みなさん、こんばんは。

 

炎のスズキです。

 

みなさん、初めて見たご自身の偏差値って覚えていますか?

 

私は

 

47でしたガーン

 

自分の成績を「上の下」か「中の上」だと思い込んでいて、家でも母親にそう伝えていました。

 

しかし中学に入って初の偏差値がまさかの50未満。

 

「中の中」か「中の下」だったわけです。

 

まさか自分が平均より下だとは思っていなかったので、びっくりしたのを覚えています。

 

それが中学1年生の中間テストの話です。

 

ちなみに、うちは父親が酷い学歴厨で、

 

「おまえは、太田高校に行って、東大に行くんだ」ということを本気で自分に言い聞かせてくるような

 

学歴厨のテンプレみたいな父親だったので、

 

偏差値は40台でも、難しいとは思いつつも

 

なんとなく勉強して太田高校に行かなければいけないような気持ちになっていました。

 

ていうか、たぶん自分は太田高校に進学することになるんだろうなぁと漠然と思ってました。

 

しかしながら中学1年生の時はどれだけ頑張っても(頑張ってない)偏差値60には届かず

 

やっぱり太田高校は無理なのだろうかと自分の能力に疑念を感じ始めてきました。

 

しかし

 

転機が訪れます

 

中2では一緒に遊んでいた友達がのちに太田高校に進学する賢い友達だった事もあり、勉強をするようになり、成績が伸び始めたのです。

 

テスト前になると一緒に勉強しようぜと誘ってくれる友人でした。

 

友達の家でよく一緒に勉強しました。

 

その友人のおかげで、学年で10位くらいまで成績が伸びて(170人くらい在籍)、偏差値も群馬県統一テストみたいなやつで偏差値64までいき、ついに太田高校が見えてきたかと思えるようになりました。

 

当時の太田高校は偏差値が65程度だと言われていて、もう少しで圏内だなと思えてきました。

 

しかしながら中3になると

 

その友達とクラスが分かれてしまいました。

 

成績もなかなか動かなくなり、模試でも平均偏差値がぴったり60。

 

めっちゃ安定の偏差値60でした。

 

悪くもないけど、良くもないような成績です。

 

でも頑張れない性格だった自分は

 

塾に通う事も考えず、

 

だからと言って、過去問を1年分やることすらせず

 

私立入試では白鴎の入試で(当時の名前は足利学園)数学6点を取るという失態。

 

太田高校は結局諦めることになり、館林高校を受験することに決めました。

 

当時の太田東高校はまだ新設校であまり評判が良くなかったため、回避したのですが、私の同級生は学校から16名が太田高校に進学し、太田東高校に4名が進学し、館林高校に16名が進学していました。太田東高校は避けられる風潮がありました。

 

ちなみに当時の自分は内申点を気にしないタイプだったので、中間期末はノー勉、模試はまじめに勉強をするというスタイルでした。

 

ただ、勉強をやる期間は模試の直前1週間で、好きな理社しかやらないという変則スタイルでした。でも毎日5時間くらいは集中してやってます。

 

当時は毎月模試があったので3週間何もしないで遊んで、模試が近づくと集中して1週間理社だけ勉強をしてました。

 

ただその1週間はめっちゃ集中して、毎回計画を立てて、その計画を確実に遂行してました。

 

塾には通ってませんでしたが、中2の時に仲良くなった友人の家が公文式の教室をやっていたので、週に2回公文式に通ってました。でも、自分は数学しかやってなくて、しかも自分は数学がアホすぎて公文式では算数の内容をやっていました。

 

公文式に入ったが中2の終わりで、1年間だけ在籍していたのですが、公文式のおかげで掛け算と足し算では、掛け算を先にやらなくてはいけないと知ることが出来ました。

 

ひたすらめんどくさい分数の計算を解いてバツばかりついて、ずっと直してばかりでめちゃくちゃ大変だった思い出しかありません。

 

そんな調子で勉強をしていましたが、

 

入試の時だけは2週間勉強をしました。

 

いつもの2倍、本人は頑張ったつもりでしたが、それでも嫌いな英数は1秒も勉強せず。

 

好きな理科と社会だけひたすらを勉強をしていました。

 

過去問があるとは聞いていましたが「同じ問題なんて出るわけないじゃん」っていう発想だったので、時間配分を身につけるとかそういう事はまったく考えないくらい能天気な中3でした。

 

結局合格はするのですが、点数で言うと約360点。順位は360人中80位くらい。

 

模試では10位~60位くらいの位置を推移していたので、本番は模試と比較しても最低の成績でした。

 

(昔の模試は学校で実施していたため、全員が受験していました。)

 

太田高校を目指していたのに、2ランク下げての高校受験でしたので、まったく緊張せず。

 

合格発表には寝坊するくらい緊張感のない合格発表を経験しました。

 

館林高校の入学式では、すごく挫折感一杯で、ボーっと椅子に座って校長先生の話を聞きました。

 

「おれ、太田高校に行くと思ってたけど、行けなかったんだ・・・」

 

入学式からこんなに挫折感を味わうと思いませんでした。

 

頑張ることすらできなかったくせに挫折気分を味わう資格もないですよね。

 

振り返ってもこの頃の自分が大嫌いです。

 

頑張れないくせに、なんとなくプライドが高かった気がします。

 

さらに高校に入って衝撃的な事がおこります!

 

模試が「国数英」の3科目になってしまったのです。

 

私の得意科目は理科と社会で、苦手が英数でした。

 

苦手な英数じゃどうにもならないだろ!!!こんなので戦えるか!!!

 

戦意喪失です。

 

根性がありません(汗)

 

平均偏差値60で館林高校に進学したものの、あっという間に下位へ転落。

 

ランクを下げて入学した高校で本当に情けないです。我ながら。

 

ほんとに頑張れない性格でした。

 

そして

 

高2の夏についに全校最下位まで転落してしまいました。

 

そこからは俗にいう深海魚

 

その頃は全然勉強に対する興味がなく、

 

1年間最下位に、館林高校の深海に君臨し続ける館林高校の最下位絶対王者になったのです。

 

この頃の自分は、取り憑かれたようにマリオカートをやってました。

 

ほんとバカです。

 

この当時の自分は、もう大学に行けるとは思っていませんでした。

 

でも、だからといって就職するとも思っていませんでした。

 

専門学校にいくとも思っていませんでした。

 

大学に行けるとは思っていませんでしたけど、大学には行きたいと思っていました。

 

自分なりに悩みました。

 

自分には二つ下の弟がいました。

 

自分が高2で、学年最下位だった頃

 

弟は中3で高校入試を控えていました。

 

私が塾なしで失敗したのを見て、弟は塾に通っていました。

 

弟の偏差値は自分と同じ約60。

 

自分は、弟に言いました。

 

進学校に行くなら太田高校に行け。

 

太田高校に行けないなら大学受験はもう無理だから進学校はあきらめろ。

 

俺みたいになるぞ。

 

そういうことを言う兄でした。

 

実際に弟は、第一志望太田高校、第二志望太田工業と進路調査に書いていて、

 

学校でもそのように担任に伝えていました。

 

担任には三者面談で「珍しいですね」と言われたらしいですが、弟はその決意のまま、揺らぐことはありませんでした。

 

ただ自分と同じ偏差値60なんです、弟は。

 

太田高校は厳しいんです。

 

自分は偏差値60からは厳しいと思い、逃げて館林高校に変えました。

 

弟は、同じ偏差値60だけど、太田高校に特攻すると決めたんです。

 

自分は複雑な想いでした。

 

自分と同じ成績

 

自分は逃げた

 

弟は特攻したんです。

 

弟にはもちろん合格して欲しいですけど

 

偏差値60から太田高校は無理だって!

 

そう思っていました。

 

しかし、弟は冬休みくらいからずっと机にかじりついてずっと猛勉強をしていました。

 

毎日毎日猛勉強をしていました。

 

当時高2の兄貴である自分は

 

徹夜でドラクエ5をやり、あっというまに全クリして、マリオカートをやりすぎて、左手の親指の皮がボロボロになっていました。

 

ペンだこなら分かりますよ、マリオカートだこってあるの?って話です。

 

弟がずっと頑張っているうしろで、自分はずっとゲームをしてました。

 

もやもやしてましたね、遊んでいる自分に。

 

でも頑張れませんでした。

 

そして、弟は合格しました。

 

偏差値60から合格しました。

 

弟が合格したとき、自分は涙が流れました。

 

弟を尊敬する気持ち、自分が情けない兄貴だという気持ちの両方です。

 

同じような局面に立って、

 

兄貴は逃げて、今はグダグダな高校生活を送っている

 

弟は、立ち向かい、そして勝った。

 

自分は本当に情けなかったです。

 

そして、高3になる春休み、弟の影響を受けて

 

少し勉強をしようと思い、ひとりで図書館に行きました。

 

勉強をしようと思って、

 

一題の英語長文を解こうと思って、全然解けず、分からない単語をノートに書き出し、辞書でひとつひとつ調べ、和訳を書いていきました。

 

それだけで数時間。

 

意味調べが終わって、さあ、読もうと思っても、意味を調べたのに全然読めなくて、意味が分かりませんでした。

 

分からなすぎるので全訳をしようとしてみましたけど、出来上がってくる自分が書いた和訳が意味不明。

 

これ、意味なくね?

 

こんなんで、出来るようになるわけなくね?

 

そう思って、自分に絶望して帰宅しました。

 

そこで、弟に自分が読めなかった長文を見せて、これってさ、なんでこの訳になるか分かる?って聞きました。

 

そしたら、弟が「ここに関係代名詞の省略があるのわかる?」って言ったんです。

 

私には衝撃でした。

 

「なんで、こいつには見えないものが見えるんだ?」

 

弟にあきらかに学力で抜かれていると自覚し、傷ついたのを覚えています。

 

頑張りたいけど、頑張ってもどうにもならない、頑張りようがない。

 

そんな想いで、受験した高3の7月の進研模試

 

それが全校最下位なだけではなく、群馬県で下から13位

 

130点/800点満点 をセンター試験模試で取ってしまいました。

 

前人未踏の金字塔だと思っています。

 

今まで何人か学年最下位ですっていう子を見て来てますけど、自分よりバカな大学受験生は見たことがありません。

 

やけくそでマリオカートばかりやってましたけど、本当はここから抜け出したかったんです。

 

でもどうにもならず、マリオカートばかりやってました。

 

そこで、いよいよ高3の夏を迎えます。

 

受験の天王山です。

 

クラスの友達みんながこんなことを言っていました。

 

「予備校の夏期講習に行く!」

 

え?予備校? なにそれ? 塾と違うの?

 

凄そう。面白そう!

 

そんなきっかけだったのですが、自分は予備校の夏期講習と言うものに興味を持ちました。

 

高校に入ってから、ひたすら怠惰な生活を送っていた自分、あきれ果てていた両親ですが

 

自分は両親にこう相談しました。怒られるかなと思いつつ。。。

 

「大学に行きたいって思ってきたんだけど、予備校の夏期講習に行かせてくれる?」

 

なにバカな事を言ってるんだ?って言われるかと思いましたが

 

「おまえもついにやる気になってくれたか」というリアクションでした。

 

ほんと感謝しかないです。

 

実際、自分は本当に大学に行きたいと思っていたのかと言えば、そうでもありません。

 

どちらかというと、みんなが予備校の夏期講習に行くって言うから

 

面白そうで、やってみたい。非日常が楽しそう。

 

正直なところ、この程度でした。

 

でも、母親のリアクションを見て、申し訳ない気持ちになりました。

 

予備校のお金を預かった時、本当に申し訳ない気持ちになりました。

 

「こんな救いようのないアホに、こんな金をかけてくれるのか」

 

「俺なんてやってもできるようになるわけないのに。こんなに金がかかると思わなかった」

 

などと考えながらも

 

親がなんとなく自分に期待してくれているように感じられて、なんとなく頑張るしかないと思いつつも

 

頑張れないでいる。

 

そんな状態で夏期講習に突入することになりました。

 

館林高校最下位が大手予備校の夏期講習に参加をするわけですが

 

実際、ここが運命の転機になりました。

 

転機になったのは予備校の授業ではありませんでした。

 

予備校に売っていた1冊の本に出会ってしまい、

 

これが自分に今までにない異常な爆発力を生み出してしまったのです。

 

 

「おまえはバカじゃない」

 

これを本棚で発見しました。

 

このリンクが自分が受験生当時だった頃のものですが、改訂版が出てますね。

 

 

 

 

「あ、おれにぴったりな本を見つけたぞ」

 

軽い気持ちでこれを手にしたのですが、

 

これで、性格、人生ぜんぶが一夜にして変わりました。

 

すべてがひっくり返りました。

 

次回のブログでは、この本について語ります。

 

あのとき、たまたまこの本を手にすることがなかったら

 

今、私が働いている塾が、ここに存在することはありません。

 

これを読んでくれている皆さんと私の人生が交錯することはありませんでした。

 

次回のブログを楽しみにしていてください。

 

私が炎の受験生として生まれ変わります。