平安時代
通い婚の時代での帝(天皇)においては、

女御と家族が入った宮中の殿舎に、
天皇が三夜しのんだ後発見されたという「露顕(露見)」(ところあらわし)という宴をおこなう。
これが現在の披露宴に該当する。


民間においても、平安期の結婚は男性が女性の下に三夜続けて通う形式であるが、
女性の家ではその間訪れる男性と従者を接待する。

(源氏物語などでえがかれている)


3日目には露顕(ところあらわし)という披露宴が行われ、新郎新婦が披露される。
列席者は妻側の関係者のみに限られる


江戸時代になると
婚席に神々が臨在するという考えは中世の床飾りから見られ、
江戸中期の貞丈雑記に明文化される


新郎の自宅に身内の者が集まり、高砂の尉と姥の掛け軸を床の間に掛け、
鶴亀の置物を飾った島台を置き、その前で盃事をして結婚式をする、
いわゆる祝言が行われた。
家の床の間は神様が居る神聖な場所で、

掛け軸や島台も神さまの拠り所でもあり、
当時から結婚式は宗教と密接な関係があった。

10月 (旧暦)は「神無月」であったので、結婚式はこの月を避けて行われた。

(いまだとオンシーズンなのにねぇ)

近現代
1900年(明治33年)5月10日に皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)と九條節子のご婚礼が
神前式で行なわれ、この模様が全国に伝わり現在の方式が確定した。
また高度経済成長期に結婚式場によるキリスト教式も流行する。

時代によって流れはあるんだなぁ

でもスタイルが減ることってあまりなくて

何らかの形で残っていってるきがします