利用価値だけで人づきあいを選ぶタイプ
こないだ「SPA!」をざざっと読んだら、キャリアアップ命男の
気の毒な姿を特集した読み物があったんですが
(キャリアアップを目指すのは悪いことじゃないけど、やたら
他人の目を気にしてカッコつけるのはイタイよね、という内容)、
やたら「オンとオフの切り替えがいかに充実しているかを気取る」や
「かじったばかりの知識をひけらかす」のは子どもじみてて笑える
話としても、「人脈コレクター」ってのはどうもなぁ、と。
そういう人脈コレクターの一番いやらしいところは
「利用価値の有無で付き合う・付き合わないを決める」とこ。
上辺だけって感じで気持ち悪いし、ナントカの切れ目は縁の切れ目。
そして、逆に自分に価値が無くなったらどんどん切られていく
ことになってしまうんだろうけど、気づいてないのね。
勢いに乗ってるときは、「すごいですね」「エライですね」なんて
ほめゴロシか? ってくらい持ち上げるのにね。
欲得でしか人や物ごとを見られないのは哀れなこと。
お互いの利益が一致しているときには、気持ち悪いくらいベッタリ
でも、それが無くなったときに「あれれ??」ってくらい
あっさり離れていってしまうのと見ると、何だか背中から
冷え冷えとしたような気になりますね。
「あれだけお世話になってんのに??」とか「あんなにかわいがって
あげてたじゃん」とか傍から見て思えても、当人同士としては
「もうこの人との付き合いはメリット無し」ってことなんだろうけどね。
それってどうなのかなぁ…??
老若男女問わず、そういうタイプはそんな付き合いしかして
こなかったんだろうなぁと思う。それって寂しいよねー。
凹んでるときにこそ、あえて厳しいことを言ってくれるような
友達、普段会えなくても心のどっかでお互い気に掛けて
いるような存在…そういう人だって大事なのに。
友達との何気ない笑い話の中にも、ふっと
「ああこの子達がいてくれてよかったな」
とありがたくこみ上げてくるものがあったりもするのに。
それはほんとに、ふっと現れる神様からのギフトみたいな
もので、必死こいて得ようとしても無理なのよね。
それなのに、もうそれこそ血眼になって「エライ人」「金持ちな人」
ばっかしつかまえて、それでいい気になっても、例の記事にも
あったけど所詮「他人のふんどしで相撲取っている」だけのこと。
人とのまじわりの中で起こる小さなことでも、気づいたり感謝したり
っていうのがなくて、ただ大きなものばっかり見ようとしても
その足もとはあやうく脆いもの。
「取引先」という関係でなくなって何年も経っているのに、未だに
「元気? 近況聞かせてねー」「そろそろ飲もうよ」って年賀状くださる方とか
今までの人生のほとんどの年月を友達やっててくれてる仲間うちとか、
肩書きとか関係なく付き合ってくれる人がいるっていうのは
ラッキーなことだよなぁ、と時折思う次第です。