苦行回最終。
一応このプラハの旅シリーズは11月半ば迄に終わらせたいな。。。という目標があります。
11月半ばにはクリスマススケジュールがはじまるから、日曜日も仕事に行く週が出て来るし。
実はあと1日半しかツアー日程も残ってないのでそんなに掛からない筈なんだけど、ここまで蝸牛のペースでやってるのできちんと終われる自信ははっきり言ってありません!
聖ヴァーツラフ、聖ノルベルト、聖シギスムント 1853年作
聖ヴァーツラフは前述の通り。
聖ノルベルトは宮廷で聖職に就いたけれど世俗社会が楽しくて、神様ってそれが何?的な生活を送っていたそうです。ところが雷に打たれて落馬した後急に改心し、地元の質素な修道院に入った後に苦行生活を。その後ケルンの大司教に抜擢されたけれどやんちゃだった過去を知る人に迫害される事に。耐え忍ぶ毎日の甲斐あって結局は市民に受け入れられ、新しい修道会を設立した後も質素な生活を貫いたとの事。遺体はあのストラホフ修道院に今でも安置されてます。
聖シギスムントもブルゴーニュ王であり、ボヘミアとキリスト王国の守護者であり。
自分の一族の多くをキリスト教に改心させた方だそうです。こちらも遺体はカレル四世がプラハに移動させたとか。
大雑把に考えると、一応この三人もご当地聖人です。
↓

次に当たるのは聖ボルジア・フランシスコ。
こちらも逆光で使える写真が。。。。あるにはあるんだけど、Gのカメラで撮った写真なのでアメブロのサイズ制限には勝てず掲載は諦める事にしました。。。
こちらもまたプラハに行った時に撮ってきます。
聖クリストフォル 1857年作
この彫刻、ちょっと格好良くて私好きです。
この人が迫害/殉教系聖人なんだけど、話が結構面白い。
3世紀頃に産まれた「力の強い巨人」だった彼(レプロブスが本名)は、一番強い人に仕えたかったそうです。
なので先ずは強いと言えば王様!と言う事でリキアの王様の家来に。
ところがある日悪魔が現れたとき王様が怖がっているのをみて、強い方の悪魔にまずは乗り換え。
今度は悪魔に仕えていたんだけど、悪魔は木の十字架はかならず迂回して通る事に疑問をもち、悪魔に聞いてみると「イエス・キリストの象徴は怖いから。。」との事。
悪魔はキリストより弱い事が判明したので、クリストフォルはキリストを探しに行きます。
が、どうやっても見つからない。そこで砂漠の世捨て人に聞いてみたら祈りと精進でしか見つからないとのたまう。あまり頭は良くなかった彼は理解できなかったのだけれど、世捨て人はとりあえず川に行って弱い人を運んであげれば神様に仕えた事になるとアドバイスします。
そこでクリストフォルは無償で川を渡る人に尽くす事に。
そんなある日、小さい男の子を渡していたとき、歩けば歩く程男の子の重みが増して行く事に気付きます。一歩一歩ずんずん重くなる幼児。。。これはただ事では無いと思ったクリストフォルは彼に何物かと訪ねるとなんと探していた「イエス・キリスト」でした。世界中の人の罪を背負っているから重いんだそうです。それでもクリストフォルは対岸迄彼を送り届け、祝福とともに「クリストフォル(キリストを背負ったもの)」と言う名前を頂きます。
この後色々あって奇跡を起こしたり宣教していたりしたら、その土地の王様に脅威とみなされ斬首されてしまったそうです。
聖人の話、こういうのは好きだな。
むしろファンタジー。(日本昔話にも似たようなのあったし。。)
車・巡礼・商人・船人・荷運び人なんかの守護神。更に強さにあやかって、12世紀頃ペストが流行した時は彼の絵を外壁に掲げるのが流行ったそうです。
↓

洗礼者ヨハネ 1857年作
この人はもう言わずもがなで、説明する必要も無い気がするんだけど。
聖母マリアの親戚だったエリザベト(結構お年寄り)から産まれ、キリストに洗礼を施したあともろもろあって、サロメに首を要求されて亡くなったあの人です。
聖母マリアはガブリエルから受胎告知を受けた時に、あのお年寄りのエリザベトも妊娠六ヶ月だよーと知らされしばらくお世話しに行ってます。産まれる前から色々キリストと関係のあった人なんですね。
サロメの話は子どもの頃オスカーワイルドの戯曲を読んだのでそれが印象的。
幾ら母親に「ヨハネの首をねだりなさい」って言われたからってそのまま頼むって有り得ない。。
↓

次はまた有名人。
教科書でおなじみのこの人です!

フランシスコ・ザビエル 1711年作
カッパ頭として知られる彼ですが、あれはハゲではなくて「トンスラ」と言うヘアスタイルです!望んでやっている事です。
実は頭頂部だけでなく下の方も剃っていて、頭全体を使ってキリスト殉教時に被されたいばらの冠を表しているそうですが、実は当時も評判がイマイチですぐ廃れたスタイルだとか。
つまりザビエルは「トンスラブーム」があった事を後世に伝えた偉人でもありますね。(実はザビエルはトンスラ頭じゃなかった説も。。。)
ちなみにこの人は日本に始めてキリスト教と「メガネ」を持ち込んだ人です。
今更そんなに語る事も無い人だけど、一応まじめにまとめるとザビエルは今でも日本で大きな派閥を占める「イエズス会」の創設者の一人。
35歳の誕生日にリスボンを発って、モザンビークを経て最初の任地ゴアへ。そこで最初の日本人キリスト教信者が誕生します(ヤジロウさん。薩摩出身で人を殺めたためポルトガル船に密航してインドに至ったそうです)。この人はザビエルの日本での宣教の立役者。ヤジロウさんに出会わなければザビエルは日本に行かなかったんじゃないかと思う。
ヤジロウさんはキリスト教の知識があまりなかったから、最初は上手く訳せなくてザビエルは仏教の偉い人だと勘違いされてお寺に歓迎されたりしたそうです。
日本での宣教後、中国に行こうとしたけれど思い叶わず46歳の時上川島で亡くなりました。
翌年ゴアに移送されたんだけど、拝観時に右足の指2本を噛み切って逃走した女性がいたそうです。この指、彼女の死後きちんと戻って来たんだけどなんだか嫌な話ですね。
信仰ってナナメに行き過ぎるとこんな狂気じみた事も出来る様になってしまうんだなー。
ザビエルの右腕は死語50年経っても鮮血が迸る程フレッシュだったそうで、これは聖遺物として祀られてます。日本にも来ました。
この人は日本のキリスト教史にはあってはならない大切な人。
だけど日本史を考えると、この人が来なければ島原の乱も鎖国もなかったんだろうな、と思うとちょっとフクザツかも。
↓

このザビエルの像は、インド人・東洋人・黒人・タタール人に背負われているのだけれど、この東洋人は日本人かな?中国には行けなかったわけだし。
一応見えなくもない?
この時代にちょんまげが(例えポニーテール的な髪型に変化していても)チェコに伝わっていた事が私にとっては衝撃的な事実でした。

聖キュリロスと聖メトディウス 1938年作
ローマ時代の修道士兄弟。兄の聖メトディウスと弟の聖キュリロス。
兄はスラブ系の教会で人気の聖人。聖書をスラブ語へ翻訳した人です。
弟のキュリロスはキリル文字の考案者。(キリル文字の下地になったグラゴル文字を考案した人。)
チェコではないんだけど、通過がユーロになるまでスロバキアの50コロナ紙幣にはこの2人の肖像が使用されてました。
これは唯一1900年代に作成された新しい彫像です。
↓

ナザレのヨセフ 1854年
聖母の夫、イエス・キリストの養父。大工さん。
立場上やっぱり守護するのは父親/労働者、そして「疑惑と躊躇に対して」。。だそうです。
普通に考えると婚約した若い女の子が既に妊娠してる、と言う状況で「疑惑と躊躇」がないとは思えない。それが神の子と信じて結婚したヨセフは偉いと思う。
この人は南ボヘミア生まれなので、ボヘミアの守護聖人に任命されたそうです。
↓

聖アンナと聖母子 1707年
女性的でキレイな彫刻。
聖アンナと聖母子のモチーフはレオナルド・ダ・ヴィンチのが有名だと思う。
聖アンナは聖母マリアの母、つまりキリストのおばあちゃんです。
この人も年を取る迄子どもを授からず、妊娠したとき告知に来た天使に産まれた子は神に捧げると約束したそうで、聖母マリアは3歳の時に両親が通っていたエルサレム神殿に奉献されてます。
つまり母の代からキリストのレジェンドは始まっていたわけですね。聖母マリアも選ばれて生を受けた存在だったんだ。すごいな。
ケベック州とブルターニュ、そして出産と鉱業の守護聖人です。
なんで鉱業なんだろう。
↓

ピエタ 1859年
また有名なモチーフ、ピエタ。
十字架から降ろされたキリストを抱く聖母マリアとマグダラのマリア。間に立つ使徒ヨハネ。
このスポットは何度も洪水で流されたりしたそうで、一時は罪人を罰する為に使われた事もあるそうです。罪を認めない被告人は視聴の命令でここに連れて来られ手足を縛られた後川につけられます。無実だったら溺れないでしょ、という魔女裁判でもやるあれです。
1800年近くでもそんな事が行われてたと思うとちょっとぞっとする。
人間の文明なんて本当に最近築かれた物なんですね。
↓

ブロンズの十字架
ここには14世紀から十字架が建っていたそうです。
何度も代替わりして、今の物は1861年作。聖母と聖ヨハネが十字架を見上げてます。
最初の物は木製の十字架。これは1419年の戦争で破壊されました。
次は1436年。また木製だったので天候により劣化。
1627年、はじめての金属導入。だけど十字架部分のみが金属でその他は木製だったためまた劣化。8年後に修復される。
1648年、まだここにあった金属の十字架。スウェーデン軍との戦いがあったとき、軍は旧市街市民のバリゲードに会い先に進めなかったそうだけどその地点がこの十字架だとか。
腹立ち紛れにキリストの頭は打ち落とされました。
今度はレオポルト一世が1657年に、木製十字架に金属製のキリスト像を吊るした物を取り寄せたけれど、十字架自体と聖母マリア/聖ヨハネの像は木製のまま。急遽両側の像も金属にしたけれど1861年に撤去されてその後は行方知れず。
そして1861年、ようやく今の姿になったそうです。
実際みた時に他のに較べてずいぶんシンプルな作りだなー、と思ったんだけど、他の像よりずっと試行錯誤と失敗を重ねて今の姿になった事がわかりちょっと感動しました。情熱を感じた。
↓

聖バルバラ、聖マルガレータ、聖エリザベート 1707年
あえて英語読みにしてみると、バーバラとマーガレットとエリザベス。
有閑マダムが三人でお茶でもしてるような響きになりますね。
聖バルバラはすごい。父親が彼女を愛するあまり、男と宗教(3世紀頃にはキリスト教が禁じられていたので)から遠ざけようと塔の部屋に監禁!
リアルラプンツェルです。
しかしそんな幽閉生活でも何故かキリスト教に目覚めてしまうバーバラ。
ある日父が彼女の塔に二つの窓の或るバスルームを作る計画をしたとき、バーバラはこっそりそのデザインを三つの窓に変えます。それは三位一体を示す為だったとか。
これがわかった時父親は怒り狂って彼女を殺そうとします。その時岩が二つの裂けてバーバラは飲み込まれていったそうな。
実際彼女は神に保護されて生き延びるんだけど、羊飼いに密告されて捕えられてしまいます。(この羊飼い、後にイナゴにされます)
異端の宗教(キリスト今日)を信仰していた彼女は、お約束通り火あぶりに。しかし翌朝には神の奇跡で傷は癒されたそうです。結局最終的には剣により殉教。父親は稲妻に打たれて亡くなったそうな。
建築家/消防士/囚人なんかの守護聖人です。
聖マルガレータは実在性が非常に低いため典礼暦から外された、ファンタジーの世界の住人です。
バーバラと同じ時期に産まれたので、キリスト教は異端。父親は当時のアエデシウスと言う宗教の妻子だった為、幼い頃からキリスト教を信仰していた彼女は養母の元に送られて羊飼いをしていたそうです。そんな頃地方高官から求婚されたけれど当然断る彼女。
そのせいで数々の拷問を受けたけれどいちいち奇跡を起こして回避。
なかでも有名なのは、ドラゴンの姿をした悪魔に飲まれたのに、持っていた十字架でドラゴンの体内傷つけ無傷で出て来たと言う(ピノキオや一寸法師のような)奇跡。
ちなみにドラゴン好きのイギリス人の心の琴線に触れる部分があったようで、イングランドでは250の教会が彼女に捧げられているとか。
ジャンヌ・ダルクの幻に現れた事でも有名だそうです。
対して聖エリザベートは正真正銘実在してます。1207年ー1231年、ハンガリーに住んでいた王女です。
4歳で婚約、14歳で結婚。幸せな結婚生活のもと三児を設けたが姑は最悪。
6年の幸せな結婚の後夫が十字軍従軍中に亡くなり、5歳の長男を筆頭に3人の子持ちの未亡人となる若干20歳のエリザベート。彼女を疎んだ姑に城を追われてなんと豚小屋に住んでいました。
伯母に見つけ出されたその居城に移り住んだ後は再婚もする事も無く、病院を建てたりして病人・貧民の為に見を捧げたとか。
彼女は未亡人/病人/パン焼き職人/織師なんかの守護聖人だそうです。
産まれた年代も違うこの3人がどうして同じ台に据えられているのかはイマイチわからんが、なんとなく女子会後ちょっとした事で仲違いしちゃった女3人、と言うイメージがぬぐえない一体でした。
↓

聖ドミニクとトマス・アキナスを招く聖母 1708年
聖ドミニクはドミニコ会の創設者。
ドミニクは聖母マリアからロザリオをもらい、ロザリオの祈りを広める約束を課せられたそうなのでその情景を彫像にしたんだと思います。
トマス・アキナスはドミニクの死後、ドミニコ会に入会した修道士。
両親は伯父が院長をしていた修道院を継ぐべく5歳からそこに預けられていたんだけど、大学を出たら親の反対を押し切ってドミニコ会に入会。ドミニコ会は産まれたばかりの修道会で古い教会制度への挑戦を機軸にしていたから前途有望な若者には魅力的だったんだろうね。
社長の息子が企業を継ぐべくお金をかけて一流大学まで出してもらったのに、急に先輩が建ち上げたベンチャー企業に入ります!と言って家を出て行く様なもんだね。
反対した家族は彼を連れ戻し軟禁したり若い女を連れて来て誘惑したりしたけれど彼の決心は固く、結局はドミニコ会に戻さざるを得なかったそうです。
神学者としてだけではなく、非常に優れた哲学者だった彼は、集大成として「神学大全」を書き下ろし、後世のキリスト教を導きました。
ちなみに彼を知る物が語ったところ、トマスは「非常に太った」「色黒」の「ハゲ気味」な男性だったとか。
↓

聖イヴォ 1711年
ブルターニュの信心深い貴族の基に生まれ、幼い頃から「聖人になりなさい」と親に無茶を言われて来た彼。結局成せばなる!聖人になりました。
14歳の時にパリに出た後、神学/憲法/教会法を学びながら病院に通って患者の世話をしていたそうです。
晴れて司祭になると聖職判事に任命され、貧しい人々の事件を無料で引き受けたり自宅の近くに貧しい人の為の診療所を開いて世話をしたり。。
モットーにしていた「隣人を愛しなさい」を見事将来貫いた人です。
文句無しに素晴らしい人だと思う。
しかし今は「弁護士」の保護者。どうぞ悪徳弁護士は守護しないで下さい。お願いします。
↓

最後の一体は、聖母と聖ベルナルド。1709年作
幼子イエス・キリストを抱いた聖母の左手側に跪くベルナルド。
右手には十字架やロンギヌスの槍等の受難の象徴、そして裏切りの象徴の鶏。
十字軍の勧誘演説で有名だから十字架なのかな?
シトー会の勢いを盛り返し、教会当時に大きな足跡を残した方だそうです。
教皇から与えられた二つ名は「甘蜜博士」
↓

これでカレル橋おわり。歩ききりました。
全く需要のないであろう聖人ストーリーを調べ始めたらそれが結構面白くて。
キリスト教は明らかに一神教なんだけど、聖人もある種「聖」ととらえると八百万の神様に共通した所もあるような気がして親近感がわきました。
それにしてもみんな突拍子もない人生を送った後に、結構地味なピンポイントの守護をしてるんですね。ほんと、過剰睡眠にまで守護聖人がいるとは考えた事も無かった。
カレル橋の聖人像のお陰で第三の目が開いた気がします。
ありがとう、プラハ。
一応このプラハの旅シリーズは11月半ば迄に終わらせたいな。。。という目標があります。
11月半ばにはクリスマススケジュールがはじまるから、日曜日も仕事に行く週が出て来るし。
実はあと1日半しかツアー日程も残ってないのでそんなに掛からない筈なんだけど、ここまで蝸牛のペースでやってるのできちんと終われる自信ははっきり言ってありません!
聖ヴァーツラフ、聖ノルベルト、聖シギスムント 1853年作
聖ヴァーツラフは前述の通り。
聖ノルベルトは宮廷で聖職に就いたけれど世俗社会が楽しくて、神様ってそれが何?的な生活を送っていたそうです。ところが雷に打たれて落馬した後急に改心し、地元の質素な修道院に入った後に苦行生活を。その後ケルンの大司教に抜擢されたけれどやんちゃだった過去を知る人に迫害される事に。耐え忍ぶ毎日の甲斐あって結局は市民に受け入れられ、新しい修道会を設立した後も質素な生活を貫いたとの事。遺体はあのストラホフ修道院に今でも安置されてます。
聖シギスムントもブルゴーニュ王であり、ボヘミアとキリスト王国の守護者であり。
自分の一族の多くをキリスト教に改心させた方だそうです。こちらも遺体はカレル四世がプラハに移動させたとか。
大雑把に考えると、一応この三人もご当地聖人です。
↓

次に当たるのは聖ボルジア・フランシスコ。
こちらも逆光で使える写真が。。。。あるにはあるんだけど、Gのカメラで撮った写真なのでアメブロのサイズ制限には勝てず掲載は諦める事にしました。。。
こちらもまたプラハに行った時に撮ってきます。
聖クリストフォル 1857年作
この彫刻、ちょっと格好良くて私好きです。
この人が迫害/殉教系聖人なんだけど、話が結構面白い。
3世紀頃に産まれた「力の強い巨人」だった彼(レプロブスが本名)は、一番強い人に仕えたかったそうです。
なので先ずは強いと言えば王様!と言う事でリキアの王様の家来に。
ところがある日悪魔が現れたとき王様が怖がっているのをみて、強い方の悪魔にまずは乗り換え。
今度は悪魔に仕えていたんだけど、悪魔は木の十字架はかならず迂回して通る事に疑問をもち、悪魔に聞いてみると「イエス・キリストの象徴は怖いから。。」との事。
悪魔はキリストより弱い事が判明したので、クリストフォルはキリストを探しに行きます。
が、どうやっても見つからない。そこで砂漠の世捨て人に聞いてみたら祈りと精進でしか見つからないとのたまう。あまり頭は良くなかった彼は理解できなかったのだけれど、世捨て人はとりあえず川に行って弱い人を運んであげれば神様に仕えた事になるとアドバイスします。
そこでクリストフォルは無償で川を渡る人に尽くす事に。
そんなある日、小さい男の子を渡していたとき、歩けば歩く程男の子の重みが増して行く事に気付きます。一歩一歩ずんずん重くなる幼児。。。これはただ事では無いと思ったクリストフォルは彼に何物かと訪ねるとなんと探していた「イエス・キリスト」でした。世界中の人の罪を背負っているから重いんだそうです。それでもクリストフォルは対岸迄彼を送り届け、祝福とともに「クリストフォル(キリストを背負ったもの)」と言う名前を頂きます。
この後色々あって奇跡を起こしたり宣教していたりしたら、その土地の王様に脅威とみなされ斬首されてしまったそうです。
聖人の話、こういうのは好きだな。
むしろファンタジー。(日本昔話にも似たようなのあったし。。)
車・巡礼・商人・船人・荷運び人なんかの守護神。更に強さにあやかって、12世紀頃ペストが流行した時は彼の絵を外壁に掲げるのが流行ったそうです。
↓

洗礼者ヨハネ 1857年作
この人はもう言わずもがなで、説明する必要も無い気がするんだけど。
聖母マリアの親戚だったエリザベト(結構お年寄り)から産まれ、キリストに洗礼を施したあともろもろあって、サロメに首を要求されて亡くなったあの人です。
聖母マリアはガブリエルから受胎告知を受けた時に、あのお年寄りのエリザベトも妊娠六ヶ月だよーと知らされしばらくお世話しに行ってます。産まれる前から色々キリストと関係のあった人なんですね。
サロメの話は子どもの頃オスカーワイルドの戯曲を読んだのでそれが印象的。
幾ら母親に「ヨハネの首をねだりなさい」って言われたからってそのまま頼むって有り得ない。。
↓

次はまた有名人。
教科書でおなじみのこの人です!

フランシスコ・ザビエル 1711年作
カッパ頭として知られる彼ですが、あれはハゲではなくて「トンスラ」と言うヘアスタイルです!望んでやっている事です。
実は頭頂部だけでなく下の方も剃っていて、頭全体を使ってキリスト殉教時に被されたいばらの冠を表しているそうですが、実は当時も評判がイマイチですぐ廃れたスタイルだとか。
つまりザビエルは「トンスラブーム」があった事を後世に伝えた偉人でもありますね。(実はザビエルはトンスラ頭じゃなかった説も。。。)
ちなみにこの人は日本に始めてキリスト教と「メガネ」を持ち込んだ人です。
今更そんなに語る事も無い人だけど、一応まじめにまとめるとザビエルは今でも日本で大きな派閥を占める「イエズス会」の創設者の一人。
35歳の誕生日にリスボンを発って、モザンビークを経て最初の任地ゴアへ。そこで最初の日本人キリスト教信者が誕生します(ヤジロウさん。薩摩出身で人を殺めたためポルトガル船に密航してインドに至ったそうです)。この人はザビエルの日本での宣教の立役者。ヤジロウさんに出会わなければザビエルは日本に行かなかったんじゃないかと思う。
ヤジロウさんはキリスト教の知識があまりなかったから、最初は上手く訳せなくてザビエルは仏教の偉い人だと勘違いされてお寺に歓迎されたりしたそうです。
日本での宣教後、中国に行こうとしたけれど思い叶わず46歳の時上川島で亡くなりました。
翌年ゴアに移送されたんだけど、拝観時に右足の指2本を噛み切って逃走した女性がいたそうです。この指、彼女の死後きちんと戻って来たんだけどなんだか嫌な話ですね。
信仰ってナナメに行き過ぎるとこんな狂気じみた事も出来る様になってしまうんだなー。
ザビエルの右腕は死語50年経っても鮮血が迸る程フレッシュだったそうで、これは聖遺物として祀られてます。日本にも来ました。
この人は日本のキリスト教史にはあってはならない大切な人。
だけど日本史を考えると、この人が来なければ島原の乱も鎖国もなかったんだろうな、と思うとちょっとフクザツかも。
↓

このザビエルの像は、インド人・東洋人・黒人・タタール人に背負われているのだけれど、この東洋人は日本人かな?中国には行けなかったわけだし。
一応見えなくもない?
この時代にちょんまげが(例えポニーテール的な髪型に変化していても)チェコに伝わっていた事が私にとっては衝撃的な事実でした。

聖キュリロスと聖メトディウス 1938年作
ローマ時代の修道士兄弟。兄の聖メトディウスと弟の聖キュリロス。
兄はスラブ系の教会で人気の聖人。聖書をスラブ語へ翻訳した人です。
弟のキュリロスはキリル文字の考案者。(キリル文字の下地になったグラゴル文字を考案した人。)
チェコではないんだけど、通過がユーロになるまでスロバキアの50コロナ紙幣にはこの2人の肖像が使用されてました。
これは唯一1900年代に作成された新しい彫像です。
↓

ナザレのヨセフ 1854年
聖母の夫、イエス・キリストの養父。大工さん。
立場上やっぱり守護するのは父親/労働者、そして「疑惑と躊躇に対して」。。だそうです。
普通に考えると婚約した若い女の子が既に妊娠してる、と言う状況で「疑惑と躊躇」がないとは思えない。それが神の子と信じて結婚したヨセフは偉いと思う。
この人は南ボヘミア生まれなので、ボヘミアの守護聖人に任命されたそうです。
↓

聖アンナと聖母子 1707年
女性的でキレイな彫刻。
聖アンナと聖母子のモチーフはレオナルド・ダ・ヴィンチのが有名だと思う。
聖アンナは聖母マリアの母、つまりキリストのおばあちゃんです。
この人も年を取る迄子どもを授からず、妊娠したとき告知に来た天使に産まれた子は神に捧げると約束したそうで、聖母マリアは3歳の時に両親が通っていたエルサレム神殿に奉献されてます。
つまり母の代からキリストのレジェンドは始まっていたわけですね。聖母マリアも選ばれて生を受けた存在だったんだ。すごいな。
ケベック州とブルターニュ、そして出産と鉱業の守護聖人です。
なんで鉱業なんだろう。
↓

ピエタ 1859年
また有名なモチーフ、ピエタ。
十字架から降ろされたキリストを抱く聖母マリアとマグダラのマリア。間に立つ使徒ヨハネ。
このスポットは何度も洪水で流されたりしたそうで、一時は罪人を罰する為に使われた事もあるそうです。罪を認めない被告人は視聴の命令でここに連れて来られ手足を縛られた後川につけられます。無実だったら溺れないでしょ、という魔女裁判でもやるあれです。
1800年近くでもそんな事が行われてたと思うとちょっとぞっとする。
人間の文明なんて本当に最近築かれた物なんですね。
↓

ブロンズの十字架
ここには14世紀から十字架が建っていたそうです。
何度も代替わりして、今の物は1861年作。聖母と聖ヨハネが十字架を見上げてます。
最初の物は木製の十字架。これは1419年の戦争で破壊されました。
次は1436年。また木製だったので天候により劣化。
1627年、はじめての金属導入。だけど十字架部分のみが金属でその他は木製だったためまた劣化。8年後に修復される。
1648年、まだここにあった金属の十字架。スウェーデン軍との戦いがあったとき、軍は旧市街市民のバリゲードに会い先に進めなかったそうだけどその地点がこの十字架だとか。
腹立ち紛れにキリストの頭は打ち落とされました。
今度はレオポルト一世が1657年に、木製十字架に金属製のキリスト像を吊るした物を取り寄せたけれど、十字架自体と聖母マリア/聖ヨハネの像は木製のまま。急遽両側の像も金属にしたけれど1861年に撤去されてその後は行方知れず。
そして1861年、ようやく今の姿になったそうです。
実際みた時に他のに較べてずいぶんシンプルな作りだなー、と思ったんだけど、他の像よりずっと試行錯誤と失敗を重ねて今の姿になった事がわかりちょっと感動しました。情熱を感じた。
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聖バルバラ、聖マルガレータ、聖エリザベート 1707年
あえて英語読みにしてみると、バーバラとマーガレットとエリザベス。
有閑マダムが三人でお茶でもしてるような響きになりますね。
聖バルバラはすごい。父親が彼女を愛するあまり、男と宗教(3世紀頃にはキリスト教が禁じられていたので)から遠ざけようと塔の部屋に監禁!
リアルラプンツェルです。
しかしそんな幽閉生活でも何故かキリスト教に目覚めてしまうバーバラ。
ある日父が彼女の塔に二つの窓の或るバスルームを作る計画をしたとき、バーバラはこっそりそのデザインを三つの窓に変えます。それは三位一体を示す為だったとか。
これがわかった時父親は怒り狂って彼女を殺そうとします。その時岩が二つの裂けてバーバラは飲み込まれていったそうな。
実際彼女は神に保護されて生き延びるんだけど、羊飼いに密告されて捕えられてしまいます。(この羊飼い、後にイナゴにされます)
異端の宗教(キリスト今日)を信仰していた彼女は、お約束通り火あぶりに。しかし翌朝には神の奇跡で傷は癒されたそうです。結局最終的には剣により殉教。父親は稲妻に打たれて亡くなったそうな。
建築家/消防士/囚人なんかの守護聖人です。
聖マルガレータは実在性が非常に低いため典礼暦から外された、ファンタジーの世界の住人です。
バーバラと同じ時期に産まれたので、キリスト教は異端。父親は当時のアエデシウスと言う宗教の妻子だった為、幼い頃からキリスト教を信仰していた彼女は養母の元に送られて羊飼いをしていたそうです。そんな頃地方高官から求婚されたけれど当然断る彼女。
そのせいで数々の拷問を受けたけれどいちいち奇跡を起こして回避。
なかでも有名なのは、ドラゴンの姿をした悪魔に飲まれたのに、持っていた十字架でドラゴンの体内傷つけ無傷で出て来たと言う(ピノキオや一寸法師のような)奇跡。
ちなみにドラゴン好きのイギリス人の心の琴線に触れる部分があったようで、イングランドでは250の教会が彼女に捧げられているとか。
ジャンヌ・ダルクの幻に現れた事でも有名だそうです。
対して聖エリザベートは正真正銘実在してます。1207年ー1231年、ハンガリーに住んでいた王女です。
4歳で婚約、14歳で結婚。幸せな結婚生活のもと三児を設けたが姑は最悪。
6年の幸せな結婚の後夫が十字軍従軍中に亡くなり、5歳の長男を筆頭に3人の子持ちの未亡人となる若干20歳のエリザベート。彼女を疎んだ姑に城を追われてなんと豚小屋に住んでいました。
伯母に見つけ出されたその居城に移り住んだ後は再婚もする事も無く、病院を建てたりして病人・貧民の為に見を捧げたとか。
彼女は未亡人/病人/パン焼き職人/織師なんかの守護聖人だそうです。
産まれた年代も違うこの3人がどうして同じ台に据えられているのかはイマイチわからんが、なんとなく女子会後ちょっとした事で仲違いしちゃった女3人、と言うイメージがぬぐえない一体でした。
↓

聖ドミニクとトマス・アキナスを招く聖母 1708年
聖ドミニクはドミニコ会の創設者。
ドミニクは聖母マリアからロザリオをもらい、ロザリオの祈りを広める約束を課せられたそうなのでその情景を彫像にしたんだと思います。
トマス・アキナスはドミニクの死後、ドミニコ会に入会した修道士。
両親は伯父が院長をしていた修道院を継ぐべく5歳からそこに預けられていたんだけど、大学を出たら親の反対を押し切ってドミニコ会に入会。ドミニコ会は産まれたばかりの修道会で古い教会制度への挑戦を機軸にしていたから前途有望な若者には魅力的だったんだろうね。
社長の息子が企業を継ぐべくお金をかけて一流大学まで出してもらったのに、急に先輩が建ち上げたベンチャー企業に入ります!と言って家を出て行く様なもんだね。
反対した家族は彼を連れ戻し軟禁したり若い女を連れて来て誘惑したりしたけれど彼の決心は固く、結局はドミニコ会に戻さざるを得なかったそうです。
神学者としてだけではなく、非常に優れた哲学者だった彼は、集大成として「神学大全」を書き下ろし、後世のキリスト教を導きました。
ちなみに彼を知る物が語ったところ、トマスは「非常に太った」「色黒」の「ハゲ気味」な男性だったとか。
↓

聖イヴォ 1711年
ブルターニュの信心深い貴族の基に生まれ、幼い頃から「聖人になりなさい」と親に無茶を言われて来た彼。結局成せばなる!聖人になりました。
14歳の時にパリに出た後、神学/憲法/教会法を学びながら病院に通って患者の世話をしていたそうです。
晴れて司祭になると聖職判事に任命され、貧しい人々の事件を無料で引き受けたり自宅の近くに貧しい人の為の診療所を開いて世話をしたり。。
モットーにしていた「隣人を愛しなさい」を見事将来貫いた人です。
文句無しに素晴らしい人だと思う。
しかし今は「弁護士」の保護者。どうぞ悪徳弁護士は守護しないで下さい。お願いします。
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最後の一体は、聖母と聖ベルナルド。1709年作
幼子イエス・キリストを抱いた聖母の左手側に跪くベルナルド。
右手には十字架やロンギヌスの槍等の受難の象徴、そして裏切りの象徴の鶏。
十字軍の勧誘演説で有名だから十字架なのかな?
シトー会の勢いを盛り返し、教会当時に大きな足跡を残した方だそうです。
教皇から与えられた二つ名は「甘蜜博士」
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これでカレル橋おわり。歩ききりました。
全く需要のないであろう聖人ストーリーを調べ始めたらそれが結構面白くて。
キリスト教は明らかに一神教なんだけど、聖人もある種「聖」ととらえると八百万の神様に共通した所もあるような気がして親近感がわきました。
それにしてもみんな突拍子もない人生を送った後に、結構地味なピンポイントの守護をしてるんですね。ほんと、過剰睡眠にまで守護聖人がいるとは考えた事も無かった。
カレル橋の聖人像のお陰で第三の目が開いた気がします。
ありがとう、プラハ。