椿の家の黒猫 | R o s e t t e

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ば ら い ろ の 日 々



黒猫が死んだらしい。

大きな椿の木のある古家に居着いていた野良。
お世話していた方がお知らせの張り紙を貼ってくれていたが、それによるとかれこれ10歳以上だっただろうという話。
死因については書いてなかったが、亡くなったという日の少し前に見かけた時は特に変わった様子もなかったから、老衰かなと思う。

いつもジッと冷静で何事にも動じない、悟りを開いたような子だったから、実は既に死んでて猫又なんじゃないかと内心思っていた。
最後に見た時も堂々と道の真ん中にいて、大した肝っ玉だなと。

けど猫又はあくまでも妄想。
あの子はちゃんと生きてて、そして死んでしまった。


通勤途中に通る道なので、今の職場に通い始めた時からずっと行き帰りによく見かけてた。
夏は日陰に停めた車のボンネットの上で昼寝。
冬はむつかしい顔をしてるのに、寒くて鼻ちょうちんが付いていて、思わず笑ってしまった。
あの子がいる日はラッキー!仕事でミス出さない、というジンクスを勝手に決めて一喜一憂したりもしていたっけか。

あの子がもういないのか。不思議だ。


私が今の職場で働き出してかれこれ5年経つ。
10歳くらいだったとしたら、あの子の人生…もとい猫生の半分近くを過ごしてきたという事になる。
たかが5年。だけど猫生の半分というと重みがある。
どれだけの時間が経ったかなんて、さほど噛みしめることもなく毎日だらだら過ごしているけど、猫が一匹生きて死ぬだけの時間をぼんやり過ごしてきたのかと思うと、なんだか焦りのようなものを感じる。
猫の半生、猫の一生。
人の半生、人の一生。
噛み締めて生きないと、本当に浪費して終わってしまう気がする。
少し気を引き締めなきゃ。


この年末、私と同じくらい勤めてきた人たちがたくさん退職する。
猫も死んだ。
私は変わらずぼんやりここにいるけど、これからどうするんだろう。どうしたらいいんだろう。
最近、周りから置き去りにされてる感が拭えない。
いつも餌皿のあった場所に供えられた小さな花を見た時、ああ、ついにあの子すら私を置いて行ってしまったのかと、寂しくて思わず泣けてしまった。

時間はどんどん経って、どんどん変わっていく。
寂しいな。



でも、寂しいけど、張り紙からお世話していた方のいっぱいの愛情を感じて、なんだか温かい気持ちになって、救われた。
思った以上にたくさんのファンもいたらしい。
私も1ファンとして、手を合わせてきました。

くろちゃん、天国で幸せにね。