えー。
突然の読書感想文です。
今まで感想文を書いていたブログをですね、タイトルの都合により終了ということにしてしまいましたので、こちらで… えへへっ♪
これは、フロイトの『快原理の彼岸』というテキストを検証する、ということになってますが、半分がフロイトの書いたものの解説、あとは著者の小林敏明さんの学術的思考実験のようなもの(ご本人はspeculation―のドイツ語綴りーとおっしゃってますが)です。
ばっさり二つに分かれているわけではないので、ほとんど著者の方の考察という感じですけど。
わたしは特に心理学とか哲学を学んだわけではないので、ド素人です。大学は、speculationとはものすごく距離のある薬学部卒です。
これを読む前に、フロイトの『精神分析入門』をちょっと読んでみたんですね。まずその感想ですけど…
当時(1900年代はじめ)には、【無意識】というものがどうも一般に認知されていなかったらしく。その存在を人々に理解してもらうために闘っている、という印象が強く、ただそれのみに終始しているような感じでした。
今の人々は、そんなもの(無意識の認識)あって当たり前さっ!
…と思いたかったんですが、それがそうでもなかった。
最近、ある友人と、無意識が引き起こす現象について話をしたんですが、彼女、まったく理解してくれなくてですね。
うーん、これだと、当時フロイトが何を言っても、みんな糠に釘だったろうなあと、ちょっと可哀想になりました。終始、闘う姿勢だったのがわかる気がする…。
それで、今回の本ですが。
現代生物学やらアポトーシスやらの部分は…ちょっといらなかったっていうか、説得力がなかったっていうか。
著者の方の頭脳がどうも、完全に文系。
だから、理系の生物学に関する記述がどうにもエキサイティングじゃないんですねえ。
まあ、しかたないですけど。
それでも、ご本人としては、画期的speculationだったんだと思いますよ!
わたしの頭が悪くて理解できなかっただけでしょう、たぶん! (ё_ё)
で。
この本の中で最も「これだあああっ!」と思った部分というのが、これがまた、引用!だったんですよ~!
「普通には、唯、生の否定として生から死を考えるが、真の健康は病気を含み、真の生命は死を含むものでなければならない。死は生命に本質的なものである。(西田幾多郎『論理と生命』)」
↑これですっ! これっ!!
…だけどなんていうか、15年前くらいの世紀末とか騒いでた頃に、こんな感じの本をやたら読んだ気がする…
というわけで、
どうやらわたしのようなド素人が読んではいけない本であったらしいです!
でも、死が欲動するってことだけは理解しましたから!
