故に、今も下流の人たちは、一度は田中正造と袂を分かった人たちも含めて、正造を尊敬しているのであって、そのことを理解しないのであれば、どんな説明も無意味でしょう。」


「どうぞ砂川氏には古河が被害農民のために何をしてきたか、農民側に立って客観的に事実を見るように伝えてください。公害というものを加害者側に立ってみるのは一種の自家撞着に陥り、きわめて偏った見方になりやすく、被害を過小に評価する一方、対策を過大に評価してしまうことになり、そうした見方は今日経営学で議論されているコーポレントガバナンスの視点からも得るものはないことを考えてほしい、と思います。」


「公害の研究者が加害企業側に立てば、公害は更に悪化してしまうことを私たちは多くの公害の経験から知っています。本当に企業側が誠実に、かつ持続的に対応したならば、評価に値しますが、足尾銅山鉱毒事件における古河は、全くその評価に値しません。」