ほいほーい!
つづきですよぉ~ε٩(๑>▽<)۶з
『第二鳥居』(*^^*)
そこそこ長い参道を歩き『第二鳥居』の前まで 来ましたぁ(^-^)
『第二鳥居』のちょい手前 左側に『手水舎』があります(*^^*)
『手水舎』(*^^*)
なんか ポケちゃってて ごめん(^^;)
急いでいたりすると こーなるのぉ(;^_^A
『第二鳥居 アップ』(*^^*)
デカイね(*>∀<)
姫は なんでも デッカイのが 好きっちゃ(≧∇≦)
なので 姫の書く字は デッカイです(*´ 艸`)
『狛犬 右』(*^^*)
『第二鳥居』を抜けると『狛犬様』が お出迎えしてくれますp(^^)q
『狛犬 左』(*^^*)
台座は 古いみたいだけど『狛犬様』は 新しいタイプの『狛犬様』だから 世代交代したのかなぁ?
色白だねo(^▽^)o
『本殿』(*^^*)
ココの御祭神様は…
『神武天皇』(じんむてんのう)
日本の初代天皇
『事代主神』(ことしろぬしのかみ)
神託の神
うひょっ!(≧∇≦)
『神武天皇』見っけ!(*´ 艸`)
じゃなくて…
御祭神が 誰のかは 下調べしてるから 知ってるのぉ(*^^*)
でも…
行く神社の数が 多いから すっかり 忘れる…
というか…
あっちこっちの神社と ごっちゃになってる事の方が 多いね(^▽^;)
さすがに 姫でも リストアップした神社の御祭神 全部は 覚えられましぇ~んσ(^_^;)
『本殿 ちょい アップ』(*^^*)
イイね(*>ω<)b
ココの御由緒は…
大正8年 蛭子神社と神武天皇社を合併して静内神社と称した。
蛭子神社は 寛政年間の創祀とも伝えられ、慶応3年の社記『志美茶理鎮守恵美須大神宮ノ縁起』には
「昔未だ夷地開拓せざる時、土地人海中に網を曳けるに一躰の光明赫奕《かくえき》たるを得たり、其形人神の如し、土人尊信す、漁猟満足を祈るに必応験有。
故に 漁業守護神として 木幣を捧ぐ因に曰 シベチャリ土人方言鮭多處と云儀也、此蛭子地蔵尊を信祭の後、倍鮭漁多を以て地號を鮭多故、他邦の土人此地に轉住する又多、
故に或は シビチャリとて方言譯、繁昌弘地と云語也是地蔵蛭子海中より出現して漁猟圓満土地繁昌を鎮護諸願成就疑なく、祈に信誠を抽すべし。」
とあり、『静内新冠両郡戸長役場社寺明細帳』には
「明治元年 開拓使 渡島国亀田郡函館商人 佐野専左衛門なるもの 静内郡一円の漁場を所有せし中 豊漁を祈らんが為 漁神に勧請」
とある。明治9年蛭子神社として村社に列せられた。
『本殿 アップ』(*^^*)
御由緒 つづき(^-^)↓
神武天皇社は、勤王派であった徳島藩洲本城代家老 稲田邦植旧主従が、明治4年 静内郡開拓の朝命を奉じて移住した際、神武創業の古に復するという明治維新の趣旨を奉じ、移民の守護神として奉斎したのが創祀で、明治9年 神武天皇社として郷社に列せられた。
『本殿 超アップ』(*^^*)
『御由緒』が 詳しく 書いてあるのはいいんだけど…
できれば 現代語に 訳してほしいよね(^^;)
『神額』(*^^*)
『御由緒』によれば『徳島』から 移住して来たが 静内の開拓をされたみたいね(^-^)
ちょい 調べたんだけど…
『徳島藩』の元藩士の方々が 静内の開拓を明治政府から命ぜられて 北海道へ来られたみたいです(^-^)
遠~い所から 来てくれて ありがたいね(^^*)
『本殿』(*^^*)
横から 撮ってみましたぁo(^▽^)o
行った時間が 遅かったのと お天気も降ったり止んだりだったので 参拝客もおらず 急いでるワリには ゆっくり モニョモニョ~(^人^)
この日は ひっそり 静かに佇む神社って感じだったけど…
静内の中では 1番 大きい神社だから 普段は もっと 賑やかなのかなぁ…?
お祭りは 出店も たくさん出るようで かな~り 盛大みたいだしね(*^^*)
お祭りは 一度 見てみたいねo(^▽^)o
2014.07.23.参拝(^-^)