私は飽き性で、尚且つ気の多い人間だと

自分で思っています。

それは、歳を重ねる事に日に日に増して行っているように感じる今です。


一つの事をじっくりこなし、一つの事に打ち込み、一つの事を極める、そんな時期もあったような気はしますが、それも、10年くらいすると、段々と他の事に目が行き、別の事をしてみたくなるのです。


それは、若い時は10年という月日は長く感じられるものの、歳が折り返し地点までくると、早く自分がやりたい事をしてしまいたい焦りがでてくるのです。

この世に名を残したい訳ではないけれど、

今のうちに、身体が動くうちに、色々な事をやっておきたい。


人生は、思っている以上に早く進んでいて、時間はいくらあっても足りないとさえ思えるのです。

若い人からしたら、何言ってるの?

と思うかもしれませんが、思っている以上に、時は早く流れ、あっと言う間に下り坂に来てしまうのです。


だからこそ、若いうちにできる事をめいいっぱい過ごし、できる事をやって欲しいとさえ思うのです。


私が後悔したのは、やはり若いうちの貯金です。若さゆえに、自分は、ほとんど貯蓄をしていませんでした。


お金があったら、色々な事ができるという事を知ったのは、相当年齢を重ねてからでした。

そして、お金がないと、銀行もお金を貸さないし、不動産の方も相手にもしてくれません。そんな事を味わった私は、世の中、やっぱりお金って必要で、人は、お金のない人には見向きもしないのだな。と思ったものです。


話がズレてしまいましたが、気が多い私は、気が多いなりに、試行錯誤して、ズレてしまったものを、また正しい道に何度も戻しつつ、それでも、自分らしさを出せれば良いのではないか、と、敢えて道からはみ出したままでいたりと、それが自分なんだと思うのです。


これはこれ、あれはあれと、そうでなければいけない理由はどこにもなく、敢えて言うなら、誰かが一つの事を極めなければいけない。と言った言葉が、世の中に広まり、皆んなの固定観念が、そうでなければいけない。と頭の中にこびり付いたのではないかとさえ思えるのです。


私は気が多い。あれも好き、これも好き、

だからと言って、果たして気が多い事は良くない事でしょうか?

それは違うと私は思うのです。


気が多い事。それは、好きがいっぱい。好きを見つける事が得意で、人の良いところも見つけやすい。そして、気が多いだけに、よく気が付く。周りの雰囲気や、人が気が付かない事にも気が付いて、重宝される。

私はそう思うのです。

だから、気が多い人は、それで良いのです。


それなら、それで、色々なところで活躍できるし、きっと仕事もできるのでしょう。私はこれからも自分で胸を張って、

気が多い私と言うことでしょう。


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