3.11 について 



3.11

テレビから流れた 避難指示のことば

気象庁の 当時の発表が よみがえります。

テレビはほとんど 広告もなし。

ただただ 津波が押し寄せる 恐ろしい光景を

まのあたりにしている 一視聴者として

呆然としていたことと 記憶しています。

その後の 原発建屋の事故発生。

責任の所在を 東電だけに押しつけていて良いのだろうか、

と 国はもう少し 何かを隠ぺいする体質を避けて

なにかしらの予算なり、経済的な困窮をもたらさない方向で

未来を 13年も経った今、今こそ

これからを見据えて 復興のために

尽力する人たちを 支えつづけていてほしいと

願い、祈ります。

漁業者のためだけでなく そこに暮らしていた

人びとの その生きのこった人たちを

どう 支えて行くか。

原点にかえれば 緊急対策会議で さんざん議論された当時の

課題 未解決な部分を もう一度

洗いだし 手を尽くしていくこと

例えば燃料デブリの問題 新たに抱え始めた処理水の問題

避けて通れない 問題を提起し その問題意識を

持続する、体力を持つ。

これからを生きる若い人たちには 話はわかったとして

とうてい理解できない 課題を

のちの世代に負わせないよう、今のうちに

大人たちが 解決して置かねば。

安心して委ねられるシステムを構築して

日々研鑽し続けることです。

原発事故問題は 今後避けて通れない。

時の首相が誰であろうと 継続的に

厳しい目で検証し、一日も早くその安全性を

確保するための 研究 人員 技術者に対して

国の予算はあてがわれる必要が在ります。








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