思ふこと
以前、ツイッターで
「つまらない物をつまらないと切り捨てるのは簡単だから、なるべく楽しむ努力をしたい」
という、ありがたい言葉を引用させてもらったのですが
やはり、つまらないものはつまらいと感じてしまうときが多々ありますね。
よく、世間的に評価の低い作品がファンの中では高評価だったりするけど、やはり、盲目というのは怖いですね。ファンというものは、何でも面白く感じてしまう。僕はよくそういうことがあるから、わかります。
例えば、僕は西尾維新さんの信者なのですが、どの作品がオススメと言われたら必ず『ニンギョウガニンギョウ』と答えます。なぜならば、世間では人気のないこの意味の分からない作品を、西尾維新の大ファンである僕ならば十分に理解し楽しめるからです。
実際には、そんなことはないのですが、そう思い込んでしまうのです。これは中二病と言い換えることもできます。しかし、そんな言葉ひとつで片付けられるほど、簡単な問題ではないのです。
信者というものは根本的に思考が腐っています。本来ならば、面白いもの、あるいは面白い人であるから、世間的に評価されるのです。その結果ファンになる人もいるでしょうし、嫌いになる人もいるかもしれません。。
しかし、そのファンがいったん信者と化すと、信じられないような思考の逆転が起こります。
その人が作ったものだから面白いに違いないという、何の根拠にも裏打ちされない、極端な思考回路が出来上がってしまうのです。
その結果、面白くないのが逆に面白いとか、わけが分からないのがまたいい、とか、一般には理解できないような言動をとるようになります。
このことが、信者から崇拝される人物にとっていいことか悪いことかは判断できませんが、何らかの影響を及ぼすことは間違いないでしょう。
また、関係ない話になりますが、人間、流行には流されてしまうものです。村上春樹が流行れば、それっぽい作品が市場を占有し、『新世紀エヴァンゲリオン』が流行した翌年以降は、類似作品のオンパレードとなりました。近年で言えば、『らき☆すた』や『けいおん!』『みなみけ』などの流行もあり、このような作品が流行の最先端になっています。これにより、コンプティークや漫画タイムきららなどの弱小雑誌にも日の目があたり、よい効果をもたらしていることは事実です。
しかし、それによってゴミのような作品が横行していることもまた事実です。これは、先に出したような事例にも当てはまることです。
これにより、我々ユーザーは、自身の趣味にかなった作品を自身で探し出す審美眼を磨く必要性が出てきます。無数のゴミの中から、面白いものは自分で探し出さないといけないのです。
このときに、上記で示したような、ファン心理や信者思考というのもが邪魔になります。
皆さん、よく考え時間を無駄にしないように、生活するようにしましょう。
ちなみに、この推敲ゼロの文章を読むことも、人生においては無駄の無類に入ります。