苦行回が終わるとちょっと気が楽になりまして、プラハ旅行記にもゴールが見えてきました。
プラハ最大の魅力と行っても過言ではないカレル橋を歩き終わると、左手と正面に小さな教会があります。
この正面の教会、次の目的地の一部「クレメンティヌム」の一部です。
でもここからはクレメンティヌムには入れません。
ガイドブックと地図を見てみると建物は書いてあるけれど、どこにも入口の表記がありません。
目の前に佇む四角い大きな建物。。。
散々歩いたメインストリートには、目立った入口が無かったので反対側に行ってみる事に。
四角い建物をなぞる様に歩くと、みるみるうちに人手が引いて行き反対側には最早誰もいませんでした。結局ぐるっと一周歩いて見つけた入口はメインストリートのど真ん中。
とりあえず建物の大きさがわかったのは良かったです。

クレメンティヌム、と言うのはいわゆる複合建築物。
始まりは11世紀に聖クレメントの名の下に建てられた教会です。
これがドミニコ会の修道院になり、ドミニコ会撤退の後1556年にイエズス会が神学校として利用。クレメンティヌムの大部分と言える有名な図書館や天文台、それから大学施設はマリア・テレジアの時代にはイエズス会によって建てられました。
イエズス会は1773年に退去。ちなみにここでもらった日本語の説明書にはその後再びドミニコ会に受け継がれたと書いてあるんだけど、英語版には書いていなかったし、史実を調べてみても他の資料ではドミニコ会に戻った、とはどこにも記載されていないのでこの点ははっきりしません。
とりあえず1990年からは国立図書館となっています。
セグウェイの乗り入れは禁止↓

ゲートをくぐると四角く広がる建物。
なんとなくケンブリッジの小さなカレッジに入った様な気分でした。
少し進むとコンサートのチケットやお土産のポストカードを売っている小さな受付があり、そこでツアーの予約をします。私たちが運がよくて丁度ツアーが始まる所だったので、チケットを買って数分ぶらぶらしてるとガイドさんが来てホールへの扉を開けてくれました。
チケットは夕方のコンサートチケットを兼ねた物と、ツアーのみの物があります。
わが家は7時から別のコンサートを予約していたのでとりあえずツアーのみのチケットを。
扉をくぐると先ずは鏡の礼拝堂。
クレメンティヌムの見所その1。
それがこの鏡の礼拝堂。
向かって正面にあるのは受胎告知の祭壇と18世紀からあるオルガン。
このオルガンは今でも毎晩の様に開くコンサートでその音色を聴く事が出来ます。
大聖堂のパイプオルガンと較べると意外にコンパクトな印象。

天井には5つのパートに分けられたフレスコ画が。
これはラテン語のアベ・マリアの祈りを順を追って描いたもの。
携帯のカメラじゃこの美しさは撮りきれません。
画と画の間にある鏡には星が描かれていて、これは天国を表しているそうです。
壁にも鏡が向き合う様に掛けられており、対してこれは永遠の神の象徴だとか。
鏡が効果的に使われている事から、この礼拝堂は「鏡の礼拝堂」と呼ばれています。



そしてうしろをふりかえると中二階のオルガンギャラリーにきれいなオルガンが。
これはモーツァルトがプラハに滞在していた時に演奏した物だそうです。
祭壇にあるオルガンとは異なり、こちらは今は殆ど演奏されてません。

ここは撮影禁止、と言われていたんだけどガイドのお兄さんがこの部屋は大丈夫、と言うのでしっかり撮らせて頂きました。
しかし上の階にある有名な「バロック図書室」の撮影はダメ、としっかり念を押されました。
この礼拝堂の見学が終わると裏の扉から螺旋階段を登って次の場所へすすみます。
この螺旋階段がひどい。本当にひどい。。
直径が1メートルあるかないかで、踊り場はありません。
なので目的の階に着いたら横にずれる形で降りるのだけれど、これ結構怖い。下が全部見えてしまうし。。。躊躇してるのは私だけではなかった様で、上って行く途中時々詰まってました。
こうして詰まっているうちに、最後尾だった私はすっかり乗り遅れて上の階に着いたときは既に図書館の玄関ホールのレクチャーが始まってました。。色々面白そうな物があったのでこれは残念。
とりあえずここの説明が終わると狭い入口に案内され、ついにバロック図書館の見学です。
ここもストラホフ修道院と同様、以前は中に入れたけれど今は入口からしかみる事ができません。
何度も念を押されたのにこっそり写真を撮る観光客がいるのが残念。
私の回でもこっそり撮ってる人がいてちょっと嫌だった。
偏見は持ちたくないけれど、こういう事をするヨーロッパ人ってロンドンでもプラハでも、京都の都をどりでも、大体同じエリアから来てる人なんだよね。。お国柄の違いかなー。私は嫌だ、こういうの。
図書館が素晴らしいが故にマナーの悪さが尚更鼻についたわけです。
ちなみにこの図書館はまた天井に見事なフレスコ画が施されており、これは「人類の知恵の歴史」を表しています。
手前はギリシャ神話の情景で、バルナス山と9人の女神たち、そしてアポロの絵が。
そして知識の光を持った天使が人々に囲まれている姿を経て、イエズス会の教授たちの肖像やキリスト教の象徴へと移ります。
撮影のマナーを守らない皆さんも、ここで知恵を授かって今後の観光に役立てて下さる事を心からお祈り申し上げます。。。
この図書館は2万冊の蔵書があり、殆どは神学書。
様々な言語で書かれているけれど、殆どはドイツ語/イタリア語/ラテン語だとか。
最古の本はイエズス会がここに入って来た16世紀に持ち込まれた本。
イエズス会は本についての知識が豊かだった様で、実際にクレメンティヌム内に印刷機を持ち込んで、本の印刷もしていました。
薄暗い図書館でも見やすい様に城で本を塗装し、言語はラテン語で。
また、ここも一般の図書館と同様本を分類分けしていました。
更に見やすくする為に大きな本は下段に、小さな物は上段におく工夫も。
ただここにも忍び寄る宗教の「影」の部分。。
彼らは象形文字/神聖文字で書かれた物は手の届き難い中二階や上の方に所蔵していたそうです。
つまりは異端の可能性がある、と踏んだわけです。
それらの書籍は次第に「禁書」の分野におかれることになり、Anton Koniasが焚書リストを作成した際には随分燃やされたそうで、今でも何も入っていない本棚が幾つかあります。
Anton Koniasは焚書官として活躍?したイエズス会のメンバーだそうで、ちょっと興味が合って調べてみたんだけど日本語と英語では何も見つける事ができませんでした。
ドイツ語/ポーランド/チェコ語ではWikipediaにもページが作られているので、その辺りで大掛かりな焚書を行った残念な人なんだと思う。
本好きとしては焚書はどこの国でもどこの時代でも大変残念な行為だと思います。
光景的にもショッキングだし、燃やしてしまえばコンピューターのデータベースなんて無い時代もうその知識を得る事もできないし、思想の弾圧としては最適の手段だったんだと思う。
でも過去の知識やその本を書いた人の時間や心、労力を思うと泣けて来る。
幾ら気に入らない思想でも、心血注いだ時間や結果には尊敬があってししかるべきです。
否定や弾圧から作る未来には平和は無いと思います。
ちなみに近代になってから、この国立図書館の書籍はコンピューターのデータベースに登録される事になったそうで作業中の本は本棚から姿を消していました。
ここでは本以外には地球儀と天球儀が展示されています。
中に入れない今は詳細をみる事は叶わないのだけれど、当時のイエズス会の宣教師によって作られた地図を基に出来た物だと言うので面白いんだろうなー、と思う。
もしかしたらフランシスコ・ザビエルの観たインドと日本も描かれているのかも。
さて、図書館を出た後螺旋階段を上って向かうのは「子午線のホール」。
昔クレメンティヌムは、プラハ全体に「正午」を伝える、という役目も担っていたそうです。
この子午線のホールはずいぶん薄暗いんだけど、真ん中に光の通り道(正午線)があります。
壁にある穴を通った光が指す先が時刻を示している。いわゆる太陽時計の応用です。
これはかなり正確だったそうで、一年の時期と太陽の傾斜も計算して作られていたそうで、大体11時半から12時半くらいまでの天体時間が見えます。
当時は太陽が正午線を横切った瞬間、この上にある等のテラスから旗手が端をふり、反対側の川の坂で待ちかねていた砲手が合図の大砲を撃ってプラハ全体に正午を知らせていたとか。
視力、どれくらいあったんだろう。
明治時代の昼ドンと同じ。国と時代をまたいで同じ事してるなー、と知ったときはちょっと感動しました。
この子午線のホールは古い木造の塔で、この真上には小さなホールと天文塔があります。
狭ーい木の階段を上って上に行くんだけど、一段一段がものすごく高い。
上るのは何とかなるんだけど、降りるのは後ろ向きに行った方が安全な感じの階段です。。
私は高いところや不安定な所が苦手なので、みんなが塔で写真を撮ってる間はホールの見学をしてました。塔、一瞬行ってみたけどどうやっても無理。犬山城より怖かった。
このホールにはイエズス会が作った温度計や湿度計なんかが置いてあって、実験室の様で面白かった。上に行けなくてラッキーでした。


この塔から降りるとツアーは完了。
時刻は4時過ぎ。
Gが随分疲れていたので今日の観光はもういいやー、と言う気分に。
折角だから鏡の礼拝堂で5時から始まるコンサートに行く事にしてチケットを買いました。
さあ、一時間どうやって潰そうか。

プラハ最大の魅力と行っても過言ではないカレル橋を歩き終わると、左手と正面に小さな教会があります。
この正面の教会、次の目的地の一部「クレメンティヌム」の一部です。
でもここからはクレメンティヌムには入れません。
ガイドブックと地図を見てみると建物は書いてあるけれど、どこにも入口の表記がありません。
目の前に佇む四角い大きな建物。。。
散々歩いたメインストリートには、目立った入口が無かったので反対側に行ってみる事に。
四角い建物をなぞる様に歩くと、みるみるうちに人手が引いて行き反対側には最早誰もいませんでした。結局ぐるっと一周歩いて見つけた入口はメインストリートのど真ん中。
とりあえず建物の大きさがわかったのは良かったです。

クレメンティヌム、と言うのはいわゆる複合建築物。
始まりは11世紀に聖クレメントの名の下に建てられた教会です。
これがドミニコ会の修道院になり、ドミニコ会撤退の後1556年にイエズス会が神学校として利用。クレメンティヌムの大部分と言える有名な図書館や天文台、それから大学施設はマリア・テレジアの時代にはイエズス会によって建てられました。
イエズス会は1773年に退去。ちなみにここでもらった日本語の説明書にはその後再びドミニコ会に受け継がれたと書いてあるんだけど、英語版には書いていなかったし、史実を調べてみても他の資料ではドミニコ会に戻った、とはどこにも記載されていないのでこの点ははっきりしません。
とりあえず1990年からは国立図書館となっています。
セグウェイの乗り入れは禁止↓

ゲートをくぐると四角く広がる建物。
なんとなくケンブリッジの小さなカレッジに入った様な気分でした。
少し進むとコンサートのチケットやお土産のポストカードを売っている小さな受付があり、そこでツアーの予約をします。私たちが運がよくて丁度ツアーが始まる所だったので、チケットを買って数分ぶらぶらしてるとガイドさんが来てホールへの扉を開けてくれました。
チケットは夕方のコンサートチケットを兼ねた物と、ツアーのみの物があります。
わが家は7時から別のコンサートを予約していたのでとりあえずツアーのみのチケットを。
扉をくぐると先ずは鏡の礼拝堂。
クレメンティヌムの見所その1。
それがこの鏡の礼拝堂。
向かって正面にあるのは受胎告知の祭壇と18世紀からあるオルガン。
このオルガンは今でも毎晩の様に開くコンサートでその音色を聴く事が出来ます。
大聖堂のパイプオルガンと較べると意外にコンパクトな印象。

天井には5つのパートに分けられたフレスコ画が。
これはラテン語のアベ・マリアの祈りを順を追って描いたもの。
携帯のカメラじゃこの美しさは撮りきれません。
画と画の間にある鏡には星が描かれていて、これは天国を表しているそうです。
壁にも鏡が向き合う様に掛けられており、対してこれは永遠の神の象徴だとか。
鏡が効果的に使われている事から、この礼拝堂は「鏡の礼拝堂」と呼ばれています。



そしてうしろをふりかえると中二階のオルガンギャラリーにきれいなオルガンが。
これはモーツァルトがプラハに滞在していた時に演奏した物だそうです。
祭壇にあるオルガンとは異なり、こちらは今は殆ど演奏されてません。

ここは撮影禁止、と言われていたんだけどガイドのお兄さんがこの部屋は大丈夫、と言うのでしっかり撮らせて頂きました。
しかし上の階にある有名な「バロック図書室」の撮影はダメ、としっかり念を押されました。
この礼拝堂の見学が終わると裏の扉から螺旋階段を登って次の場所へすすみます。
この螺旋階段がひどい。本当にひどい。。
直径が1メートルあるかないかで、踊り場はありません。
なので目的の階に着いたら横にずれる形で降りるのだけれど、これ結構怖い。下が全部見えてしまうし。。。躊躇してるのは私だけではなかった様で、上って行く途中時々詰まってました。
こうして詰まっているうちに、最後尾だった私はすっかり乗り遅れて上の階に着いたときは既に図書館の玄関ホールのレクチャーが始まってました。。色々面白そうな物があったのでこれは残念。
とりあえずここの説明が終わると狭い入口に案内され、ついにバロック図書館の見学です。
ここもストラホフ修道院と同様、以前は中に入れたけれど今は入口からしかみる事ができません。
何度も念を押されたのにこっそり写真を撮る観光客がいるのが残念。
私の回でもこっそり撮ってる人がいてちょっと嫌だった。
偏見は持ちたくないけれど、こういう事をするヨーロッパ人ってロンドンでもプラハでも、京都の都をどりでも、大体同じエリアから来てる人なんだよね。。お国柄の違いかなー。私は嫌だ、こういうの。
図書館が素晴らしいが故にマナーの悪さが尚更鼻についたわけです。
ちなみにこの図書館はまた天井に見事なフレスコ画が施されており、これは「人類の知恵の歴史」を表しています。
手前はギリシャ神話の情景で、バルナス山と9人の女神たち、そしてアポロの絵が。
そして知識の光を持った天使が人々に囲まれている姿を経て、イエズス会の教授たちの肖像やキリスト教の象徴へと移ります。
撮影のマナーを守らない皆さんも、ここで知恵を授かって今後の観光に役立てて下さる事を心からお祈り申し上げます。。。
この図書館は2万冊の蔵書があり、殆どは神学書。
様々な言語で書かれているけれど、殆どはドイツ語/イタリア語/ラテン語だとか。
最古の本はイエズス会がここに入って来た16世紀に持ち込まれた本。
イエズス会は本についての知識が豊かだった様で、実際にクレメンティヌム内に印刷機を持ち込んで、本の印刷もしていました。
薄暗い図書館でも見やすい様に城で本を塗装し、言語はラテン語で。
また、ここも一般の図書館と同様本を分類分けしていました。
更に見やすくする為に大きな本は下段に、小さな物は上段におく工夫も。
ただここにも忍び寄る宗教の「影」の部分。。
彼らは象形文字/神聖文字で書かれた物は手の届き難い中二階や上の方に所蔵していたそうです。
つまりは異端の可能性がある、と踏んだわけです。
それらの書籍は次第に「禁書」の分野におかれることになり、Anton Koniasが焚書リストを作成した際には随分燃やされたそうで、今でも何も入っていない本棚が幾つかあります。
Anton Koniasは焚書官として活躍?したイエズス会のメンバーだそうで、ちょっと興味が合って調べてみたんだけど日本語と英語では何も見つける事ができませんでした。
ドイツ語/ポーランド/チェコ語ではWikipediaにもページが作られているので、その辺りで大掛かりな焚書を行った残念な人なんだと思う。
本好きとしては焚書はどこの国でもどこの時代でも大変残念な行為だと思います。
光景的にもショッキングだし、燃やしてしまえばコンピューターのデータベースなんて無い時代もうその知識を得る事もできないし、思想の弾圧としては最適の手段だったんだと思う。
でも過去の知識やその本を書いた人の時間や心、労力を思うと泣けて来る。
幾ら気に入らない思想でも、心血注いだ時間や結果には尊敬があってししかるべきです。
否定や弾圧から作る未来には平和は無いと思います。
ちなみに近代になってから、この国立図書館の書籍はコンピューターのデータベースに登録される事になったそうで作業中の本は本棚から姿を消していました。
ここでは本以外には地球儀と天球儀が展示されています。
中に入れない今は詳細をみる事は叶わないのだけれど、当時のイエズス会の宣教師によって作られた地図を基に出来た物だと言うので面白いんだろうなー、と思う。
もしかしたらフランシスコ・ザビエルの観たインドと日本も描かれているのかも。
さて、図書館を出た後螺旋階段を上って向かうのは「子午線のホール」。
昔クレメンティヌムは、プラハ全体に「正午」を伝える、という役目も担っていたそうです。
この子午線のホールはずいぶん薄暗いんだけど、真ん中に光の通り道(正午線)があります。
壁にある穴を通った光が指す先が時刻を示している。いわゆる太陽時計の応用です。
これはかなり正確だったそうで、一年の時期と太陽の傾斜も計算して作られていたそうで、大体11時半から12時半くらいまでの天体時間が見えます。
当時は太陽が正午線を横切った瞬間、この上にある等のテラスから旗手が端をふり、反対側の川の坂で待ちかねていた砲手が合図の大砲を撃ってプラハ全体に正午を知らせていたとか。
視力、どれくらいあったんだろう。
明治時代の昼ドンと同じ。国と時代をまたいで同じ事してるなー、と知ったときはちょっと感動しました。
この子午線のホールは古い木造の塔で、この真上には小さなホールと天文塔があります。
狭ーい木の階段を上って上に行くんだけど、一段一段がものすごく高い。
上るのは何とかなるんだけど、降りるのは後ろ向きに行った方が安全な感じの階段です。。
私は高いところや不安定な所が苦手なので、みんなが塔で写真を撮ってる間はホールの見学をしてました。塔、一瞬行ってみたけどどうやっても無理。犬山城より怖かった。
このホールにはイエズス会が作った温度計や湿度計なんかが置いてあって、実験室の様で面白かった。上に行けなくてラッキーでした。


この塔から降りるとツアーは完了。
時刻は4時過ぎ。
Gが随分疲れていたので今日の観光はもういいやー、と言う気分に。
折角だから鏡の礼拝堂で5時から始まるコンサートに行く事にしてチケットを買いました。
さあ、一時間どうやって潰そうか。
