今の俺は昔の俺ではないぞ~
「我々はなぜ生きていると思う――――――――ああ、すまない。この場合の我々とは当然人類のことだよ。そう人間だ。君や私と同じようなね。不思議だと思わないかい?永遠とも表現できる宇宙。その地球という星に生命が誕生したこと。何億年もの時をかけて生態系を形作ったこと。まさに神秘だ。そして人類はその生態系の頂点にいるんだ。60億もの人数で。この数はまだまだ増えるらしい。あと50年も経てば100億人に到達するそうだ。なあ、これはおかしくないか?ちょっと増えすぎじゃないか?だって、石油はこのペースで使い続けると60年くらいで無くなってしまうと言われている。何億年もかけてこの星が生成してきた化石燃料を、最近使い方を覚えた人類が200年あたりで全部使ってしまうのはどうなのだろうか。私には、何かが間違っている気がしてならない。我々は地球を蔑ろにしすぎているんだよ。当然、私や君も含んでだけどね。アマゾンなんかでは、人間が当然のような顔をして森林を焼く。伐採をする。あいつらは何もわかってないんだ。私は言ってやりたい。あんたたちが平気で切っているその樹が、そこまで育つのにどれだけの年月をかけてきたのかを。まったく冒涜的な行為だ。腹が立つ。君はそうじゃないのかい?まあ、君は背徳的な行為を楽しむ人間だから、そんなことはないのかもしれないな。話を戻そう。それでだ、こういったことが起こるのは、ひとえに、キリスト教的欧米合理主からくる義資本主義経済の責任であるといってもけっして過言ではないと、私は思うのだよ。その昔、自給自足的な生活を人類は行なっていた。そのシステムの中では自分に必要なものは自分で作ったものだ。現代機器に囲まれた生活をしている君には、なんとも原始的に聞こえるかもしれないがね。それで、充分だったのだよ。しかし、現在の市場経済システムは、貨幣経済で成り立っている。要するに、自分に必要なものは他人が作るということだ。君だって、いま身に着けている下着は自分で作ったものではないだろう。そのパンツはきっと、どこかの誰かが作ったものを、どこかの誰かがどこかの誰かの経営するお店に運んで、そこの店員が声をからして売っていたものだ。これには何の問題もないように思えるが、実はそんなことはない。現代では、地球規模で貿易が自由に行なわれている。各国が自国の得意とする産業を他国に輸出していく。これが問題なのだよ。いわゆる比較優位説というやつだ。高校の政治経済の授業で習った覚えがあるだろう。これは、たとえば、A国で、ある財・サービスを生産するための機会費用がB国での同一の財・サービスを生産するときの機会費用よりも低いならば、A国は当該の財・サービスにおいてB国に対して優位に立つというものだ。意味がわかるか?もし仮にだ。A国は自動車。B国は森林。それぞれが、このような特化した産業・資源を持っているとしよう。同時に、A国は森林資源に乏しく、B国は自動車を生産するだけの技術力がないとする。想像してみろ。この2国間での貿易の様を。B国は延々と森林を伐採し樹を輸出するしかないではないか。自然が奪われていくだけだ。だが、B国は森林破壊をやめることは出来ない。なぜならば、森林破壊こそがB国の貴重な財政の収入源だからだ。こんなことでいいのか!いや、ダメだ!わかるか君。世界ではこんなことが起きているのだよ!地球が破壊されているのだ。誰が地球を破壊している?我々だ!人類がやっているのだ。人間は地球がなければ生きてはいけない。なのになぜ破壊する?私たちはなんのために生きているのだ?ああ、考えれば考えるほどわからなくなってくる。思考の迷宮だ。ラビリンスだ。なあ、君はどう思う?私と一緒に議論をしよう。さあ――――だから早く布団から出てきておくれ」
「・・・・・・朝からうるさいやつだな、お前は」