会社で疲れた。
人が2人あつまると社会といい、社会には反発がつきないから。
結局はネットワークとかそういうので疲れたんだけど…。
まぁいいやぁ。でもなんだか割に合ってない気もする。
今日は今日のことだけ考えて、明日は明日の私に任せた方が楽だし。
だからランドセルのことを研究しました。
何故かというと、「ランドセルってなんでできたんだろう」と昨日あたりお昼休みの話題になったから。
そもそもランドセルはオランダ語が語源(ランセル)で、子供用ではなかったそう。
江戸時代に幕府が軍隊を作った時、兵士が使うために用意されたらしい。
日清戦争とか日露戦争で使ってたということ。
でもこれはあくまでも布製の背嚢で、いまのランドセルとは似てもにつかず。
つまり「ランドセル」語源という意味での、元祖。…へぇ~。
学校かばんとして使われたのは明治あたり。
開校8年目にして「馬車」や「人力車」での通学(!)を廃止にしたので、重い学用品入れとしてこの「背嚢」を採用したとの事。学習院がはじめなんて、やっぱり宮様の学校ね…。
けれど形はやっぱり背嚢。それがどう今のランドセルにつながるかというと、大正天皇が学習院に入学した時に伊藤博文が特注して献上した「背嚢」が正に箱型革製の「ランドセル」元祖だったそうです。
とはいえ、学習院初のランドセルはもちろんハイソな都会のお子様向きで、昭和30年代までは風呂敷登校が主でした。
世界各国をみまわしても日本みたいに革せいのしっかりした「ランドセル」風のものを使っているところは少ないそうで、唯一ドイツは似たようなものをつかっているけれど、それも本は背嚢から。
ところでびっくりするけど、アメリカの女子大生がファッションで使ったりするそうだよ。
私にはちょっとコント風に思えます。
あとはNGOとかランドセル会社が途上国にたくさん寄付したりして、アフガンやモンゴルの子供もつかっているらしい。ランドセル交流、いいですね。
…というキャラになるには私はきつすぎるんだけど。
昨日はデート大作戦でした(笑
実はみんなを利用したの…ごめんね。
復帰後初めて友達と集まる日と、Simonとのデート(?)の日が重なったのでドッキングさせてみました。
別にSimonは私の彼ではないんだけど、ちょっと関係は変わってきてるかな。
私たち、会ってけっこう日がたつし、そろそろ仲間と会わせてみたいなぁと思って。
というわけで、昨日のデートは「教会」でした。
私のホームグラウンド(西東京市)で、仲間内にひっぱりこんでその中でどういう風にみえるか観てみたくて。言わばオーディション?それなら合格。
萎縮するわけでもなく主張が強いわけでもなくナイスだった。そしてやっぱりSimon、かわいい。
あの元気なメンバーにも問題なくついていった彼の守備範囲はかなり広いと見える。
ところで何しにいったかというと、「テゼの祈り」というものでフランス発の集い。
「祈りの会」というと妙に宗教じみてて私すら抵抗を感じるんだけど、テゼはけっこうおもしろい。
やっぱり私は歌うのが好きだから最初から最期まで98%くらい歌で終わるこの集まりは落ち着くし、それから人が少ないのも良し。
雰囲気も独特で「神聖」と言ってもいいと思う。
一人一人が一対一で集中できるから、終わることには不思議とすっきり…(歌うからかな?)
あと気が小さいくせに露出狂(?)気味な私は、ああいうところでなら人がいるところでものびのび歌えるんです。カラオケよりずっと正統派なストレス解消かと。
立ち上げの時に二、三回行ってその後は体調を崩してご無沙汰していたんだけど、いつの間にかけっこう形が整っていた。レギュラーメンバーはほとんど私の仲間。
昨日は準備から参加して途中で駅にSimonを迎えに行った。仕事が終わった後で大雨で、こんな日にひっぱりこんでごめんね、と思ったりして…。しかも駅に迎えに行った時は大降りで2人ともびしょぬれになって何とも不快だった。
とりあえず日本語は読めるので問題なく。
しかし、Simonちょっと音痴??
でも皆人懐っこいので上手に打ち解けてたんじゃないかなぁと思う。
楽しかったらしい。お好み焼きも好きだそうで。
賢い男なので「大戸屋」の扉は「自動」か「手動」かというジョークにも耐えた→(自動=オートや)。
むしろうけてた(笑
「何故デートしたか」という事なんだけど…。
それはやっぱり私も若いからたまには自分を「仲間の一人」じゃなくてちゃんと「女」だと思ってくれる人と遊びたいな、と思うんですね。駆け引き感というか、とういう楽しさが欲しい。
私はあんまり自分に自信がないからどちらかというと作戦と雰囲気に頼る方。
つまり、恋愛はゲーム感で「策士」です。わりと見事な手腕だと思う。
でもただ遊びだけでやってるんじゃないから、結構心血注いでがんばったりしてみる。
昔から「女」としての劣等感はなぜか拭い去れないからそういうことになっちゃうんだろうなぁと反省。
ちょっと触れてみたり(公共猥褻罪には問われない程度よ>ユカ)、見掛けより頭の女だから会話に集中してみたりして。
私の恋人間の貞節観念(?)については前に言った通りだから、今のところまだ守備範囲。
また同じこというけど「若いから」(しつこい?)いろんな人とつき合ってベストを探したいわけです。
悪い?だめ?
とにかく次回のSimonとのデートは3月になりそうなので作戦を練る時間はたっぷりあるし、自由なうちに「策士」を楽しもうと悪巧みしてます。今月中にはもう会えないかな…。
先週は祖父とランチに行った。
最近彼は昔の諜報員時代の話を私にはしてくれるようになった。最期が近いのかな、とちょっと切ないけれど驚きの過去に目を見張るばかり。
「陸軍中野学校」の第一期生なので、人とは違う歴史を生きているんだけれどやっぱりすごい。
彼の人生を記録にするのは宿命だな、と思うのでとりあえずここに記録(笑。
彼と仲間についての本もあるんだけど、今のところ決定版はないし未だに彼らは当時のモットーを守っているので、ジャーナリストは訊き出せないところが多いのだ。実際墓場まで持っていくんだろう。日本の第二次世界大戦の要は、彼らと一緒に葬られるのだ。
「黙して語らず」の強さは今も生きているらしい。
ところで、祖父の人生は波乱万丈…とはいわないけれど私が知っているだけでも割とすごい。
山口県で長男に生まれた彼は中学校四年生の時に養子に入る。
これはいわゆる「お世継ぎ問題」。養子に入った家は日露戦争の英雄の家で、地元には絵巻物が残っている。この家に息子がいなかったから白羽の矢がたったらしい。
その家の子になって数年、「陸軍中野学校」に入学することになる。皇軍レベルの諜報員学校で、第一期生。つまり超エリート。しかし「秘密のエリート」…。
卒業した彼は南米で「大使館の書記官」という地位を被って国の諜報活動をする事になる。
大体22歳くらい。今の私と同じくらいだ。
戦前に、船に乗ってハワイをまわりアメリカ、そしてコロンビアまで行く。南米でも各地を移動して国の仕事をする。そんな彼の邪魔にならないように、という事で養子に入った家のお母様は出航の日自害されたとの事。やっぱり武士の妻は根性が違うなぁ…、考え方も違うなぁ、と思った。
日本郵船の「楽陽丸」にのっての航海。日本人の一等船客は彼だけだった。そんな時代。
ちなみに彼の航海日誌はけっこうおもしろい:
「嗚呼 日系二世の○○君よ、君はよくハワイでの生活を語ってくれた」
「アロハオエの調べに故国を想い」…
などなど文豪ばりの記述が多く、彼の性格が偲ばれる。
南米についてからはまあ、伏せておくとして…。
とりあえず写真はたくさん残っている。
今の南米大使の人が幼児の頃の写真だったり、祖父のコメントも上記の要領でけっこう笑えたり。
それにしても彼は物持ちがよいと思う…。
第二次世界大戦が始まってからは危険なので南米各国の日本人大使達と一緒に船で日本に帰る。そこで祖母に会って結婚。同級生のいとことのロマンスでした…。
次の任地は台湾。
日本と台湾の歴史はいわずと知れたことだし、ここでの事は祖父も話したがらないので記録しないでおきたい。ただ、思うのは全て「国」への忠誠心がさせた事だったという事実。
祖父は本当に真面目で頑固な人間だから、ある意味戦争の犠牲者だ。
その時はそれ以外に正しい事などなかったのだから、本当に一生懸命だったんだろうと思う。真面目だったから今その記憶と、良心に苦しめられている。そんな人はたくさんいるはず。
終戦は台湾だった。
台湾から帰国した直後マッカーサーの軍事裁判。
A級戦犯で巣鴨に終身刑になる。
模範囚で10年後に出所。
生まれた時以来あっていない娘はもう10歳だった。
その後は本当に普通に、幸せに生きてる。
彼も含めて、戦争は本当にいろんな人の人生をおかしくした。
祖父だって戦争がなかったらもっと幸せに普通に生きていて、今も健脚だから外国旅行なんかも行っただろうと思う。
私は憲法9条改正は強く反対する。
同時に小泉総理の靖国参拝も反対だ。
世界に反発したっていい事なんて何もないのだ。
国力が強いのは決行だが、力を誇示するのはただの嫌な奴だと思う。
祖父がこんな歴史を持っているから私の戦争に対する印象は他の人とは違うんだけど、やっぱりできればしない方がいいと思うよ…。
と珍しく政治の話(?)でした。
読んだ人コメントしてね。時々来てくださる初めての人でももちろんかまいませんので。
今週は割りと毎日帰りが早かった
…というのもうちの事務所の通信機器がボイコット事件を起こしたから。
なにやらMcAfeeが悪さをしたらしい。あなたウイルスバスターでしょ?
ともあれ、McAfeeの悪さが引き金となって、会社の他のシステムも蝕まれて一日めはもう最悪;
1.共有ファイルに入れない
2.プリンターが使えない
3.メールがおかしい
4.システムに入れない
5.FAXすら使えない?
つまり、ハードに入ってるデータと、今自分が見てる画面と電話のみ。
もういいよ…、みんなでモールス信号打つから。
電報係はどこ?
というわけで、輸入は共有ファイルが使えないとかなり仕事キツイ。
たとえば見積もりの記録が見れないし、過去のデータやテンプレートも共有ファイル。
それに記録がとれない。
二日目に入ると割と正常になって、エラーはプリンターと共有ファイルだけになった。
三日目、プリンターは人によって大丈夫。共有ファイルは「読み取り専用」。システム、人によって入れない。そして一人はパソコンが逝去した。
月曜には復興を祈ります。