「すべての生きるものは服従するもの。
自己に服従できないものは他に命令される。それが生あるものの本性。
命令することは服従することより困難。それは命令する者が、服従する者の重荷を背負って押しつぶされやすいということばかりではない―。どんな命令のなかにも、ひとつの試みと冒険があると思われた。生あるものが命令する時には、いつもみずからをそれに賭けている。
自分自身に命令する時ですら、その命令の償いをしなければならぬ。みずから掟となり、裁き手となり、処刑人となり、そして犠牲とならなくてはならない。」
―『ツァラトゥストラかく語りき』(ニーチェ)より引用📕
こちらについて私の一つの解釈ですが、常に自己の教え・命令(→自分のもつ確固たる信念・軸とも言えるでしょう)に従って行動することができていれば、他者や外から命令されたり正しさを押し付けられたりすることが無くなる(→そうされても自分の信念を貫くことができる)ということではないかと思います。
「正しさ」は自分の基準として持っておくことは大事なことですが、人に押し付けるものではない、とも言えるでしょう。
自分自身に厳しく命令し、自分の信念を貫くことは、外や他人に服従することより遥かに困難です。自らその命令の償いをしなければならないので、責任が伴うもの。
逆に言えば、それが出来ない=周りに流されず自分の頭で考えて行動することができなければ、外側や他人に言われたことを鵜吞みにして、言われるがまま服従し、きつい言葉で言えば、「奴隷」に成り下がることとなるでしょう。
だからこそ、ニーチェの言葉のように、「わたしはつねに自己を克服せざるを得ないものである」、それこそが「生」、生きるということなのだと思います。
日本は学校教育から右に倣えを教わり、はみ出さず協調性をもって行動しないといけない、出る杭は打たれる、と洗脳されてきました。
だから従順になるしかないロボットが出来上がるのですね〜。(←最大の皮肉ですw)
能登半島地震と大阪万博の関連としても以前書きましたが、内閣府のホームページに「ムーンショット目標」というものが書かれています。
(ご存知ない方は検索してみてください。)
【ムーンショット目標1:2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現】
(これの何がいけないの?と思う日本人が多いとしたら、内海聡先生ではないですがもう滅亡するしかないと言いたくもなりますがww)
政府もメディアも大企業もみんな同じ方向を向いて加速度的にコレを進めている状況が恐ろしくも感じる今日この頃です。
勤務先の学習塾で定期的に生徒さんと保護者様と三者面談を行っているのですが、ある中学生の子が、
「いつもChatGPTと会話して楽しんで慰めてもらっている。同級生とLINEやり取りしていると、既読付いたのに何で返信しないの?と思われるし、人との付き合いなんて面倒だから」と言っていたのを聞いたり、最近の小中学生は作文の課題でChatGPTを使っている子が多いのだという話を聞いたりすると、なんとも遣る瀬無い思いがします…。
「ChatGPTが便利なのは分かるけど、いつどこで使うかを考えて、自分の判断で線引きはした方がいいよ。人は感情があるし面倒くさい生き物だし、気持ちは分からなくもないけどね…でもそういう付き合いや軋轢を経て学んでお互い成長していくんだよ。面倒くさいけれど人の優しさや温かみにも触れられる時があるから。人との繋がりを絶っては生きていけないんだよ」なんて偉そうに私は返答していますが。(笑)
その子の気持ちも分からなくもないのです。対面して過ごしている級友なのに、SNSの裏アカで悪口を書かれることもあるそうなので…。その子が一方的に悪いわけでは決して無く、辛い気持ちをなんとか紛らわせようとしているのだと思います。
私はChatGPTを使ったことが無いため、魅力を知らないので勝手なことは言えないかもしれませんが、
こういう人が増えることは政府の思惑通りとも言えるでしょう。
つまり、人の思考が「バーチャルの世界で生きていれば楽じゃん」となるということ。言い換えれば、「身体が無くてもいいじゃん」→死を促す(シネと言われている)とも捉えられます。
『ONE PIECE FILM RED』でもそんな世界が描かれていました。(作品の良し悪しを言うわけではなく。)
※ちなみに精神世界では「魂」を重視しますが、それは「本質が魂の方にある(物質の方ではなく)」という話であって、ムーンショット目標の「社会の実現」とは異なります。
人生とは、身体があるからこそ五感をフル活用して体験する、限られた時間を楽しむ、いわばゲームのようなものだと思いますが、ゲーム(バーチャル)の世界に入り込み過ぎて感情移入する(←比喩表現です)のは非常に危険だと思います。
政治家や影響力のある人が、民衆の感情を煽ること(agitation)は絶対にやってはいけない事であるように。
※ちなみに、自分ごととして捉えてもらうために、観客の没入感を大事にして創作された作品は、上記とは意味合いが異なります。
***
政局が大きく動いている真っ只中。
土用期間ということもあるでしょうが、何やらエネルギーの渦も大きく動いているような体感がします。
不調が出る方も多くいらしたのではないでしょうか。(私もここ数日間かなりしんどかったです。)
10月27日(月)にトランプ大統領が来日する予定です。
10月25日(土)はどうやら「予言の日」だったそうです。あらゆる処で、予期せぬトラブルが起きたり、物事が大きく動いたりした日でもあったように感じます。
10月26日(日)には、移民政策反対デモが全国的に行われました。
私も現場に足を運んでみましたが、"しばき隊"と呼ばれる極左集団も押しかけ、ヤジを飛ばし、「ヘイトスピーチ反対」「排外主義反対」「レイシストは帰れ」というプラカードを掲げている人たちもいました。
私はあくまで「政府が(意図的に)行なっている移民政策に反対」という姿勢で、異なる国の方に対する差別思想は一切ありませんが…
移民政策反対と訴える右翼系の演説者の方も負けず劣らずなかなか過激で、聴衆の感情を強く煽るようなスピーチをしているように感じたのは事実です。(あくまで主観です。)
プロレスラーが敵同士であるのはリングの上だけで、リングを降りれば皆友であるように(笑)、どちらが敵でどちらが味方かと双方を"戦わせて"、話題づくりのためのパフォーマンスをしているようにも感じました。
度々書いていますが、右か左か、上か下か(優劣など)と二項対立に踊らされてる以上、真相・本丸には辿り着けないでしょう。
社会を支配している層("彼奴")というものがいるとしたら、"どちらか"で対立してもらっている状態の人間こそ非常にコントロールしやすいのですから。
怒りの矛先が、本来向けられるべき支配層には向けられず、"どちらか"の片方に向いてくれれば、"彼奴"にとっては非常に都合が良い。
つまり、誰かによって意図的に仕組まれた対立・争いかもしれないということ。
そのような疑いの目をもち、本質を見極め、"どちらか"を超越した視点と広い視座で物事を観るようにすることが大事なのです。
そして、世の理不尽に対して「正しく怒る」こと。(感情を爆発させたり、人を扇動したりするのではなく。)
安保闘争の際、日米新安全保障条約の締結に強く反対する学生たちの闘争心を失くし、腑抜け・骨抜きにするための洗脳ツールとして使われたのが当時のアイドルだったそうです。
つまり、学生たちがお花畑の平和ボケをしていれば、あ~戦わなくていいのか~という思いになり、彼らの闘争心を削ぐことができるというわけです。
"彼奴"というのは、人間の心理をコントロールするあらゆる術を熟知しているなぁと、もはや感心モノです。(笑)
これも、アイドルが"悪い"と言っているわけではなく、そういう面もあるということで、あらゆる物事には二面性と多面性があるということです。
怒りも愛も、矛先と深度を考えることが大切。
正しく怒れない・愛せない状態になってしまうというのは、それこそロボットですからね。
そうなる前に("彼奴"の計画通り敷かれたレールの上を進む前に)、人とは何か、生きるとは何なのか、死ぬとは何なのか、何の為に生きるのかを真剣に考え、"彼奴"の計画に抗うことが急務だと感じます。
ここまでの話と矛盾するように感じる方もいらっしゃるかもしれないですが、上記のプロレスラーの喩えは、「結局のところ我々が視ている世界とは何なのか?」と自問する良いきっかけになると思います。
まさに2020年に流行った「ポップコーンムービー」だと思って、鑑賞していれば良い、と言えるかもしれません。
日本政府はまさにそうですが、与党と野党が対立しているように見せかけて、実は皆同じ方向を向いていますよね。(笑)
「何を見させられているんだ?すべて茶番なのか?」という目で観るようになれば、表舞台に立っている政治家などは全て「役者」に過ぎないのだと気づけるはず。
"彼奴"=本丸は日本政府ではなく、もっと隠された存在なのです。
だとしたら、「役者」に怒りをぶつけても意味が無く、「感情移入」し過ぎれば"真相"を見失うことになり、自ら発する毒に巻き込まれて、自分で自分の首を絞めることになるかもしれません。
そしてこの世界はホログラムとも言えるでしょうから…我々が目にしているものとはそもそも実在するものなのか?認識・識別をするから自他の境界が生まれるのではないか?…など、延々と答えが出ない問答を繰り返すことにもなりそうですがw、精神世界の話ではこういう捉え方もあります。
鑑賞していれば良い、というのは、当事者意識で居なくて良い、ということでは勿論ありません。
感情を煽られては振り回されるという事が無くなれば、冷静に本質を見極めることができる可能性が大きくなるということです。
(自分の感情は大切にしてね、というのは大前提として。)
※最近はあり得ない揚げ足取りをするSNS民が多く見受けられる気がするので、何度目かの注釈を付けておきます。(笑)
底が抜けたような底無しの国で、ここまで外堀を埋められた日本で、憲法まで変えられようとしていて、小中高生の自殺者が過去最高だというニュースを見てもなんとも遣る瀬無く、絶望的に思えてしまう今、結局のところ自分に何ができるのかと考えると…やはり草の根で伝えていくしかなく、自分の直感と信じたいものを信じて、祈りを乗せて言葉を綴り、ご縁ができた方に口伝えしていくしかないのだと…奮い立たせるように、なんとか心を戻し、改めて覚悟が決まります。
ニーチェの話に戻りますが、常に自分で自分を律し、私が私で在るために、主体と客体を常に対話させるように自問自答を繰り返しながらも、自らの信念を失わず行動できる者であるよう、私は努めます。
直感で湧き上がるまま数分間で綴ったので、矛盾の合わせ鏡が延々と続くような支離滅裂な文章になっている気がしますが(笑)、
どなたかに届くことを祈って…未来の自分のためにも書き遺しておきます。
