闇歴史Ⅰ。これなら怒られない。
Ⅰ
私は大学へ行かねばならぬ。
もちろん勉学を学ぶためではない。
友のお見舞いに行くためである。
幼少の頃より病気がちであった友は幾度となく命を落としかけた。
そして、そのたびに大学に入院するのである。
大学に入院という表現は、なんともおかしなものではあるが、それは真実以外のなにものでもなく、またそれ以外に適切な表現がないのでそう書き表すしかないのだ。
私は友が通算13回目となる入院をしたことを虫の知らせで知った。本当は知りたくもなかったが知ってしまった以上お見舞いには行かなければならない。
たとえそれが虫の知らせでもだ。
その日は3日前に亡くなった父の葬儀の日であったが、しかたがない。
私は大学に行かねばならないのだ。
私は悲しみに浸っている家族を背中に我が家を出た。
大学まではおよそ1時間ほどの距離である。
1時間ほどという時間を距離として表現することが、日本語として正しいか正しくないかは別として、とても不思議なことにどのような交通手段を用いても、我が家を出発して大学に着くのは常に1時間後なのだ。
つづく
私は大学へ行かねばならぬ。
もちろん勉学を学ぶためではない。
友のお見舞いに行くためである。
幼少の頃より病気がちであった友は幾度となく命を落としかけた。
そして、そのたびに大学に入院するのである。
大学に入院という表現は、なんともおかしなものではあるが、それは真実以外のなにものでもなく、またそれ以外に適切な表現がないのでそう書き表すしかないのだ。
私は友が通算13回目となる入院をしたことを虫の知らせで知った。本当は知りたくもなかったが知ってしまった以上お見舞いには行かなければならない。
たとえそれが虫の知らせでもだ。
その日は3日前に亡くなった父の葬儀の日であったが、しかたがない。
私は大学に行かねばならないのだ。
私は悲しみに浸っている家族を背中に我が家を出た。
大学まではおよそ1時間ほどの距離である。
1時間ほどという時間を距離として表現することが、日本語として正しいか正しくないかは別として、とても不思議なことにどのような交通手段を用いても、我が家を出発して大学に着くのは常に1時間後なのだ。
つづく