| ずいぶん前になりますが、この論文を以って政治活動に生かすことに反対する主旨のご意見を頂いたことがあります。このようなテーマを扱う上では最低限の法律や社会の動向には触れる部分もあり、それが本来中心であるべき子供という分野からは外れてしまい、その結果として政治的な内容を濃くしていく可能性に意見されたものだろうと受け取りました。私もこうしてインターネット上で思う処を綴るだけではなく、知人と人権活動に参加することもありますし、そうした点に於いては政治社会のベクトルが無いとは言えないかもしれませんが、あくまでもこの論文を公表することで、人権活動としての域で行っているつもりではあります。 しかし、社会の動きによって子供達が翻弄されていることもまた事実でしょう。アメリカで起きたテロや、それに起因する報復によっていたずらに傷口を深く広げているのは紛れも無く政治であるし、それは先史から続いてきたことでもあります。こうした出来事に私が積極的に心境を語らなかった理由には、たとえインターネットが世界に繋がる道具であったとしても、語学力の拙い自分には、まず日本と言う舞台での出発が大きな問題でもあり、国際間や長い歴史に於ける個々の事象についてはその大きさからも、このような小規模のサイトにどの程度の力があるのか自信が無かったのかもしれません。それでも社会が常に動いていくように、この日本でも間違い無くそれによって子供達は翻弄されているのは確かでした。 教科書問題として、ある特定の編纂された著書に限らず、長年に渡り極めて平行線とも思える議論が繰り返されてきましたが、その話題の中には戦争、そしてそこから派生する植民地等があります。日本には好戦的であった時期もあり、或いは今尚、好戦的だと見る人もありますが、これによって外国や他の地域との間に様々な傷跡を作り、残していったのは間違い無いことでしょう。これらの問題に於いて、日本と言う国が、そして国民一人々々がどう接し、どのように解決していくかは余りに難しく、冒頭で紹介したご意見によろしく、私がここで踏み込むことには注意を払わねばならないかもしれません。 とはいえ、これにより翻弄され、自分を置く場所さえ見失ってしまう子供達がいるとなれば、避ける訳にはいきません。何か、見殺しにしているようで、息の詰まる思いになります。政治に携わる者の、或いは政界や国家の言動や対応がどうであったかをここで深く論じるのは前述の通りですし、不確かな点に関して憶測で決めていくことは更に危険で気をつけるべきです。その上で特に朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の拉致問題について触れていきたいと思います。 既にご承知の通り、北朝鮮は今までの拉致疑惑に対して基本的にこれを認め、その内容には多くの意見もあるでしょうが、一定の事柄をまとめた報告をしました。この被害者の中には当時少女たる年齢の者もありますし、その後の流れには━━少なくともこの執筆現在に於いて━━不透明な部分も多く、結果、帰国を果たせずしてかの地にて亡くなったこと思うと極めて悲惨としか言い様がありません。日本、そして北朝鮮がこの件に関してどのような対処を行っていくのか、行うべきなのか、その具体的なことにはここでは避けますが、いかなるものであっても償うことのできない、大きな傷であることを肝に命じて頂きたいと思います。 しかし、こうした歴史や事実と一部の憶測によって、在日する韓国朝鮮人にいやがらせも起きていると報道にありました。そうした方達の中には子供達も多く含まれています。私も日本人であり、北朝鮮のこれまでの行いを許す気にはなれませんが、国家と国民を同一視することには疑問がありますし、更に正直に言うならば断固として反対です。こうしたいやがらせをする人は、例えば日本が海外、或いはアイヌや琉球といった過去に異なる国家や民族を形成していた地域へ赴き、そうした場所の方達からの批難等を冷静に受け止めているだろうか。これを考えたとき、多くの人は否であろうと思います。しかし、民族的問題、歴史的社会的問題と同時に私を含めた大人達には面と向かって考えるべきもう一つのテーマがあります。こうした事例に対して、今回繰り返し述べてきた“翻弄される子供達”、彼らにどのように教え、接していくべきなのか……、果たして報復を認める教育を行うべきなのでしょうか。私にはそうとは思えません。残忍な事件がありそこに死刑を望む世論があって、その同じ処で命の大切さを説く教育がある。この矛盾に対して子供達にどのように接していくのでしょう。心から納得できうる答えを私ですら得られていません。それを理解できるよう伝えることが本当にできるのでしょうか。 今回の拉致問題に於いては、先述のように被害者には子供たる年齢の者もあり、朝鮮学校や生徒を含むその関係者の動揺は察するに余りあります。国家、祖国の残した大きな傷跡にどのように向うべきなのか、翻弄される子供達がそこにはあります。そして同時に、言うまでも無く被害者本人という翻弄された方もあり、そして今尚ここにあると私は思いたいです。お互いに……という言葉は、ここではむしろいたずらに傷口を深くする気もしますが、その複雑な余韻を残した立場を越えて、真に子供達と、人間と、関わっていきたいと切に願います。 耳にし、目にするいやがらせの話に、朝鮮学校にお話を伺い、既に数校からご返事を頂戴しました。それらは何れも両国の狭間に置かれ、祖国に対し、そして同年代の被害者に対し、語るも難しい胸の内を綴られたものでした。そして、同じく自分を見失いそうにもなる生徒達と面と向かって接してゆき、日本と、そして自分の国との問題を考えていこうという学校関係者とその生徒達についてまとめられていました。複雑な心境の中でお答え下さった各校の方々にお礼を申し上げるとともに、今後を生き、切り開いていく皆さんに励ましを送りたいと思います。それから、被害者とその関係者の心中は察することのできない甚大なものとは思います。しかし、この問題は更にあります。その被害者の子が、これもまた同じような年頃であることを忘れる訳にはいかないでしょう。ここにもまた、翻弄される子供がいることも直視し、考えていく必要があります。 そのうちの誰一人として見失うことなく、これらの一連の事件に関しては微力ながら私の立場で支援をしていけたならばと考えに止みません。 |
