昔の田舎で開催されていた、家で開催する宴会をしてみた件 | 外反母趾の母のために企画した【ミスキョウコ】のブログ

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アッソインターナショナル代表の芦田です。

 

先日、大学でオーケストラ部に所属する息子が、

団員5人連れて、実家に帰ってきました。

実は過去にも、こんなことが何度かありましたが、

平たく申し上げると、ただの飲み会です。

飲み会のレギュラーメンバーが数人、新メンバーも加わります。

 

当然、私たち夫婦はもちろん、

娘たち、今回はその友達も加わり、宴席が進みます。

また、勉強というか研究中心のメンバーなので、

私の経営者仲間にも加わっていただき、

総勢16人の大宴会になりました。

 

一番下は18才、中心世代は24~25才

そして、オジサンチームは50~65まで。

世代が入り混じり、様々な意見が飛び交う、

今回も、素敵な会でした。

 

我が家では、こういった家呑み宴会は、

良く開催されます。

その為、子供たちも、宴会準備から、段取り、そして

酔っ払いの大人たちの取り扱いにも、慣れています。

 

 

昨夜、みんなを見て感じたのですが、

おそらく、昔の日本、まだ、社会が村というか、

神社の氏子会単位の社会だったころって、

こんな風に世代が入り混じって、

時代を超えて、酒を酌み交わし、

将来の夢を語り合い、自分の考えを修正したり、

もっと新しい方法を学んだり、

そんなことが自然な社会の中にあったのではないでしょうか?

 

逆に言うと、そんな機会が自然にあることによって、

自分の考えをアウトプットする機会があり、それに向かって意見を交わし

そこで社会にもまれて、修正して、社会性というか、調整能力が身についたり

新しい視点を得たりしながら、大人になって、

次の社会を作って行ったのかもしれないと感じました。

 

昔の村社会にはいいところと悪いところがありますね。

コミュニケーションが得意じゃない人には、辛い社会だったかもしれません。

一方で、そんな落ちこぼれや、遅れをとってる人も、

受け入れていく、許容量のようなものがあった気がします。

 

 

4回目の参加の、通称ビックは、もう家族のようなポジションになってます。

そもそも、大学の先輩の実家にみんなで飲みに行くって話なんで、

参加するのも若干ハードルがあるのに、

行ってみたら、百戦錬磨の怖いおっさんが、待ち構えてるので、

大学生も最初は、緊張気味でしたが、

お酒の力って、すごいですね~~。

1時間もすると、打ち解けあって、

2時間すると、もう昔からの友人みたい。

 

翌朝起きてみると、床にマグロのようにぶっ倒れてる

大学生たちに、カプチーノを飲ませて、

またまた研究室に送り込みます。

 

令和のこの時代に、昭和のコミュニケーション

未来を作る若者たちに、

是非、引き継いでもらいたいと思っています。