アッソインターナショナル 芦田です。
少し最近感じていることを、書かせてください。
そもそも人は、それぞれ固有の視点があって、それを掘り下げると個性になります。
生まれ持ったものもあるし、ご家庭などその環境によって育まれたものもあります。
大きくなると、親から与えられた価値や環境以外の事も
経験することから、それぞれの個人が、自分で選択肢を広げます。
自分の興味・関心があるところを、どんどん掘り下げ、
自分らしさ、つまり個性に磨きをかけていきます。
さらに大人になると、その様々な個性が組み合わさって
新しい価値を生み出したり、社会のバランスを取ったり
いわゆる社会を支える一人として役立っていきます。
例えば、仮に親に与えられた価値観がすべてとして、他の価値を受け入れなくなると
大きな社会では困りますが、小さな社会、例えば、ちいさな村社会では
それはそれで、似たものが集まり、村独自の文化として成立することが出来ます。
例えば、仮に自分の興味・関心があるところを、どんどん掘り下げ、
自分らしさ、つまり個性に徹底的に磨きをかけるのは、研究・文化・芸術などの世界ではありだし
経済の世界でも、スティーブジョブズのような方もいます。
ただ、私個人的には、日常生活を送っている中で、違和感を感じることがあります。
この両方のケースが、中途半端になった場合です。
親に与えられた価値が、どこかの宗教のケースは極端ですが、
偉大な父のもとで育ったご子息が、父の本質的な意図を十分に理解せず
その表面的な形式だけを愚直に守っているケースはよく見かけます。
そういった場合、成功とはいえないケースが多く、その原因を、
まわりの環境に求める方をよく見かけます。
自分の興味・関心があるところを、どんどん掘り下げ、
スティーブジョブズのようになればいいのですが、
それには程遠く、掘り下げが不十分というか、そもそもモチベーションが不十分な方も
良くお見掛けします。
この両方のケースは、私が日本人だからかもしれないですが、
日本人の特有の性質のように感じています。
一言で言うと、依存型の方が多く、
「ぶら下がり」や、「寄らば大樹の陰」的な発想です。
もう昔の話ですが、私の友人の会社社長から、このような相談がありました。
彼の会社の営業部の募集に、私とほとんど変わらない50代中盤のおじさんが応募してきました。
自戒の念を込めて申し上げると、バブルの猛烈時代を生き延びて来た世代です。
この時代の人は、ほぼ全員、一定の成功を収めています。
当然優劣はありますが、IT以前の基本的には何でも売れた時代ですので、
そりゃ、大小問わなければなんでも成功経験はありますし、
そんな時代ですので、評価基準も適当だった時代でした。
実際のその営業マンの成績は、見るも無残な状況で、新しい営業開拓どころか
与えられた営業先の成績も、転がり落ちるように下がってくのですが、
自分の報酬には、大きなプライドがあるようで、その主張は一流です。
何とか、育てようと、社長さんもあの手この手で新事業に着手しますが、
市場の評価を得るには程遠く、その営業マンを手放す決断に至りました。
友人社長は、営業マンの退職後、関係会社の担当者を回って
「悪いのはわたしです」と言い続け、頭を下げて回りましたが、
私から見ると、その営業マンの実力・個性は、いささか表面的で、掘り下げに欠けていました。
私は客観的に見て、その報酬額は、彼の実力から見て妥当な額でした。
50代中盤の報酬として、良い悪いではなく、客観的に見て実力以上と思います。
自分が受け入れた限り、何とかしようとした、友人社長の気持ちはよくわかります。
経営者は、その責任から逃げることはできません。
またその気持ちに甘んじた、その営業マンの気持ちもわからなくはないのですが、
正直なところ、言い分が20~30代の主張なので、50代の主張としては、
いささか幼稚な内容でした。
話を元に戻します。
人は、社会の中で様々な価値観とぶつかり、切磋琢磨しながら
協調しあって、社会を構成します。
また、人生をかけて培った自分の固有の価値を、家族と共有し
子どもに伝え、次の世代に繋げていきます。
私のようなバブル時代の成功経験は、環境要因が大きすぎて、
今の時代では、何の役にも立ちませんし、参考にもなりません。
また、IT以前と、IT以後では、時代が変わってます。
私自身が、自分自身を客観的に見て、自分に足りない物を知り、それを学び続けないと
すぐに陳腐化し、価値を生み出さない老害となります。
逆に、それを知り学び続けるものだけが、時代の変化を超えた
自分なりの個性を得て、真理を見つけるのかもしれません。
これは今の時代に限った話ではなく、太古の昔から同じでした。
大切なことは、家族がいて、子供がいる親であるならば、
今の自分の個性や自分の真理は、子供に伝える価値のある物なのか?
を自分に問う必要があります。
もしかすると、今の自分は画一化した価値の中でしか生きることが出来ない村の、
一村民になっていないか?
決まった人と、決まった場所だけで生きようとしていないか?
何よりも、自分の価値判断は、自分が軸ではなく、
他人の判断、他人の責任に依存していないか?
自分が所属するグループや会社の価値判断=自分の価値判断になってないか?
また、所属こそが価値、所属こそが権利になってないか?
またそれを強く求めていないか?
先述の営業マンのように、「所属を権利」として、パラサイトのような転職先を
探してるならば、そんなことを子供に教えるなんて、あってはならないし、
次のパラサイトを生み出す、社会のがんになります。
自戒の念を込めて話すと、不幸なことに、私の同世代には
こんな不十分な大人はいっぱいいます。(いい人もいます)
私たち、特に50代60代の現役世代は、それを客観的に認識し、
学びを持って、次世代に繋げる努力が、他の世代以上に必要と感じます。
くだらない話に最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
私の独り言として、ご笑読くださいませ。
あしだ