マネはカテ | カニイさんのブログ

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暇な時でます、ご自由にみてください、気に入らないと思ったらみないでください、メンタルもやしです

真似してみたんだよね

たまに聞く言葉

真似ってなんだろう

言葉の通り「真に似る」ということなのか
辞書で見てみると

  1.  まねること。また、形だけ似た動作をすること。模倣。「ボールを投げる真似をする」「アメリカ映画の真似をする」

  1.  行動。ふるまい。「ばかな真似はよせ」

    (引用 https://dictionary.goo.ne.jp/jn/209292/meaning/m0u/

    とある

    なるほど、

    言葉の通りあるものをまねる、形だけ似た動作をすることだと

これは、真似ることは常に後を追うことでもあり、形だけのものであるということか

確かに今までの経験上、真似てやったことでうまく行く試しはない
「あの人はうまくやってたのに」
「真似てるだけで面白くないんだよね、やる必要あるの?」
様々なことを言われた

「真似するだけでいいから、とりあえずやってみて」
「君がやってくれれば自分がやるから、あの人の真似だけしててよ」
始めはみんなこんな感じ
人に押しつけ、自分の代わりに表に立てる壁とする
自分が傷つかないように

成功すれば

「彼はよく動いていたな、僕は上にいただけだ」
「僕、いる必要あったの?ただ、いただけじゃないか」

周りは奨励を彼へ
僕は飾り物

失敗すれば

「彼はよく頑張った、僕は何もしてないだろう」
「僕ももう少し彼のために動けたんじゃないか?」

周りは励ましを彼に
僕は嫌味を

真似ているだけでいいと言われ真似ていると非難される、
真似るとは「形だけ似た動作をすること」なのだろう、ならば問題ないはずだ

だが、現実には常に真似の一つ上の行動が求められる
つまり、真似を糧とした自己ということだろうか

ただ、真似るのではなくそれを基にした自分なりの考えや行動をするということが求められている

今の自分はできてるだろうか、あの頃の先輩を真似しているだけではないだろうか
真似を糧にして自分のやりたいことをやれているだろうか

マネはカテ
糧は使ってこそ意味がある

社会では真似ではない自分を見られる
その時マネはカテの重要性を感じるのかもしれない