原風景 | As Found~KaLinの衣食住★道楽

原風景

去る7月7日、母方の祖母が永眠しました。



普段滅多に鳴ることのない家の固定電話が鳴ったので

少し胸騒ぎがしつつ相方が対応すると私の父からで、

急なことだけど既に亡くなった、との報せでした。



状況が飲み込めず、言葉もあまり出ずそれでも電話で

聞くところによると、日舞(民謡舞踊)の稽古にいつもの通り

出かけ、そこで急に意識不明となり搬送されたものの、

手遅れだったとのこと。 後から詳しく聞くと、稽古の最中

他の生徒さんたちが練習しているところを椅子に腰掛け

にこにこ見ているときに、居眠りするかのようにかくっと

頭をたれ、そのまま…ということでした。



急性大動脈乖離。どんなに健康でも、加齢によって

血管がもろく剥がれやすくなるためで、乖離し血が

あふれ出すと、いかに措置が早くおこなわれていても、

延命は難しいそうです。



報せを聞き、一時間くらいは何も手に付かずしばらく

呆然としていました。ついこの間まで元気でいたし、

もっと長生きするだろうと思っていたので。


慌しく週末に帰省し、対面しました。亡くなったときの

際の話を聞いていたので想像はしていましたが、実に

安らかで、84歳の祖母に対する表現としては何ですが、

かわいらしい顔をしていました。



長野県で生まれ育ち、見合いで結婚した祖父との間に

長女(母)・長男(上の叔父)・次男(下の叔父)をもうけ、

税務署勤務で単身赴任をしていた祖父にかわって

三人を育てあげ、兼業農家でもあったので田畑

で朝から晩まで働き、家事もこなし。祖父が長年患い

晩年寝たきりの状態になってもしっかり支えていた祖母。



祖父亡き後、ライフワークにしていた踊りのほか

お寺でのご奉仕活動や地域行事などに積極的に参加し、

気落ちするどころかますますパワーアップしてくるくる

動いていた祖母。



料理は何をつくっても美味しいし、育てる野菜やお米は

スーパーなんかの比ではないし、菊を育てれば品評会で

賞をとり、日舞は師範の腕前。百貨店の呉服部門で

仕立ての下請けをしていたこともあり裁縫も完璧。

いつまでも元気で踊りができるよう、毎日犬の散歩を

欠かさず一時間こなし、犬のほうがバテてしまうほど。

腹筋や腕立ても日課で、腕や脚の若々しさは母よりも上。

本当にすごい人でした。



忙しいが口癖の祖母が使っているカレンダーには、

働き者で、家でじっとしていることが嫌いな祖母らしく

ゴミ出し日のほかに踊り教室の日程や、旅行や

盆踊りなど、予定がかなり先まで埋まっていました。



そして何より、酒飲みで健啖家。お肉が好きで、

「いつもお肉はそんなに料理しねぇけど、お肉が

食べたくなったらコンビニ行ってカルビ弁当を買うだ」

と話すものだから、コンビニ弁当なんて美味しくない

じゃん?と聞くと「そんなことないだよ」とケロっとした

表情。従弟によると、少し前に外食をしたときには

焼肉定食とメロンソーダを平らげたそうです。



他にもエピソードは尽きないのですが、庭木の枝を

剪定するのも、庭師に頼まず自分で高い脚立に

乗ってやってしまうし(周りはハラハラ)、頑固で

言い出したら聞かないところもあったけど向上心は人一倍。

自分がボウリングが下手だと悟ると近所のボウリング場に

足しげく通って練習したり。

何てことはない、とるに足らない、という意味でよく

「なんたらず」という言葉を口癖にしていました。



そんな祖母ですが、祖父のありし日の写真を大切に

肌身離さず持ち歩いたり、シワが憎いと高級化粧品を

買い込んだりと、チャーミングな人でもありました。



亡くなり方も実に祖母らしく、家事を一通り済ませた

後にきちんと着物を着て髪を整え、お化粧もして、

顔に笑みを浮かべながら、綺麗な格好で

旅立っていきました。



告別式の日、出棺。祖母を乗せた車は、

梓川のほとりを山へ向かって進んでいきました。

夏らしい青空と入道雲、アルプスの山々と、雄大な川。

松本で生まれ、ピアノの夏期講習などで毎年

祖母の家に泊まったりしていた私にとっての原風景は、

一緒に過ごした信州の景色そのものでした。



ろうそくの火が徐々に弱く消えていくように亡くなった

祖父と対照的で、与えられた人生を100%使い切った祖母。

一瞬たりとも時間を無駄にせず、後ろ向きな発言をしたり

ダラダラ過ごしたり、なんていう光景は見たことも聞いたこと

もありませんでした。



もっと長生きはしてほしかったけど、もしかしたらこの先

生きていても身体が衰え、思うように踊りができなく

なっていたかもしれない。綺麗にお化粧して出かける

こともできなくなるかもしれない。もしそうなって

もどかしさを感じたまま亡くなってしまうよりは

「びっくりするくらい若々しいわねぇ」「綺麗ね」「元気ね」

と周囲の賞賛の的のまま亡くなったことは、きっと

祖母本人本望であったに違いないと思うのです。



特にここ数年は、私の両親がリタイアして近くに家を建て

移り住み、独身である上の叔父も同様にしてしょっちゅう

帰省していたので(下の叔父一家は祖母と同居)

「お子さん全員が仲良く近くに住むことになってよかった

ですね」と言われることが多かったそうです。

妹夫妻に曾孫にあたる娘ができ、私も結婚し、従兄妹も

それぞれ成人し…すべてを見届けたかのような最期でした。



きっと祖父が「もうそのへんでいいだろう。こっちに来て

ゆっくりしましょ」と、七夕の夜に呼んだ。

そんな気がしてなりません。



私が結婚したときも、相方が祖父と同じ仕事をしている

のを知り「それはおじいちゃんが引き合わせてくれたんだわ」

と喜んでいました。



長野県で生まれ、県を出ることなく亡くなった祖母の一生は、

もしかしたら地味に見えるかもしれません。

でも、最も尊敬する人を聞かれたら、祖母の名前を挙げます。

祖母の生き方を完璧に真似ることはできないと思いますし

比べたらまだまだ出来ないことの多い自分ですが、残された

思い出や教訓を活かして、毎日をしっかり生きる。

命のバトンを渡された気がします。



そして今日もどこかで、頼りない我々の生活を見て

「おい、しっかりやれよ」と言っている気がします。



棺に手紙を入れそびれてしまったので、代わりに記します。

今までお疲れ様でした。どうぞ安らかに。



As Found~KaLinの衣食住★道楽

三年前の妹の結婚式にて。