何度も言っているように私の地毛は茶髪です。
学生時代から社会人になっても、
ずっとこの先も私は自分で「私は地毛です。髪は染めていません。」そう言い続けなければいけないのでしょうか。
これまで学校に入学するときもアルバイトをするときも、会社に入社するときも、
服装規定の話をしているとき私はたまらなく居心地が悪くなります。
服装規定の説明をしている人がそんなつもりがなくても、私を見て私に向かってウチでは茶髪は認めていません休み明けまでに黒髪にしてきてください。と私に向かって言っている気がしてしまいます。
実際に何度も全体での話が終わった後に一人だけ呼ばれて髪の毛について個別に話をされたことはあります。
その度に地毛なんです。と話をしました。
結局私の証言でしかないので初めはだいたい疑わしいような顔をされます。嘘をついてるわけでもないのに、毎回息が詰まるし悲しくなります。
そもそも入学、入社のための面接を受ける時点でその会社に申し出ていれば済む話だろと、思う方もいるかもしれません。
この表現が合っているかはわかりませんが、自分が茶髪であることを忘れてしまうのです。他の人とは違うのだと、言われて毎回思い出します。
初めはみんな茶髪という異分子に反応を示しますが、私が団体の中になじんでしまうと誰も何も言わなります。
その会社に茶髪が相応しくないのであれば初めから不採用にしてください。
日本人は全員が黒髪でしょうか。
茶髪の人は全員が不良でしょうか、その場に相応しくない人でしょうか。
茶髪の人が髪を染めなければいけない理由は何だと思いますか。
そういう決まりだから、みんなそう言っているからと思考を放棄していませんか。
今まで地毛ですと説明しても、学生が危険な目に合わないため、先輩たちから生意気だと思われるから、会社に相応しくないから、茶髪のスタッフがいると不快に思うお客様がいるから、みんなあなたのように茶髪ではないから、そんなことを何度も言われました。
なんで平気で私の存在そのものを否定すような言葉を言えるのでしょうか。差別となにが違うのですか。
SDGsについて多くの企業で目にしますが、私が言われてきたことは不平等なことではないのでしょうか。
何が言いたいのかわからないかもしれませんが、私は私がそのままで自分らしく存在することを否定しないでほしいだけです。
茶髪や金髪、赤い髪が不良で悪い人間だと思いますか。ただそこにいるだけでなにか危害を加え不快な思いをさせていますか。
私は存在してはいけませんか。
一人ひとりの違いを受け入れるだけでいいんです。
違うことは脅威ではないと思います。
存在を知り受け入れるだけで多くの人が生きやすくなると思います。