中国思想の変遷の概略として、儒教から朱子学、そして陽明学と変わっていた概要を説明したいと思います。

陽明学ーその1、朱子学批判・・中国の宗教改革
リンクから紹介します。


<一部引用>

 元来、孔子がとなえた儒教は、「おのれを修め人を治める」(修己治人)を目標にした実践的なおしえでしたが、前漢の時代に国教化された後は、春秋戦国時代の儒家ののこした書物に「1語の解釈に3万字を使う」といわれる煩瑣な解釈をするだけの無味乾燥なものになってしまいました。

 その後、これを是正しようとして宋の時代(西暦960~1279)におこった朱子学も、明になってからは国家公認の学問として批判を許さない権威を持ち、そのうえ、その教えは「人間社会のすべては、権威に従い永久不変でかえられないもの」だとされていました。


 そのために人々は形式的にそれにとらわれ、しばられており、きゅうくつな生活を強いられていました。 そして、朱子学のみで儒教経典は解釈され、朱子学の解釈を否定することはやってはならないこと、とされていたのです。


 しかし、幼い頃から朱子学による思索によりノイローゼになったりいろいろな苦悩をしたことから、 朱子学に疑念を抱いていた王陽明は、1518年、儒教における「般若心経」ともいうべき根本経典、『大学』が朱子学の開祖・朱熹により文章が朱子学の主張に合う形で変えられていたことに反対し、古典本来のすがたに戻した『古本大学』(こほんだいがく)を出版。朱子学の解釈を否定し、権威にやみくもにしたがうのではなく、みずから責任をもって行動する心の自由を説いたのです。


「学問とは自分の心を正しく捉えることを貴ぶもの」というところに、別名「心学」とも呼ばれる主体性を重んじた陽明学の面目が伺えます。この年、ちょうどヨーロッパではルターがカトリック教会に立ち向かい宗教改革を行っています。

<引用終了>



 朱子学は支配イデオロギーとなり、それ故に体制擁護としての作用が肥大化し、かつての道徳主義の側面が失われていきました。理想論的側面が強くなり、実態として機能しなくなっていったということです。
 陽明学は朱子学を批判します。たとえば「知行合一」など、陽明学の特徴は理想論ではなく、行動の哲学でした。世の中が乱れる危機の時代に登場したということです。

 「知」と「行」、つまり認識と体験とは一体不可分であって、両者が離れてあるわけではないと王陽明は説きました。また「知は行の始めにして、行は知の成なり」とします。これが「知行合一」です。