「長崎原爆被爆俳人松尾あつゆき」殿岡駿星が「平和プラザ」で講演 | 勝どき日記

勝どき日記

愛語よく回天の力あり、生きている証を綴る。

●写真は、「平和プラザ2024 平和をねがう中央区民の戦争展」で、殿岡駿星が「長崎原爆被爆俳人松尾あつゆきと橋本夢道」と題して講演、横にある掛け軸は橋本夢道の俳句<いくさなき人生がきて夏祭>です。(講演を聴いた藤田正五さんがフェイスブックにアップしてくれました)

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 ◆「長崎原爆被爆俳人松尾あつゆき」
   橋本夢道が1947年に「俳句人」に紹介 
<降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾(さか)りつ>   
    殿岡駿星が「平和プラザ」で講演◆    
□■□■□■□■□■□■□■□殿岡駿星□■
第833号          2024/08/16  
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◆「長崎原爆被爆俳人松尾あつゆき」 
  橋本夢道が1947年に「俳句人」に紹介  
   殿岡駿星が「平和プラザ」で講演◆   


2024/08/10の午後4時から、東京・月島の区民センターで開催された、「平和プラザ2024 平和をねがう中央区民の戦争展」で、殿岡駿星は、「長崎原爆被爆俳人松尾あつゆきと橋本夢道」と題して、講演をしました。

長崎に原爆が投下されたのは、1945年8月9日午前11時2分でした。死者は73,884人、重軽傷者は74,909人でした。松尾あつゆきは、妻子6人家族で長崎市内で暮らしていました。しかし、原爆の投下直後に長男、次女、三女の3人が死亡、重傷の妻は15日に死亡しました。武器製造工場で勤労奉仕していた長女は重傷でした。

あつゆきは、爆心地から離れた職場にいたため助かりましたが、妻子4人が死亡したため阿蘇の火口に飛び込んで死のうと思ったのです。しかし、重傷の長女の看病のため、それもできず、「私は句を作ることにのみ生きる価値を見出そう、ではない。それよりほかに生きる価値を見出すことができないのである」と俳句作りをします。

橋本夢道は1947年秋、所属する新俳句人連盟の機関誌「俳句人」に、あつゆきの原爆俳句10句を「近ごろ一般に低調と目されている自由律俳句の中では特に突きぬけて優れたものである。」と紹介しました。当時は、GHQが原爆被害についての報道を禁止し、新聞各社に兵士が入って、事前の検閲をしていました。検閲は、日本が独立する1952年4月28日まで続きました。 

でも夢道は、投下から、わずか2年に全国に読者がいる俳句誌に、紹介したのですから、勇気がありました。夢道が紹介した、あつゆきの原爆俳句10句は以下の通りです。

◆松尾あつゆきの被爆10句
 ○こときれし子をそばに、木も家もなく明けてくる
(二児ばく死)
 ○すべなし地に置けば子にむらがる蝿
 ○炎天子のいまはの水をさがしにゆく
(長男亦死す)
  ○この世の一夜を母のそばに、月がさしてゐるかほ
 ○外には二つ、壕の内にも月がさしてくるなきがら
 ○ほのほ、兄をなかによりそうて火になる
 ○かぜ、子らに火をつけてたばこいつぽんもらうて
 ○まくらもと子を骨にしてあはれちちがはる
 ○なにもかもなくなつた手に四まいの爆死証明
(妻も亦死す)
 ○降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾(さか)りつ(八月十五日)

◆松尾あつゆきの言葉=『いまぞ熾りつ』被爆と反核の俳人松尾あつゆき』=信濃毎日新聞上野啓祐記者の著作から(要約)

あつゆきは近くの国民学校の校庭に妻(千代子)の遺体を運んだ。ラジオが聞こえた。「正午から重大放送があるので聞くように」と告げていた。対ソ宣戦布告かと思った。長崎に原爆を落とした9日、日本との中立条約を破棄したソ連が、日本の勢力下にあった満州(現中国東北部)に突如攻め込んだのだ。(ちなみに、信州から大勢が入植した満州移民の悲劇も同じ9日から始まった)あつゆきは風の便りにソ連参戦のことを知っていた。

予告された「重大放送」が始まったのは、千代子を焼く火が燃えさかってきた頃だった。まず「君が代」が流れた。だが、その後の言葉は、雑音だらけで、何をいっているのか分からなかった。諦めてまた火を見つめた。また誰かの遺体を運んでくる人たちが、校門をくぐってきた。あつゆきが先ほどのラジオのことを聞くと、「日本が降伏したのだ」という。「そんなことあるものか」「いや間違いない」

涙がポタポタ落ちてくる。今になって降伏とは何事か。妻は、子は、一体何のために死んだのか。彼等は犬死にではないか。なぜ降伏するなら、もっと早くしなかったのか。今度の爆弾で自分達の命があぶなくなったから、降伏したのではないか。

みち子の看病で、あつゆきは長崎食糧営団への欠勤が続いた。9月28日、久々に職場に顔を出すと、上司から「他の被災者は出勤しているのに、子どもの看護のために職責を果たさなかった」ととがめられた。ついに10月1日、辞表を出した。
    
一時は阿蘇山の火口に身を投げることも考えた。絶望のどん底ですがったのが俳句だった。

私は句を作ることにのみ生きる価値を見出そう、ではない。それよりほかに生きる価値を見出すことができないのである。

◆松尾あつゆき 年表
1904年(M37)6月16日長崎に生まれる(橋本夢道は1903年生まれ)
1924年(T13)20歳、俳句を始める。
1926年(S1)22歳 長崎市立商業学校の英語教師に
1928年(S3)24歳、自由律俳句誌「層雲」に入門。
1944年(S19)4月、同校教師を退職・敵性言語の教師のため退職させられる
1944年(S19)4月、長崎県食糧営団入社(爆心地から3.8キロ離れていた)
1945年(S20)7月26日、ポツダム宣言は7月26日、日本政府は受諾を拒否。
1945年(S20)8月9日、41歳、原爆投下、長男海人(12)、次男宏人(3)、次女由紀子(7か月)死亡、長女みち子(15)は1500メートル離れた三菱重工工場で勤労奉仕で助かる。みち子は、左耳周辺の顔、首にやけど。
1945年(S20)8月15日、妻千代子(34)死亡、その日に火葬。ラジオでポツダム宣言受諾を知る。◯降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾りつ
1945年(S20)8月、生きる望みを失い、阿蘇山の火口へ行って自殺しようと思ったが、みち子を残しては死ねないと戻る。
1945年(S20)9月から、原爆俳句つくりをはじめる。
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◆このコラムは写真付きで下記のブログに転載しています。
「勝どき日記」  https://ameblo.jp/ashashio10ri10n  
 「コラムゆりかもめ」は随時発信となっています。
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◆「自由俳句の会」季語や、575のリズムにこだわらない自由な
俳句作りを楽しむ会です。自由律俳句とは違って、季語、575で
もOKです。年に6回、偶数月の第2土曜日までにメールで1人
5句以内投句。その後、投句者全員に無記名・ランダムで俳句一
覧を送信します。会員はその中から好きな4句と自選の1句を選
句します。選句結果から、金銀銅賞、特別賞として自由俳人賞
(5句合計最多得点)、サイクルヒット賞(5句すべて入選)など
を選び、メールと、ブログ「自由俳句の会」で報告します。
 https://blog.goo.ne.jp/jiyuuhaiku
その後、受賞者のことばと、会員の鑑賞文を含めて、句会のまと
めをブログで全国の俳句ファンに報告します。また、橋本夢道の
句を研究課題として鑑賞をし、ブログで発表します。第33回は
2024年10月1日から投句受け付け。年会費は1000円です。
参加申し込みはメールで。 syunsei777@yahoo.co.jp へ。
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★~★~★~★~★ 勝どき書房の本・案内★~★~★~★~★
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◆『橋本夢道物語  妻よおまえはなぜこんなに可愛いんだろうね』
            殿岡駿星著・定価1900円・税別
自由律俳人の橋本夢道は<渡満部隊をぶち込んでぐっとのめり出し
た動輪><子ら問う巡査がなぜこんなに従いゆくメーデーなの>
などの反戦自由律俳句を作っていたため、1941年2月、特高に治
安維持法違反容疑で逮捕された。同時に「京大俳句」の関西在住
同人や関東の「俳句生活」などの同人44人が逮捕された。昭和俳
句弾圧事件と言われている。2年余の獄中で<うごけば寒い>
<大戦起るこの日のために獄をたまわる>など約300句を作る。故
郷の徳島、東京月島、妻静子を愛し反骨とユーモアで生き抜いた生涯。
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◆『橋本夢道の獄中句・戦中日記 
   大戦起るこの日のために獄をたまわる』
              殿岡駿星編著・定価 2000円税別
2012年から、勝どき書房で奇数月の第二土曜日に「夢道サロン」
を開催するようになり、そのメンバーから、夢道の獄中句「大戦
起るこの日のために獄をたまわる」など300句をまとめて本にし
たら、という意見が出た。最近見つかった夢道の戦中日記も加え、
メンバー8人のエッセイも掲載し、「橋本夢道物語」に次ぐ夢道
を紹介する2冊目の本となった。このメンバーが中心となって
「自由俳句の会」が結成され、偶数月にメールによる句会が続け
られ、句会に集まる必要がないので会員は全国にいる。
「勝どき書房」の本を特別に割り引き販売をします。購入希望
の場合は、メールで syunsei777@yahoo.co.jp へ連絡ください。
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◆『濱松事件』     殿岡駿星著・定価2000円・税別
戦時中の濱松で5件、9人死亡8人負傷の連続殺人。市民が恐怖の
どん底に。1983年~1942年に遠州鉄道沿線で発生、犯人は、聴覚
障害の聾唖学校生徒だった。当時の刑法40条では、「いんあ(聾唖)
者ノ行為ハ之ヲ罰セス又ハ其刑ヲ減軽ス」とあったが、裁判では、
聾唖である事実が無視され、しかも逮捕時18歳の少年だったのに、
死刑判決、処刑された。殺人の動機は、父親が「聾唖の子は勉強す
るな、学校をやめろ」といって学費を与えないため、学費を稼ごう
と強盗に入ったためだった。当時、新聞記者だった著者の父親のノ
ートをもとに、著者が生まれた当時、80年前の事件の真実を追究。
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◆『狭山事件 50年目の心理分析』
            殿岡駿星著・定価3200円税別
1963年5月1日、埼玉県狭山市で発生した女子高校生誘拐
殺人事件(狭山事件)は、石川一雄さんが犯人とされていま
すが、石川さんは無実を訴え、再審開始を求めて闘っています。
著者はこれまでに石川さんの無実を証明するために「犯人 狭山事
件より」(晩聲社)を上梓していますが、その後、ブログに連載し
た「狭山事件・取材ノート」を土台に家族の証言などを心理的に
分析し事件を推理しました。石川さんが、犯人だとしたら、なぜ
被害者の自転車に乗って、雨の中を被害者の自宅へ脅迫状を届け
なければならなかったのか。電話でいいじゃないですか。しかも、
石川さんは、その自転車を被害者宅に返却して、雨の中をトボトボ
と4キロも自宅まで歩いたというのです。これは真犯人がしかけた
罠としかいいようがありません。刻々と真犯人に迫ります。
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◆『三億円事件の真犯人』
        殿岡駿星著・定価1700円・税別
1968年12月10日に発生した、府中三億円事件から40年、
真相を追求していた週刊誌記者上月町子さんは、ついに東武
東上線新宿駅から準急で30分の駅から歩いて40分、埼玉県
西部の農家にたどり着きました。農家の主人は70歳を過ぎた
老人でした。上月記者さんが「三億円事件について話が聴き
たい」というと、老人は「死ぬまで、だれも来ないかと思っ
ていたが、ついに来たか。ここへ来たのは、君が初めてだ」と
いって、住所と氏名を隠すという条件で事件の真相を語った。
老人は「三億円事件は発生の1年前、スカイラインを盗むと
ころからスタートしたんだよ」と話し始めた。
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◆『小さき村なれど -成田の寒村でキリスト教伝道に
        生涯を捧げた元幕臣飯田栄次郎の物語-』
        小松栄三郎著・定価1800円税別
それは、あたかも江戸の中心で起きた幕府の瓦解という激震が
もたらした津波のようなものであったかもしれない。その津波
が、成田の下福田に押し寄せてきて、村を呑み込んでしまった
とも言える。それは徳川幕府が禁じたキリスト教が、幕臣を伝
道者にしてしまうほどのエネルギーを持っていたのである。
(「第一章 幕府の兵卒・農村の教会」から)
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◆『火 みちのく一関忠臣蔵』
         小野寺苓著・定価2000円税別
火は常に胸中に在り、灯りにもなれば、火事にもなる。徳川
幕政下の大事件に遭遇。改易、刃傷、浅野内匠頭の切腹、討
ち入り、苦悩する元禄の一関藩士・牟岐平右衛門、赤穂浪士
・冨森助右衛門、妻るんとの出会い。「本書は忠臣蔵を舞台
に”イエ(家とは、親と子とは何かという根本的命題の提起
にはかならない」(ワシオ・トシヒコの解説から)
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◆『南瓜大玉の日の本國憲法私案』
           南瓜大玉著・定価2000円税別・
南瓜大玉と書いて「かぼちゃだいおう」と読む。東京の玩具会社に
勤めていた著者が定年後、憲法研究に目覚めた。南瓜大玉は、「憲
法試案」を上梓し、日の本に提案する。主な内容は「天皇制廃止・
大統領制・国防軍・地方自衛隊・武器の輸出入を禁止・非正規雇
用の禁止」など。好評となったが、理解できないので説明してほしい
という読者の声が出版社に寄せられる。出版社の依頼で、内容を
説明する講演を頼まれる。南瓜大玉は信州・別所温泉で講演した。
この本は、その温泉旅館で開催された、架空の講演会の記録をま
とめたもの。まじめで楽しい憲法論が展開される。
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◆『響野湾子俳句集 千年の鯨の泪櫻貝』
     響野湾子著・殿岡駿星編・定価2000円・税別
2019年、死刑囚表現展で、死刑囚響野湾子の句<千年の鯨
の泪櫻貝>に感動した殿岡駿星が、響野湾子が逮捕から処刑
までの18年間に獄中で詠んだ俳句、1597句のうち、813句を
選んで句集を編纂した。響野湾子の句は季語や575のリズム
にこだわらない。たとえば11音の<戦争は石の礫>という
句がある。響野湾子は2001年に殺人事件で逮捕され、2006
年から死刑囚展に俳句を発表し、2018年に処刑されるまでの
18年間に多くの本を読み、俳句の勉強をした。他に<枝先
の無きを確かめ蟻もどる><ゆくあての無き鬼もゐて鬼は
外><甚平で彼は消えたり処刑の夜><虹一本飲んで果て
たしああ暗い><一椀に命の果ての湯気の立つ><呼ぶ人
のない道を振り返る><おはようと言える人ゐて暖かし>
<朝顔の藍よりとけて朝が来る>などの句がある。
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◆『こんばんは、毛利小平太です。-霊談忠臣蔵-』
         殿岡駿星著・定価2000円税別
赤穂浪士のひとり、毛利小平太は、最後の脱盟者で、討ち入
り4日前の元禄15年(1702年)12月10日に太夫の大石内
蔵助に参加辞退を表明した。小平太が参加していれば、四七
士でなく、四八士となっていた。長年、忠臣蔵を研究してき
た著者の枕元に、ある夏の夜「こんばんは毛利小平太です」
といって現れた小平太の幽霊がその真相を語った。その後
医師になった小平太は、街医師から仁術の医学を学ぶ。  
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◆『新聞記者はなぜ殺されたのか』
         殿岡駿星著 ・定価2300円税別
朝日新聞阪神支局事件を調べた著者が、犯人の「日本人である」
という脅迫状の嘘を見抜き、舞台をさいたまに移して綴ったパ
ロディー推理小説。事件は、毎朝新聞さいたま支局記者が殺され、
「さいたま困民党」と名乗る組織から「武甲山の自然破壊を許し
た毎朝新聞の記者を断罪した」という内容の犯行声明が届いた。
その脅迫状は嘘と見抜き、深まる謎を追求していく。親友だった
同期の記者が取材し、意外な犯人を見つけ事件の真相に迫る。
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