そもそもHSPとかエンパスとかっていう資質は、
人間だけでなく、動物にもあるらしいんですよね。
これ、いっぱい読んだ(笑)本の中にあった例え話なんだけど、
例えば、
敏感で繊細で臆病な鹿と、
大胆で積極的で行動的な鹿ってのは、
群れの中に、ある比率でいつもいるようなんですね。
その群れの縄張り内に、
なんらかの理由でもう食料がなくなった時。
このままじゃあ、みんな飢え死にしちゃうよ、
早く新しい場所を探そうよと飛び出していく鹿と、
いやいや、知らない場所は危険がいっぱいだよ、
ちょっと様子を見てからじゃないと、と空腹でありながら留まる鹿。
ある時は、大胆な鹿達は、天敵に見つかって全滅し、
ある時は、臆病な鹿達は、食べる物がなくなって全滅した。
けれども最初のその群れ自体は、全滅してないんですよ。
だから、長い長い生物の歴史の中で、
淘汰されずに残されてきた、この敏感資質は、
種の生存戦略のひとつでもあるのだと、
そう説明されていました。
とは言え、過去にも何度か書いてきましたけど、
こういった概念が発表されて日本でも広まるまでは、
敏感気質たちは、自分のそれを、他の人よりも劣る質であると、
社会の中でそう認識し、なんとか「普通」であろうと、
密かに努力したり、隠したりし続けてきたんじゃないかと、
そう思うんですね。
特に今、既に大人であるHSP達はね。
だからこそ、これも何度か書いたけども、
「あたしってぇ、人より敏感だしぃ♪」とか(笑)
何かの優越感を持つみたいに、だとか、
だからもっと私に気遣えとか、丁寧に扱え的な
言外の圧を持って語るようなタイプは、
逆にいろいろと「読めないさん」が多い気もしているワケです(^m^)
この概念を知った時、HSPは例外なくみんな、
ほっとしたはずなんです。
今まで長い間、親や社会や自分自身の手で抑圧してきた自分が
ちょっと解放されたみたいな感じでね。
なんだ、私が悪かったわけじゃないんだ。
私が情けない弱虫だったわけじゃないんだ。
これ、インナーチャイルドを認めて、
大人になった自分が、
うんうん、よしよし、
すんごく頑張ってきたねってすることに近いと思います。
私自身は自分がHSPだと思いたくなかったので、
しばらくの間、抵抗してたんですが(^m^)
幼少期の数多くのやらかし(笑)に
この資質で全てきっちりと説明がついてしまったんですね。
だから認めざるを得なかった。くそう(笑)
だけど、じっくりゆっくり
それらを思い出して、腑に落とす時間に、
実は涙が出るほど、救われてたんですよ。
どれだけ自分を責めてきたんだろうと、
それでようやく気付いたんですよね。
だって、現大人の敏感さん達が育ってきた時代は、
今よりも「個」を大切にされなかった時代だから。
国民みんなが同じ方向を向き、
努力して国を整えてきた世代の大人達に育てられてきたから、
人と同じようにできないことは、
そのベースにあるものがどんなに素晴らしい資質だったとしても、
「優」ではなく「劣」だったんです。
中にはアバンギャルドな人もいたかもしんないけどさ。
多分、現代より少なかったと思うよね。
あの時代にそれができる人はきっと、HSPではないか、
HSPであったとしたら、隠し通せない天才じゃないかなあ。
だからこそ、天才でない私達は、
一生懸命隠したし、努力したし、
私の場合で言うと、手相まで変えて(笑)
小さい頃は違ってたけど、長じるにつれて、
細かいことを気にしない自分を作り上げてきた、
それは自分の努力だって自負すら、持っていました。
だからそれに、とっても満足していました。
いや、マジで(^ー^)m
元々の質として、
一番一番根っこの部分がどーん(笑)としてるってのがあるので、
私の場合のさざ波は、ごく表層に近い部分と、
肉体的な部分が主ではあるんですけどもね。
だから今、こういった概念に触れ、
自身の過去や気質を肯定してもいいんだね?っていう解放感の中で、
私も!私も!あ~分かる!そんな言葉が飛び交っても、
そりゃまあ、仕方なかったりしますよね。
そうでない方には、多分想像のつかない経験を、
そりゃあもう、たっくさん、してきているのですから。
そもそもHSPは境界線が人より薄いんだしね(笑)
普通の人がタマゴの殻だったら、
きっとHSPは、その下の薄いふよふよの卵殻膜だけで、
表に出てるようなもんなんで。
そしてそれを見た、HSP以外の方が、
なにそれ、気持ち悪い、近寄れない、と、
そう思っても、まあまあ、仕方ないかなと。
一時、生温~く、見守って頂ければなと(笑)
そんなふうに思います。
だってそれ「汗っかきあるある」とか
「活舌悪いあるある」とかと一緒なんですよ。
ああ、そういうところに、凸しちゃう人は、
その方の中の何かが、ささくれちゃったんだと思うけども、
自分達ばっかり特別と思いたいのねー的な
感情丸出しの言葉を投下してしまったら、
後からどんな言い訳をしても、全て台無しですよねえ。
え?これ「劣」じゃなくていいの?
嬉しい~救われた~って集っているところに、
何か特別感を見出してしまったのは、その方自身。
そっかあ、あなたもあなたの思う特別でいたかったのねと
思われてしまうわね。
汗っかきだの活舌悪いだのは、
一般的には羨ましがられないと思うけどさ~、
そんなマニアもいるかもしんないけどさ~、
コトが「敏感」ってところなのがね。
本人には苦痛だったのよ、ホントに!ってのが、
理解して貰い難いって点が問題なんでしょうね。
なにそれ、自慢?
多分、そう、思われがち。
そういう方の中には「繊細=優」があるんだね。
実は私だって、もしかしてそうかも~ってお話する皆さん全てが
HSPかと言ったら、違うかもしれないと思ってもいます。
だけど、例えそうでなかったとしても、
個々に持つなんらかの「思い当たるフシ」が
多少なりとも、心にひっかかるものとして抱えていた何かが、
これを機会に、いろいろと思い出した記憶が、
こういった概念があるって知ったことで、
ふうっと楽になったりするのなら、
そしてそれが個々の「生き易さ」に繋がっていくのなら、
別に本当にHSPかそうでないかの線引きは、
どうでもいいんだよね~。
そして、こういうことで苦しんできた人達は、決して、
「あたしってぇ、人より敏感だしぃ♪」みたいな
ある種の圧や優越感を持って、
人に何かを押し付けたりはしないのです。