恐怖を感じて背筋が寒くなる感覚を「ぞっとする」と表現することがあります。
「あのまま不健康な食生活を続けていたら、と思うとぞっとする」のように使います。
では「ぞっとする」を否定の形にした「ぞっとしない」は、どういった意味になるのでしょうか。
「ぞっとする」が恐怖で背筋が寒くなることですから、その反対の「恐怖で背筋が寒くならない」ことだと思いますよね。
ところが、実際はそうではありません。
「ぞっとしない」とは、「おもしろくない」「感心するほどではない」という意味です。
平成18年に実施された「国語に関する世論調査」では、「ぞっとしない」の意味を「おもしろくない」と答えた人は31.3%、「恐ろしくない」と答えた人は54.1%だったという結果が出ています。
やはり「ぞっとする」の反対語として捉えている人が多いことが見て取れます。
なぜ「ぞっとしない」は「恐ろしくない」という意味にならないのでしょうか。
そもそも「ぞっとする」の「ぞっと」には、いくつかの意味があります。
恐ろしさで体が震え上がるような感覚を表すときに使われることもあれば、美しさで強い感動を覚えるときにも使える表現なのです。
このように書くと、いまいちピンとこないように感じる人も多いはずです。
そこで、「ぞっとする」を「鳥肌が立つ」と言い換えてみましょう。
より分かりやすくなるはずです。
「鳥肌が立つ」という言葉は、恐怖を味わったときの感覚を表す場合もあれば、感動を味わったときの感覚を表すこともあります。
これに対して「鳥肌が立たない」は、ちっとも恐くないという意味だけでなく、全く感動しない・何とも思わないという意味に捉えることができます。
「ぞっと」が恐怖に偏ったイメージを持たれやすいのに対して、「鳥肌」には「感動」の意味合いが残っているといえるでしょう。
ちなみに、そもそも「ぞっとしない」という言い回しを日常生活で使ったことがない人も多いはずです。
強い恐怖を覚えることを「ぞっとする」と表現することはあっても、恐くも何ともないことをわざわざ表現する言葉はあまり必要とされないからでしょう。
実際、「ぞっとする」には恐怖を表す意味があるものの、「ぞっと」の本来の意味である「感動のあまり身震いする」を表す言葉として使われることはほとんどありません。
「きのう映画を観てぞっとした」と言えば、ほぼ間違いなく恐ろしいホラー映画か何かだと思われるでしょう。
感動がやまない作品だったのだな、とはまず思われないはずです。
このように、言葉は使う頻度や緊急度によって、本来の意味が残ったり残らなかったりする面があります。
「ぞっとする」はよく使われるのに、「ぞっとしない」はあまり使われない。
だからこそ、「ぞっとしない」に本来の言葉の意味が残っているというのは、とても興味深いことですね。