会ったことのないライバル 高校への数学 | Sepia Wind deux

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雑誌に自分の名前を見つけた時って嬉しいですよね。
私も写真で、某老舗写真誌に何度も掲載されたことがあるので気持ちはよくわかります。
 
ただ写真雑誌に投稿していた私の場合は、掲載される一ヵ月ぐらい前に、入選した旨とその写真を撮ったときの状況と撮影データ等を返信するよう、往復はがきで連絡が来るので、嬉しいのはそのはがきが来たときなんですよね。
 
ですから、何度か入選すると、はがきが来る時期がおおよそわかるようになるので、その時期になると家の郵便ポストを確認するのにドキドキするようになったものです。
 

でも、写真の話は次回にするとして、今回は子供が投稿していた数学雑誌の「学力コンテスト」の話です。通称「学コン」。
知らない方もいるかもしれませんので説明すると、東京出版から出ている「中学への算数」、「高校への数学」、「大学への数学」という雑誌があります。

その巻末あたりについている添削問題で、毎月その問題を解いて編集部に送るわけです。
採点するのは現役の東大生等が多かったですかね。一般の通信添削に比べると、一回あたりのチケットも割安で、採点者にもよりますがおおむね添削もすごく丁寧だった記憶があります。
 
「中学への算数」に出会ったのは、以前にも書いた宮本哲也先生の情熱大陸を見た翌年ごろですかね。
4年生のころだったかもしれませんが、当時は宮本先生のパズルを解いて送っていた記憶があります。
 
まあ、息子はNN後半で私も驚くような算数の伸びを見せてくれましたが、4年生当時は教科書の中学レベルまで先取りしていたとはいえ、それほど得意という意識はありませんでした。
ですから「学コン」を送れるような実力がついてきた6年夏以降なら、それなりに解けたかもしれないのですが、当時は目の前のカリキュラムをこなしていくのにいっぱいいっぱいで、「中数」をやっている余裕はなかったですね。
 
でも、パズルとはいえ、雑誌に名前が載ったのはうれしかったですね。
で、ウチがよく送ったのは「高校への数学」の前半でしょうか。

「高校への数学」は全般的に高校受験の入試問題をよく扱ってはいましたが、「学コン」は、ちょっと趣味的な難問が多くて、毎月の成績優秀者も、灘や筑駒、開成、栄光、聖光等の中高一貫校の生徒が多かった記憶があります。
まあ力自慢の子たちが力試しという意味合いも大きかったかもしれません。

ウチは、通学時間の関係から基本的に塾通いは考えていなかったこともあり、特に中学時代はこの「高校への数学」と、Z会の通信添削を中心に勉強していました。
中学受験の終盤には、算数の実力が飛躍的に伸びたこともあり、中学1年時には、ジュニア数学オリンピックの予選にも参加したりしました。
 
で、「高校への数学」でしたね。
最初はなかなか手ごわかったのですが、その都度テキストや参考書を読みつつこなしていくうちに、これも1年の夏ぐらいから高得点を取れるようになりました。

成績優秀者にはほぼ毎回名前がのりましたし、得点により、1位から3位までには賞品も出るのですが、ウチは中1から中2までの二年間の間に、1位、2位、3位の各順位をすべて獲得して、それぞれの賞品であるルーズリーフのバインダーをいただきました。
今はどうか知りませんが、ウチのがやっていたときは全部バインダーでしたね。順位が高いほど、豪華なバインダーとなっていました。
たしか「高校への数学」という印字もされていたと思います。
 
ちなみにZ会も、中高一貫校生向けの「学力ランキングコース」にも参加していましたね。
これは、毎月の添削問題とは別に、2カ月に一回ずつ、英語と数学のテストを受けるものです。
 
で、累積の得点により隔月ごとに順位が出て、一年間通しての最終順位で上位3名には金銀銅賞が贈られるというもの。
 
この「学コン」や「学力ランキングコース」を長くやっていると、成績上位者でよく目にする名前がありますよね。
雑誌や成績が開示されるたびに、今回は勝った、負けた、この人はすごすぎる等、会ったこともないのにいろいろ想いを馳せたりしたものです。
 
会ったことのないライバル。
塾でのライバルたちみたいな感情が、まさにこの会ったことのないライバルたちにも湧き上がって、それがモチベーション維持につながるとよかったのですが。
 
 
こう書いていると中高時代も順調に勉強を進めていたように思われるかもしれませんが、やはり反抗期みたいな時期があったんですよ。

特に中学の後半あたりから「数学はそれほど好きじゃない」、みたいな話を本人が主張したこともあって、「学コン」もZ会も、数学オリンピックもすべて途中で撤退することになってしまいました。
 
個人的には、せっかく才能があるのにもったいないな、とは思いました。
特にジュニア数学オリンピックは予選で5点。あと1点で本選に出られたわけですし。
 
これなら翌年はいけるかも、などと勝手に思っていたのですが、本人の気持ちが一番大事ですからね。
まあ、私もいろいろ頑張らせすぎたかな、という反省もありましたから。
 
それに大学入試を考えると数学だけに特化するよりも、英語を含めた総合力重視に転換するのも悪くないとは思ってもいました。
ですから中学後半から高校前半は最低限の基礎的な実力を落とさないよう学校のテストや模試の結果に注意しながら、ゆっくり本人のやる気が回復するのを待った感じですかね。

最終的には、高2の後半ぐらいから同級生のやる気が感染してきて、ガンガンやるようになってくれたのですが、それでも中学後半から高校前半の時期も基礎力だけは落とすまいと、最難関クリアを目指した最低限のサポートを維持していたのがよかったように思います。

中学受験でも6年の前半にサボって成績が急落したものの、基礎がしっかりできていたこともあり、短期間で復活したということがありました。
高校ではさすがにそこまでの落ち込みはなかったのですが、やはり数学と英語の基礎力がしっかりしていれば途中でしばらく中休みがあっても、比較的短期間で取り戻すことが可能なんだなと思った次第です。
 
さて、次回は『わたしたちの伝説の一冊』に出てきた印象的な、「才能に仕える」、という言葉について書こうかなと思います。
 
 
 
 
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