今回はスティーヴン・スピルバーグ監督の『ブリッジ・オブ・スパイ』を。
{24208F7F-BB0D-46E4-A80E-952191113CC2:01}



いつもとは違う、スピルバーグ作品
{767A0ED6-77D3-44D4-8156-201FF308945F:01}

公開前から本作が話題となっていたのが、脚本を担当したのがコーエン兄弟ということ。撮影のヤヌス・カミンスキー、編集のマイケル・カーンはいつものメンツですが、スピルバーグとコーエン兄弟のタッグはコーエン兄弟監督脚本作品の『トゥルー・グリッド』でスピルバーグが製作総指揮を担当して以来二度目、でしょうか。異色のコラボレーションながらスピルバーグと言えばマイケル・ベイやJ・J・エイブラムス、ピーター・ジャクソンら才気あふれる監督と積極的に手を組むことでも知られ、なるほど今回は脚本というアプローチで来たか、とどこか納得であり楽しみでもありました。
その結果、米ソ緊迫の状況下東西ドイツがまさに分断されるタイミングを舞台にしながら、スピルバーグ特有の肉体的にも精神的にも苦痛を強いられるような描写が抑えられ、スパイ同士の交換をサスペンスフルに描いた交渉劇、会話重視の映画に仕上がっていました。
これはまさにコーエン兄弟の “らしさ” で、巧みな話術により難解な局面を打破していくトム・ハンクス演じる実在の弁護士ドノバンの活躍がより鮮明に、前面に打ち出された内容となっていました。
{36495280-8B04-4D53-87E4-DA141CCEC669:01}


魅せる演技

常に最善の道を模索し信念を持って解放交渉に挑む弁護士の姿にトム・ハンクスはまさにハマり役で、柔和な表情から繰り出される論理武装が僅かの間隙を縫って相手を追い詰めていく緊張感は、さすがトム・ハンクスとしか言いようがありません。
{3AE2F0B4-59CE-4B6C-B9C2-2C838B2D1C85:01}
また、ソ連側スパイの弁護という立場から自国民から敵視されて家族にまで危険が及ぶ状況と、国からの極秘以来のために本来の目的地を告げることなく出発していくドノバンの、夫として父親としてその背中に背負う悲愴感もしっかりと刻んでいました。

そのトム・ハンクスを相手に堂々と向こうを貼るのがソ連側のスパイ、アベルを演じたマーク・ライランス。
{AD328802-BB6D-4B62-BA99-8EDA5C260E22:01}
常に冷静沈着でありながら翳りを帯びた表情で佇む姿は実に印象的で、やがてドノバンと信頼関係を築いていく様子は、結末に向かうにつれ胸に迫るものがありました。この演技が高く評価されてライランスは各批評家協会賞で好成績を残し英国アカデミー賞を獲得、そして米国アカデミー賞助演男優賞に初ノミネートにして初受賞を成し遂げました。
{684A3623-2911-415E-8831-5A375E128FB2:01}


ドノバン、その男強し。

舞台は冷戦中、東西分裂に揺れるドイツがスパイ交換交渉の地となることから、いつドノバンに向けて銃弾が発射されてもおかしくないような状況でピンと張り詰めた緊張感が常にスクリーンを支配します。交渉の行方次第で局面ががらりと変わりかねない攻防をスピルバーグは丁寧に積み上げていきますがこの辺りの描写は人間心理を巧みに表現するスピルバーグの真骨頂で、ドイツの冷たい空気間もあって冷戦がもたらす危機感を常に観客に与え続けます。国対国の水面下での熾烈な攻防は、血は見せずとも戦争という状況下に変わりはなくその行く末をドノバンが握るという、彼からしてみれば過酷な状況としか言いようがありません。それでもドノバンという人物は一切手を緩めようとしない。一切の揺らぎがない。そんな姿が恐慌の中で兵士以上に頼もしく思え、この男なら不可能を可能にしてしまうのではないだろうかと、観客もドノバンに望みを託します。
{09FB39E3-4E13-47A9-9A71-72D0C6A4752A:01}


もう一人のスピルバーグ組初参加

そんなドノバンの背負った運命を音楽面からサポートしたのが、本作で健康上の理由で止む無く参加出来なかったスピルバーグ組の重鎮ジョン・ウィリアムズに代わって登板したトーマス・ニューマンです。
{49083D32-D5FB-48BD-96EA-FD8A1575029C:01}
ニューマンはサム・メンデス監督とのコンビで知られ、『スカイフォール』『スペクター』でも見事なボンドサウンドを作り上げてみせましたが、もちろんスピルバーグ監督とは初タッグとなります。しかしニューマンはそんな重圧は物ともせず、重厚かつ繊細に、ドノバンが描き上げていくドラマを音楽でフォローしてみせました。これはもう作曲家としての力量を試される機会というものを超越して、ニューマンのベストワークの一つになったと言っても過言ではないような気がします。
スピルバーグ監督の新作『THE BFG』ではジョン・ウィリアムズが復帰を果たす予定ですが、スピルバーグとニューマンが再び組むことがあるか、今後気になるところです。



今回はポール・キング監督『パディントン』を。
{895AC5FB-5CBC-4BE6-A199-E21E15517A0F:01}

映画公開前から原作のパディントンファンからはCGのパディントンが
リアルすぎると批判されていましたが、正直なところわたくしパディントンに関して原作はイラストくらいしか知らないしむしろ北海道に野生のヒグマを観察しに行くくらいリアルパディントン大好き
なのでその辺りの批判についてはなんら問題ありません。

──などという個人主観はさておきまして。


鮮やかな世界観
{DDFA2BB0-CC24-4077-BA6F-5B03D0E6D065:01}

映画『パディントン』、原作ファンの心配をよそに映画として素晴らしい仕上がりになっているではありませんか。やることなすこと天然?野生児?のパディントンのキャラクターと、そんなパディントンをやがて家族の一員として迎え入れていくブラウン家の個性あふれる面々。そして(元旦那の)有名作を堂々とパロディしてしまう大胆不敵なニコール・キッドマンの悪役ぶり。
{4EEEEB04-4E87-49C6-894D-8F3FEB789B0C:01}
各登場人物が実に活き活きとしていてそれだけでも映画鑑賞中に顔がほころんでしまいます。
魅力的なキャラ設定だけではありません。イマジネーションに満ちたプロダクションデザイン、遊び心でいっぱいの脚本など、映画としてのバランスが実にしっかりと取れているのが素晴らしく、大人も子供も楽しむことができるファミリー映画に仕上がっているのです。


家族の絆
{48E3A1EF-6171-46C7-BF48-33D6F54EC2CB:01}

人間の言葉を話すクマ、というファンタジーな設定ながら人間社会に溶け込もうとするパディントンの社会性と野性の対比がバランスよく描かれ、時にお世話になるブラウン家をハチャメチャな状態にしてしまい追い出されそうにもなりますが、それでもパディントンというキャラクターを受け止め絆を深めていく一家の面々もまた魅力的。
そしてニコール・キッドマン演じるミリセント・クラウドがなぜ執拗にパディントンを付け狙うのか、その理由が明かされると彼女もまた一概にも単なる悪役ではないという計算がまた心にくい脚本だったり。
映画の冒頭、紳士の国イギリスと言えどペルーの奥地からやって来て駅に佇むパディントンに足を止める人間は誰もいないという現代的な寂しさも「このままではブラウン家に迷惑を掛けてしまう」と悩む後半のパディントンの苦悩に反映されていて、なおかつそれが逆にパディントンとブラウン家との絆を深める結果になるという構成がまた美しいではありませんか。
{FDFB8BF1-65BA-4671-938D-D327D94BE47A:01}

ちなみに僕なら駅のホームにクマが佇んでいたら速攻で声掛けて家に連れて帰りますがね。

──などという個人的主観はさておきまして。


音楽的遊び心
{1519D7EC-F3FB-4FA1-9FD5-66C269C31BD9:01}

とにかくこの映画の魅力の一つに、スタッフ、キャストが皆楽しみながら映画を作り上げている点が挙げられますが、それは音楽においてもはっきりと現れています。今回の劇伴を担当したのは『フォーカス』や現在公開中の『クーパー家の晩餐会』のニック・ウラタですが、劇中にバンドマンが登場したり、映画の終盤パディントンがミリセント・クラウドの手から逃れようとする場面である有名な曲のアレンジ(と言うかほぼ原曲)が流れた時には映画音楽好きとして思わず声を上げて笑ってしまいました。もちろんその曲は映画音楽好きでなくても誰もが知っている曲なので、そんな音楽の遊び心にも思わず胸を躍らせるのではないでしょうか。
今回はジャック・ペラン監督『シーズンズ 2万年の地球旅行』を。
{EE7EEB4B-7CAC-4EA5-B365-5D0C272197B5:01}

動物が大好きなものでこういったネイチャーシリーズはよく観に行きますが、はてさて今回は。


息を呑む迫力の映像美
{05F2B0BC-82F0-4AB4-99A7-0B4044BFF5B7:01}

ネイチャードキュメンタリー映画は動物や自然に興味を持っていないとなかなか触れる機会が少ないジャンルの一つかもしれませんが、まずこういったシリーズの魅力に動物との距離が限りなく近いカメラアングルがあります。同監督の『オーシャンズ』や、他にも『ネイチャー』など撮影技術は回を追うごとに進歩を遂げ、まるでこちらも対象動物のすぐ真横にいるような感覚を得ることが出来ます。それは陸だけに留まらず、グライダーやドローンによる空中撮影、潜水カメラによる海の中の世界すらくっきりとスクリーンに映し出します。また、ハイスピードカメラによる普段目で追うことが困難な動きや、奥行きある立体視を可能にする3Dカメラ撮影による映像も素晴らしいものがあります。
今回の映画の見所の一つに、予告編にもありました疾走する馬やオオカミと並走するスピーディーで迫力あるカメラアングルがありますが、それも無音バギーカーでの撮影によるもので、動物の群れやその動きと一体になることで見事なシークエンスを生み出しています。


地球が紡ぎ上げた物語
{16D880F2-8418-43B9-BAAA-44B7F76221EA:01}

今回の映画のスタンスは地球の長い長い歴史の中で動物が辿ってきた道を描いているので、今までのネイチャー系によく見られたような、特定の種類の定点観測や家族を追うという形ではなく動物史にスポットを当てています。その中で動物の姿を追っているのである意味今までの作品に比べ感情移入は難しいかも知れませんが、それでも弱肉強食の世界であり種の繁栄のために生きる動物の姿を、自然界の美しさと共に教唆する展開を見せます。

と、ここまでは良かったのです。


どうしてこうなった

ところが映画は後半から突然に説教モードに入って行きます。人類の繁栄が森林を切り拓き動物たちをただ狩る、追いやるだけの悪しき種族として描かれ、明らかに動物史から脱線を始め人間と動物の関係史、それも人間の業のみをピックアップした物語へとシフトしてしまいます。確かに野生動物、家畜動物を語る上で人類の傲慢な行動には反省するべきものが大きいことも事実ではありますが、なぜこの映画で突然その話へと転換したかが解せません。少なくとも予告編や映画ポスターでそんな気配は微塵も感じさせず、あくまでネイチャードキュメンタリーとしての体裁を全面に押し出す形でした。こちらとしても「動物のリアルな生態が見たい」「動物の歴史を知りたい」と思って座席に座っているものですから、突然いかにもな演出が加わり始めたことは正直残念で仕方がありません。
先ほども述べたようにもちろん人との関わりを包み隠さず見せることも大切ではありますが、ではなぜこの映画で途中から敢えて描く必要があったのか、という疑問の方が強く印象に残りました。

映画って、難しい。
{628A1B74-43C1-4F0F-9ACB-2871D9F568B9:01}
今回は石橋冠監督『人生の約束』を。
{EBB2DDE0-4045-44E5-AA73-5644916C1E56:01}

去年からの劇場予告で気になっていた作品。石橋監督は『池中玄太80キロ』など数多くのテレビドラマを手掛ける名演出家で、なんと78歳にして本作が長編劇映画デビュー作になります。


主演級の俳優陣が魅せる

私利強欲のワンマン経営で若くして会社を取り仕切る主人公、中原祐馬を演じるのは竹野内豊
{671C368B-23D1-463D-BAC5-514E7303246E:01}
共同で会社を興しながらも経営方針の違いから追放した今は亡き親友の足取りを追う中で、富山の地で喪われた時間を取り戻すかのように自身と向き合い直す男の姿を演じています。
富山・新湊に根付く伝統の曳山を守ることに心血を注ぐ渡辺鉄也には江口洋介
{C4FE6664-6029-483B-8455-B71C07E58D0F:01}
髪を短く刈り上げ無精髭を蓄えた野性味溢れる(勢いあまって喧嘩っ早い)熱い漢っぷりが中原祐馬と対照的で、2人がぶつかり合いながらもやがてお互いを認め合う様子は頼もしくもあり微笑ましくもありました。
財政難による曳山の隣町への譲渡という、伝統と実情の狭間で苦悩する町内会会長には西田敏行
{453A03F1-F548-4FEC-8A35-3C81EEBA8054:01}
この辺り池中玄太シリーズの監督らしい配役ですが、西田さんの抑えた演技は時に優しさを時に苦しさを巧みに表現していて、映画の中のその存在感の大きさに驚かされます。それでいて抜群の安定感を見せているのだから凄い。
対して隣町の長を演じる柄本明のまぁ憎たらしいこと憎たらしいこと!(褒めてます) もうはっきりと悪役然りの演技に徹していて、その表情からも悪人感がこれでもかと溢れ出ています(褒めてます)。
{9A353159-6D0C-442C-A5B9-2ECC32B7167C:01}
それでいて中原に放つ「コンピューターで米や魚が作れますか」の台詞が的を得ているのがまぁほんとに憎たらしい!(褒めてますからね)
他にも松坂桃李、優香、小池栄子、室井滋、ビートたけし(出番は少ないですが)ら若手からベテランまでが脇をしっかりと固めています。
{752322C7-2173-490D-BFE5-A74900CAD5C0:01}


新人・高橋ひかるの存在感

{A2D0B89E-A541-4DBA-A26A-7F18CE133DA0:01}
そんな俳優陣の中でただ一人、新人との但し書きが入るのが中原祐馬の親友が遺した娘、渡辺瞳役の高橋ひかるなのですが、これがなかなか上手い。物憂げな表情をいつもたたえつつ、中原に会う前にはさり気なく鏡で髪をチェックしたりと大人びた仕草まで見せる。意外とストーリーを運ぶメインの役どころでもあり、その重圧を感じさせない透明感漂う佇まいは見事なもので、今後の活躍が楽しみな女優さんであります。


美しき富山・新湊の風景

物語の舞台となる新湊から見詰める富山湾や立山連峰の景色も日本の原風景を捉えていて、伝統行事である曳山と港町の風情が郷愁感を色濃くしています。そんな中で、仮想空間や机上の世界だけで個を成していた中原が「立ち止まらなければ見えない風景もある」という親友の言葉を胸に自分を取り戻し、町の人々に受け入れられていく姿は必見です。地に足を付け「繋がる」ことで生を実感し、亡き友を思い涙する中原の表情は胸に迫るものがありました。
{7109CAA3-B141-4368-AD57-F7493E58AD39:01}


今回はデビッド・ロバート・ミッチェル監督『イット・フォローズ』を。
{9C5AC854-7078-4351-8BD0-377E1CB4ECFA:01}

全米公開時にタランティーノが激賞したということで、ネット上では公開前から既に評判になっていた本作。正直、有名監督や著名人が激賞したとしても面白いかどうかは結局は観てみないと解らないじゃないですか。

くっそ面白かったです。


ハリウッドが目指したジャッロ映画

{5CF79653-1CCD-4988-B5C7-AE606C4FFD14:01}
この映画はオープニングで、 “なにか” から逃げようとするティーンエイジャーがやがて惨殺された姿で発見されるまでを一切の説明なくいきなり見せつけます。言ってみればホラー映画の定石ですが、他と一線を画しているのが、まず “なにか” が全く解らない。人なのか。殺人鬼なのか。幽霊なのか。その姿を1ミリもスクリーンに映すことなく次の瞬間には惨たらしい死体になっている、不気味さと猟奇性。
もう一つはホラー映画でありながらシンセサイザーによる不穏なメロディが耳一杯に覆い被さってくること。これはオープニングだけでなく、なんと全編を通して鳴り響き映画の世界観をコントロールすらしているようで、その前衛的でシンフォニックなサウンドの用い方が『サスペリア』を彷彿とさせました。
 “なにか” の正体が “それ” と解ってからの主人公らに襲い来る様子からも、この映画は往年のイタリアンホラー、いわゆるジャッロ映画を目指したのではないか、と考えられます。
{F65B274B-9C94-43C3-A3B2-582D8B25E944:01}



新たなホラー設計

{327CEB1A-2F04-4CEE-A476-7C98F70CC617:01}
ではこの映画のもう一つの主人公、 “それ” は、ナイフを翳し執拗に血飛沫を求める殺人鬼であるのかと言えば答えは全くのノーで、かと言って “それ” はもはや “それ” としか表現しようがない。 “それ” はセックスをすると移される。 “それ” は移された人間にしか見えない。 “それ” はゆっくりと近付いてくる。しかし “それ” に捕まれば殺される。 “それ” を回避するには誰かに──セックスをして移すしかない。けれどその相手が死ぬと、また戻って来る──。
なんという細かな設定でしょうか。もはや厳格なルール化が施され、観客は何の苦労もなくこのルールを序盤で入手することになるのです。監督はいきなり「原因」を観客に提示してそのルールそのものを得体の知れない謎として主人公と観客に植え付けて行くのです。こうなると後の展開が早く、面倒な説明描写を排して監督の思うものが作りやすくなります。なんたる首尾の良さ。
{6C017CBC-9188-422A-8AED-627BEAC9889F:01}


加速する恐怖

{5F56F599-CF98-4539-B2AB-CEDB802E7E72:01}
そしてここからが本番だと言わんばかりに、監督は主人公と観客を恐怖と疑心暗鬼のどん詰まりへと誘導して行きます。そこには脚本の妙だけではない、 “それ” そのものの斬新な演出が実に効果を発揮します。ホッケーマスクや鉄の爪を着けた殺人鬼ではない、一体どう向かい合えばいいのかすら掴めない “それ” は、ある時は一糸纏わね女性、ある時は長身の男(この動きがやたら怖い)、ある時はごく身近な存在へと姿を変え主人公に執拗に迫ります。 “それ” は全くの謎でありながら唯一が死の象徴であることは間違いなく、生と性、死と屍の密接な暗示が余計に深層心理まで潜り込み強烈な印象を与えて行きます。
主人公=ヒロインはこれもまたホラー映画のルールから外れるように自身が生き残るためには打算的な性行為にまで及ぶわけで、ここまで定石を外してなお謎は深まるばかりで観客すらも逃げ場を失っていく感覚。新しい。これは新しいぞ。以前『キャビン』(原題Cabin in the Woods)なんていうこれまた面白いメタホラーがありましたがあちらはホラー映画を意識したコメディのような作り。『イット・フォローズ』も斬新でありながら、コメディ色の一切ない、捕まれば=死という生粋の古典的ホラー映画なのです。
{27AF0E48-A81B-4267-8EEE-154AE02C7D8D:01}


恐怖のメロディ

映画全編を音楽の面から不穏なベールで覆い、もはや大袈裟とも思えるシンセサイザーサウンドを作りあげたのはDisasterpeace、別名義リチャード・ヴリーランド
{78232160-C985-4338-B68B-E1296BE88BE5:01}
この映画、携帯やタブレット端末を使っている割には街のトーンや電化製品など70年代80年代を彷彿とさせていて、このシンセサウンドもその雰囲気作りに一役買っているのは確かではないでしょうか。場違いなくらい鳴り響く電子音楽は映画そのものをタイムスリップさせ、観客の足元を悪夢めいた感触の上に立たせています。
{D984FA3D-1453-41CC-A74D-0AC44E0EBEDA:01}

今回は新房昭之総監督『傷物語Ⅰ 鉄血編』を。
{0062128D-5C24-49B1-8946-BF979317CCDB:01}

原作は西尾維新の講談社BOX人気シリーズ『傷物語』。今回は三部作で映画化、その第1章となる作品で、主人公あらりゃぎ失礼噛みました阿良々木暦(あららぎ こよみ)君と鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの出逢いを中心に描かれています。


エピソード・零

西尾維新が100%趣味で書き始めた『化物語』。しかしあれよあれよと言う間に作品数を重ねて行き壮大な世界設定へと現在も拡がりを見せていますが、『化物語』の時点で既に阿良々木君はヴァンパイアとしての能力を授かり受けたキャラクターとして描かれていました。そんな阿良々木君を取り巻く主要キャラもある程度『化物語』で登場していますが、後に出版された『傷物語』になってようやく前述のように阿良々木君とキスショットの出逢い、阿良々木君の吸血鬼化、そして羽川翼、忍野メメの登場が描かれ、言わば傷物語はエピソード0の位置付けになっています。
{6A413CA8-B1DF-4F76-8E1D-528501169DAF:01}
アニメ版も『化物語』が先行した形なのですが、そのためいきなり映画『傷物語Ⅰ 鉄血編』からシリーズに入ってもあまり問題はないような気がします。


エピソード0.10

{D48586CE-F74E-4998-8FCF-9E074B101FE2:01}
エピソード0とは言え、今回の鉄血編では起承転結でいう起と承の中の起、分くらいしか描かれていません。上映時間自体64分しかないのです。原作小説を読んでいる身からすればまさに尻切れとんぼで「次回に続く」と待てを喰らう訳ですが、まぁここはアニメ制作の進行や配給側の思惑などいろいろ絡んでくるのかなと思わなくもなく、それでも前作から五年も待たされたファンの心情を考えると少し複雑ではありますね。
今作の終盤でようやく最強の怪異、キスショットを追い詰めたドラマツルギー、エピソード、ギロチンカッターが登場するので次回以降は説明的な展開よりもバトルモードに完全シフトするのではないでしょうか。


アニメとしての表現

西尾維新の小説といえば存外なまでの言葉遊びや文章運びのリズムが魅力で、その上に魅惑的なキャラが成り立っていると思いますが、今までアニメ化作品を観て来なかった一読者としてはアニメになった際にそのリズムやストーリーのテンポがどう表現されるのか気になっていましたが、メタ表現にも近い演出で進む映画に驚かされつつも、阿良々木君がキスショットの眷属となってからの怒涛の展開は熱いですね。四肢切断状態のキスショット嬢を変態的なまでにネチネチと描いていたのとは打って変わって忍野メメ登場シーンの爽快感たるや。「アラレちゃんかよ!」とついついツッコミを入れたくなるほどでした。憎たらしいほどに、カッコイイ。ちくしょう。何か良いことでもあったのかい?
{E832197A-CC64-4EC1-AE2A-F74BABB6F385:01}


エピソード0.2

スーパーヒーローの存在しないバトルアクションとはいえ思い切りの良い破壊描写やバトルモードの片鱗を終盤で披露しつつも、今作では壮大で壮観な物語の始まりの始まりしか語られていないので物足りなさの方が強いですが、これは次作の熱血編に期待を寄せる形になるものなので公開となる夏が楽しみなところ。
夏まで待てない! むしろ冷血編とかいつだよ!いう方には現在映画版装丁の『傷物語 涜葬版』も刊行されているので一足早く物語の行く末を見るのもまた一興。
{7DE572C2-253F-441C-9F6E-73D2AD312AB1:01}

今回はトム・グリーン監督『モンスターズ 新種襲来』を。
{99B19BA4-DF0C-4E1E-9C31-A2BCF9A688FF:01}

今作に製作総指揮としてクレジットされているギャレス・エドワーズの長編監督デビュー作にしてハリウッド版『ゴジラ』に抜擢されるきっかけとなった、『モンスターズ 地球外生命体』の続編になります。


まずは前作のおさらい

{93AC706C-3EFE-4B56-A120-B255D8024283:01}
ギャレス・エドワーズ監督の『モンスターズ 地球外生命体』は、南米上空で無人宇宙探査機が爆発したことで地上で巨大宇宙生物が繁殖した世界が舞台で、その危険地帯からの脱出を試みる男女の視点で物語が進みます。タイトルやあらすじから派手なSFアクション作品かと思いきや実はその真逆で、武力も特殊スキルも持たない二人の逃避行が淡々と描かれて行きます。
ところが、そんな現実的な映画が(銃弾が飛び交うでも大爆発が起きるでもないのに)やたら面白い。リアリティに徹した描写で「エイリアンがはびこる世界」をシンフォニックな音楽で展開して、結果ギャレス・エドワーズはこのたった一本でハリウッド版『ゴジラ』というビッグバジェットに抜擢される結果となりました。


逆行する続編

続編ではギャレスは製作総指揮に回り監督はトム・グリーンにバトンタッチ。舞台も中東へと移ります。映画の視点も消息を絶った部隊を救出に向かう米軍兵士の主観となり、必然的にミリタリー描写が映画の割合を占めます。
{2E23D5C6-6894-47F4-A653-DC654D221BD4:01}

正直なところ、監督が変わるとこうもテイストが変わってしまうのか、というくらい序盤からハードロックをBGMにモザイクまで入れるようなセ◯クスシーンが展開して前作からの逆行に呆然。いやいや、ここから壮大なエイリアンとの戦争が始まるんだ、と思っていたらまさかの『ブラックホーク・ダウン』ばりの対武装民兵戦に突入していきます。
{749CCAF3-64BF-4353-B8E2-96F74F8602A9:01}

エイリアンどこ行った。

どうもこのシリーズはタイトルとは裏腹に観客の予想を良くも悪くも裏切るようで、そういう意味で前作と通じているのかしら、などと思いながらそれでも民兵の攻撃でばったばったあれよあれよと米兵士が死にまくっていく展開を観ていると、
「僕はなんの映画観に来たんだっけ」
と結果考えてしまいます。

いやエイリアンどこ行ったよ。


合流する続編

そんな映画だからこそ、というと語弊がありますが、逆にエイリアンが登場するとなかなかにインパクトがあります。荒野を疾駆するドッグエイリアンの群れ。大行進を見せる大型エイリアン。前作ではその登場シーンが暗がりばかりだったのに対しこちらは日中から堂々とその姿を見せます(個人的にはどのクリーチャーデザインも合格点)。
{D7B1F890-F1D1-454F-8A1A-323ABD10EF61:01}

そしてここでようやく、この作品が根底で前作とテーマが通じている、と納得させるシーンを見せます。前作では主人公二人が逃避行の中で恋愛感情を見せたと同じように地球という異星においてもエイリアン同士が愛を育むような場面が見られました
{07FBBC40-32E9-4AEA-AE2B-7F2F3C8CEF44:01}
(全く似たようなシーンが『ゴジラ』のムートーでも描かれていましたね)。
今作では、主人公がエイリアン掃討作戦による空爆の巻き添えとなったスクールバスの惨状に悲観する場面がありますが、その直後、同じように同種の悲惨な姿に嘆くエイリアンが映し出されます。
{35D65F3B-2F14-4E8E-9F88-172657BE0E01:01}
この接続的な表現は、本来は棲む星違えども違えども「生きる」という概念の中で生物とは結局は人間もエイリアンも同じだという突き詰めた結論になり、前作では他者を愛する感情、今作では他者を憐れむ感傷を通して見せているような気がしました。


それでも排斥し合う生物たち

それでも、地球上ではエイリアンは異教徒と同じく理解し合うことの出来ない存在として描かれます。結果、起こるのは戦争です。意思疎通の出来ない相手は自ずと害悪と決められ排斥しようと敵意を剥き出しにします。対人間、文化、宗教ですら血で血を洗う排他的行為へと移行する訳ですから、より巨大で増殖止まない相手では武力でもって制しようとする姿勢は前作同様限りなくリアルな設定を引き継いでいると思います。つまり本作では、ある種リアルスティックな二種類の戦争を同一世界軸で展開していることになります。そういった意味では二つの戦争に放り込まれた主人公たちの閉塞感、絶望感は凄まじく、とどめにあんなものまで登場してはいよいよもってシリーズは終末観を色濃くしていくような可能性を帯びていました。
{69CB57C4-5F11-4312-AF65-B6DB228040D1:01}

だったらもうちょっとエイリアンとの戦闘も見たかったよ。


余談的必見女優

鑑賞後に思い出して「ああやっぱりあのキャラクターだったか!」と声を上げたくなったのが、中東の現地民族で、印象的なシーンに登場した女性。
{039988FB-7AF1-4828-A605-ABE059C169A2:01}
線のはっきりした目鼻立ち。印象的な眼差し。ある意味主人公以上にこの映画で印象に残ったキャラだった気がします。
この女優さん、『キングスマン』の義足の殺し屋を演じたソフィア・ブテラですね。
{8F3F81CA-1CA7-4019-86BF-2E1E63E1DC39:01}
今回は中村義洋監督『残穢 住んではいけない部屋』を。
{008746F3-AEE7-42FC-A4F5-2A8758CDB8DC:01}

原作は十二国記シリーズなどで人気の小野不由美女史の小説『残穢』。もともと小野主上ファンなので原作小説も既に読んでいますが、小説は「手元に置いておくのも怖いくらい」と帯に謳われるくらい、本当に怖いです。


映像化への不安

小野不由美さんの書く文章はとにかく、怖い。肌をざわざわと触れていくような冷たさと、はっきりと映像が脳裏に浮かぶ描写が丁寧な筆致で展開していくので、まるで自分が怪異に直面しているような感覚に陥ります。
そんな作品が、映画化です。そのニュースを見てやはりはじめに不安が過ぎりました。文章だからこそ表現される「怖さ」が、はっきりと映像で提示されてしまってはそこに想像力を当てはめることは出来ません。そのヴィジュアルだけが全てになってしまうのです。果たして、小説を読んで感じたあの恐怖を再現出来るのか、それ以上のものが描けるのか、という不安だけがありました。
{E6DE2860-34BD-4CFC-9D39-D6576DF510C5:01}
監督は『ゴールデンスランバー』や『アヒルと鴨のコインロッカー』など伊坂幸太郎作品の映画化や他にも小説を原作とした映画を多く演出してきた中村義洋監督。少なくとも小説→映画へのフォーマットに定評のある監督ではあるのですが、ホラーという感情面に起因するジャンルとなると話は変わってきます。

そして、いざ鑑賞してみると──。


Jホラー、新しいその形

怖い。なるほどこれはなかなかに怖かった。映像表現、音響効果など、恐怖演出に関して久しぶりに「こんなJホラーが観たかった!」と膝を叩きたくなりました。昨今のギャグキャラと化してしまったホラーアイコンとは質の異なる、原点に立ち返りつつ畳み掛けるようにカタチを変えてそばに居るものを穢して行く怪異の存在は、おぞましい。
この効果は、原作既読や既に映画を鑑賞した方なら感じたはずですが、『残穢』はホラー作品でありながらその謎を追い経緯を調べて行くほどに新たな謎が発生して行くという、ミステリーとしての側面が強いことが起因していると思います。一つの怪異が主人公とその周囲を取り込むのではなく、掘り下げれば掘り下げるほどに怪異は土俗的に姿を変えて行く。劇中でも触れらるように、その部屋ではなくその土地に、或いは物に穢れは憑いている。そこに住むだけで。語るだけで。聞くだけで。それは長い時間を経て伝播し穢れに触れた者を追い詰めていきます。知らぬ間に穢れに触れてしまっているかも知れない恐怖。今この瞬間に「それ」が起こってしまうかも知れない、自分にも起こりうる身近な恐怖がこの作品の性質でもあります。


フィクションの壁を越えて

{0D3C1974-B3D2-453C-9D93-A0860BDD21B6:01}
原作小説『残穢』は「私」の一人称視点で物語が進む、ドキュメンタリーの手法で描かれた作品で、設定や細かな描写など、私=作者=小野不由美本人という図式で間違いはないと思います。映画では改名されていましたが、小説版では他の作家仲間などが実名で登場し、よりリアリティに沿ったディテールとなっています。映画も多少誤魔化しもしつつ同じようにドキュメント風に展開しますが、これも相談者である久保さんと観客が同じ視点に立って怪異に遭遇し謎を探っていく、追体験的な効果をもたらしています。
これは作り話なのか、実話なのか。小野主上の原作小説はそんな境界線を容易く越えていつの間にか読み手であるこちら側まで「私」である作者と同じように資料を手探り、歴史とその因果を紐解いていくような感触がありました。
{9D8B3223-A466-4149-B6F9-E96C5A2E1F6A:01}
映画は完璧とまでは行かずともどこまで原作の恐怖感を再現出来るのか、という不安でしかなかった鑑賞前の思いは杞憂だったと言えます。


だからこそ苦言を呈したい

では、ホラーミステリーとして満足だったかと言うと、あくまで原作ファンの立場からするとラストはやり過ぎた感が否めず最後の最後で昨今流行りのスタイルに無理くり合わせたな、というのが正直な感想です。例えば原作を読んでいなければぶるりとさせられたとは思います。演出も効果的です。ただ、原作の根底にある土地の過去に起因した穢れにまつわる怪談という部分を意識していると、例え穢れに触れた者もまた穢れに晒されるとしても急な持って行き方で強引だった気がしました。


余談

原作小説『残穢』は出版社を跨いでの『鬼談百景』と同時刊行で、百物語として語られるエピソードの一つが残穢とリンクしています。
{9C15906F-E1AD-4E0F-A677-CE3B8483AC55:01}
{1AB4B134-5B4D-4F8D-AD62-BF8B92404DAC:01}
鬼談百景も十のエピソードが映像化され試写会にて鑑賞しましたがこちらもなかなか楽しめました(形態としては劇場公開なしの配信のみ)。
{96497058-30BE-476A-8282-63950D2943B1:01}

映画『残穢 住んではいけない部屋』を観て少しでも興味を持った方は原作小説『残穢』『鬼談百景』もぜひ。





今回はカンヌ広告賞を受賞したIntel×東芝の短編を原案にした、韓国発の恋愛ファンタジー映画『ビューティー・インサイド』を。
{D6A9AF13-260D-4513-A8F4-54D3F223208F:01}
今年に入って12本目の劇場鑑賞作品ですが、はっきり言ってベストの作品です。


目覚めては別人になる主人公

{242EFD01-2372-4837-87DC-91BA1771EFB5:01}
主人公は、眠るたびに容姿はおろか年齢、性別に至るまでが変わってしまう青年、ウジン。現代医学では信じられないようなその症状のために人との関わりを避け生きることを選択したウジンは、ある日家具店で働くイスに恋をして──。

なんですかこの設定。この時点でもうこの映画面白いに決まってるじゃないですか。

ウジンは前述のように姿が変化してしまうこの特質のために、なるべく人と関わることなく生きることを選びますが(仕事もウェブ上の家具デザイナー)、そんなウジンの秘密を知る二人のエピソードがまずは序盤で展開されます。その二人が、ウジンの母親とお調子者の親友サンベク。
高校生時代に初めての変化に動揺して泣きじゃくるウジン。母親は見ず知らずの相手を前に狼狽するも直後に彼の制服を見て一瞬で状況を理解して、彼を強く抱き寄せます。映画開始10分でいきなり落涙ですよ。母親の大きな愛情をこのワンカットだけで示す描写。いきなり反則技ですよ。
一方のサンベクの描き方もまた彼のお調子者の性格をしっかりと踏まえたもので、こちらは観客に予想外の笑いをもたらします。
ウジンの部屋で見知らぬ姿をしたウジンに対し、
「学校からの帰り道二人でよく食べたのは?」
「トッポッキ」
「じゃあ、俺の好きな日本人女優は⁈」
「アオイ・ソラ」
「アアアアア! ウジン!!」
このくだりほんと最高ですよ笑 でも実はこの緩急をつけた演出のおかげで、観客は安心してウジンというキャラクターに感情移入出来るのですね。


そんなウジンが、恋をする

眠ってしまえば二日と同じ姿ではいられないためにウジンという存在を消して刹那的な逢瀬に徹していた彼に、やがて転機が訪れます。家具店に勤務する、どんな客を相手にしても丁寧に接する実直なイスにウジンは恋をします。王道的な流れではありますが、ここからがウジンの本当の苦悩の始まりで、「目覚めるたびに別人になる」という要素を、映画は決して茶化すでもおもちゃにするでもなく、二人の視点で丁寧に心情を紡いでいきます。
{7B890470-8FB3-40CC-B6E0-B3440443C3C0:01}
この流れが本当に現実的で、「外見より中身なんて綺麗事」という批判のその先に映画は立ち、二人の実に歓びに満ちた人間的な恋愛ともがいてもがいて涙するような苦悩をウジンの視点を通して、それだけでなくイスという主観を通してしっかりと見せるのです。想像してみてください。あなたの愛する人が、中身は同一人物でも日々別人の姿になってしまっても、変わらず愛することが出来ますか?
映画はその問いに、真摯に向かい続けます。


完成された映画

{B4ED9CDC-2E1A-4595-8D9A-C66B957C3E81:01}
もちろん男女間で映画に対する見方も違ったり(僕は素晴らしいと思いましたが)、綺麗事だと切り捨てられるかもしれませんが、それでもこの映画は俳優の演技から監督の演出、脚本の構成など完成度は高く、ふと見せる笑顔や何も言わず繋がれる手、イスの見せる表情など、細かなピースがラストに向かって再び回収されていく伏線の張り方は、とても本作が映画デビュー作になる監督の手腕とは思えない作品です。ラストに向かえば向かうほど、物語がより完成していく様は見事としか言いようがありません。
1役を123人もの俳優が演じるのでたとえ有名なキャストであっても出ずっぱりとはいきませんが、それでもウジンという一人の人間を体現しようと見せる各俳優の演技は逸品で、日本から参加した上野樹里さんもまた重要なシーンでのウジン役とあってその眼差しに引き込まれるようでした。この女優さん、役者としてこんなに綺麗だったんだな、と。
{08218ACE-5E3F-4A5A-9A09-262B588A45F3:01}


とにかく、実は最初はウジンの設定に興味が湧いたとは言えどこか少女漫画的なノリで映画を鑑賞しましたが、これが良い意味で大きく裏切られました。紛うことなき純愛ドラマで、そこにはウジンとしての苦悩と歓びと、イスとしての歓びと苦悩が痛く切ないまでにしっかりと刻まれ、鑑賞後に大きな、大きな余韻を残す映画でした。
{04474D57-4155-45F6-9A51-550172C79300:01}


【ネタバレ】的な余談

この映画は、いわゆる「エンドロールが始まっても席を立ってはいけない」作品で、エンドロール中にあるサイドストーリーが展開されます。一瞬、ちょっと取って付けたようなシーンだなとも思いましたが、ふと、もしかして “彼女” の店に訪れていた “客” は──、と観客に判断を委ねる余地を与える作りになっていて、最後の最後まで優しさに包まれたような、そんな気持ちで幕が降りる映画なのだ、とさらに感動したのでした。
今回は試写会にて鑑賞したジョニー・デップ主演の『ブラック・スキャンダル』を。
{CB182DA7-C4F7-4CC3-A72B-CCD50B35E5E5:01}
実在した冷酷なマフィアを演じたジョニデの演技評ばかりが宣伝文句に目立ちますが、いざ鑑賞すると、やっぱりジョニデの演技が凄かったのです。


ジョニデ、渾身のベスト・アクト

監督は本作が三本目の作品となるスコット・クーパー。少ないフィルモグラフィーながら監督デビュー作である『クレイジー・ハート』でジェフ・ブリッジスにアカデミー主演男優賞をもたらした実績があります。つまり、クーパーは俳優の演技力を引き出すことに長けた監督であるということ。
{2FE10EA7-F096-4480-983A-385DB336138A:01}
そんな監督のもとに、もともと演技派として認められているジョニー・デップが参集しているわけです。ジョニデは振り返らずとも海賊や白塗りキャラクターを嬉々として演じていますが、今回は間逆の役作り。常にオールバックにした頭髪、黒のジャケットにジーパンスタイルで、異常としか思えない思考パターンの実在の人物ジェームズ・“ホワイティ”・バルジャーを抑揚の効いた演技で体現しています。無表情で引き鉄を引き邪魔者を消し、あるいは周到に配下に指示を出し障害を排除していく姿は冷酷無比そのもので、無表情でありながら青みがかった瞳には狂気が滲み出ています。
{6CC09D18-CABB-401E-AB05-EEF4DA44BE4F:01}
その容姿からは普段のジョニー・デップの雰囲気は一切消え、バルジャーが実際にスクリーンの向こうにいるような錯覚さえ起きる程です。


ジョニデだけではない。映画を支配する重厚なドラマ

ではこの映画がジョニデの演技だけで成り立っているかと言えば決してそうではありません。バルジャーの弟で議員ビリー・バルジャーを演じたベネディクト・カンバーバッチ、二人の幼馴染みであり映画の核心を担うFBI捜査官ジョン・コノリーを演じたジョエル・エガートンが、野心と私利私欲のために堕ちて堕ちて、堕ちていく姿をしっかりと見せています。
{FE1E8398-9B92-46A4-B183-174DFC66BE85:01}
また、三者に関わる妻や同僚(ダコタ・ジョンソンやケヴィン・ベーコンら)がドラマに一層の厚みを加えています。
イタリアンマフィアを一掃したいFBIのコノリーとボストンマフィアのバルジャーの思惑が一致した時、幼馴染みという絆を隠れ蓑に互いが強欲のままに突き動かされていく姿が、ボストンという地に根付いたそれぞれの信頼を切り裂いて行くようでそれがまた、切ない。二人に巻き込まれるように翻弄される周囲の人間が誰も幸せになれないように、この映画の中にある関係性はその結末のどれもが重く観客にのし掛かります。


音楽にトム・ホーケンバーグを起用した意味

血で血を洗う抗争がよりバルジャーを歪んだ現実へと踏み込ませ、報復の連鎖が激化していきます。しんと静まり返った瞬間に放たれる銃撃音に恐怖すら覚えますが、そんな演出の妨げにならないよう計算された音楽は、むしろ重低音でじりじりと響き渡り緊張感をピークへと高めます。
チェロなどの低音域の弦楽を主体に劇伴を作曲したのはトム・ホーケンバーグ
{13F168D7-5DED-4B30-A3A6-73CD37BA1AD8:01}
別名ジャンキーXLという作曲家で、実は昨夏の映画界を熱狂の渦に叩き込んだ『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』の音楽を担当した作曲家でもあります。ホーケンバーグはもともとリミックスアレンジャーとして有名で、映画音楽では他にも『300 帝国の進撃』『ダイバージェント』などを担当してそのロック・ドラムリズムが紛れもない特徴ですが、ではなぜそんな作曲家がこの重厚なマフィア映画を担当したのか。これは全く予想にしか過ぎませんが、監督は敢えてホーケンバーグの特色を抑えつけることで本編同様音楽的な面からもいつ暴発してもおかしくない狂気を表現しようとしたのではないかと思います。得意分野を抑制されたホーケンバーグのやり場のない力の持って行きどころがチェロの太く重い音色や、ギター、シンセなどのリズムに現れ、その不穏さが映画の緊張感を側面から追随するように高めていたような気がしました。
{0D9B1BCB-6B31-40E5-B283-3998D9F69E41:01}


公開日、迫る

『ブラック・スキャンダル』(原題:BLACK MASS)1月30日より全国公開。今までに見たことのないジョニー・デップと、実話とは思いたくないようなマフィア同士の抗争。FBIをも巻き込んだ史実(むしろそこに映画の主題があります)のその果てにある数奇な結末。新たなノワール映画の1ページとして刻まれる作品です。
予告編↓↓↓