が、アカ抜けた感じはまったくないですがね。
高層マンション


基本、空気が汚いんで街全体がススけたような浅黒さというか灰色感



何より、決定的にコレだと思ったのが、
左官技術の質。
左官って、壁を塗る職人さんのこと。
大工さんとか左官さんってほんとに職人技だなあと、いつも思います。
なにげに、土とかコンクリをコテでシャコシャコやってるうちにビッチリ平面出しちゃうあの技術。
こちらの国でも、建築現場は水平出しや墨付けた糸張って直線出し(なんて言うのか忘れました)やりながら作ってますが、最後の仕上げがアバウトな手作業

凄いゴージャスで高そうなマンションでも、コンクリートの角が微妙に波打ってたり、壁の面がよたってます。配管や屋根ふきも。
人間の五感って結構凄くって、絶対評価は苦手ですが相対評価は異常に優れてるんですね。
例えば太さ1mmの線を並べておいて、その中に1.001mmを混ぜてもたぶん分かりますね。違和感みたいなもので1/1000mmを認識することが出来るんですね。
ある業界ではレーザー測定器で0.000と表示されてるものを、最後、職人のおっちゃんが手直しするって話じゃないですか。
だから、一般人であっても建物の角の直線や壁のちょっとしたゆがみも直感的に感じ取るんです。
そこに持ってきて、ペンキもハンドで厚塗りなんでよけいに面がよたる。
なので無意識にゴージャスっぽい建物を眺めても、どうも高級感が出ないんですねえ。
逆に、そういった手作り感があるほうが、機械的で無機質な直線よりも好まれるんでしょうか?
アートとかデザインとかってのは、この絶対評価の鈍さと相対評価の鋭さの合間を上手いことついて、曲線や直線、曲面の組み合わせで人の感覚に入り込む作業とも言えます。
僕のお仕事はそんなこと畑違いで関係ないように思われがちですが、結構重要であり、僕は重視しています。
僕の職はたくさんある機械的な要件、製造要件、性能要件などと必要ことをいろいろ考えなきゃなりません。
一方で、カッコいいもの、主張したいコンセプトのもと造形をしてくるデザイナー。
打ち合わせを重ね、徐々に歩み寄っていく訳ですが、どうしてもデザイナーの作った形状ではいろんな条件が成り立たなくて、変えざるを得ないことがあります。
例えば、あるところは5mmのスキマが必要だが、こちらは10mmのスキマが必要なーんて時に、何も考えないと、5mmから突然10mmに変化し、段差のまんま「完成です!」これならOKです、とデザイナーにもてく訳ですよ。
当然、「何ですか?、この段差!」って。
優しい人なら「必要なスキマは分かりましたが、コレはちょっとナシでしょう・・・」
厳しい人は「何だコレ!、これだからエンジニアとは仲良く出来ん

闇雲に作ってもやり直しになるだけなんで、打ち合わせでデザイナーさんのコンセプトを聞き出します。
こっちの条件やら言い分も理解してもらいます。
そんで、形を作り出す訳です。
実は、自分の中ではこれが結構燃える瞬間だったりします。
デザイナーさんが使う道具と、僕らが使う道具はちょっと違うので、簡単に上手くは行きませんが、そこを無理矢理、工夫と意地でなんとかするんですねえ。
それで、「ああ、良いんじゃない。お任せで作ってもらったけど、悪くないんでそのままで良いですよ

なんて言われた日には、心の中でガッツポーズ


(一応入社8年目になりますので)後輩には。「まず、自分の中で100点、ないし90点以上の合格点だと思うものを作れ!」と。自分で「まあ、このくらいが平均点の60点くらいでしょう」って完成したものには、自分より上に見せた時に絶対それ以上の評価は出ませんから。
「自分で60点だと思って作ったものには30点から50点の評価しか付かねーぞ」と。
「自分で、こりゃ完璧だ、100点でしょう」ってものなら80点でそこそこ、90点が付くか、それがそのまま合格点なり100点評価OKなら、そりゃラッキー

自分が出来ているかは別

日本でも、賛同してくれる人、何言ってんの?みたいな人、まちまち。
果たして、この国でどこまでその感覚を植え付けられるかが不安でもあり、楽しみです。
それが醍醐味だと感じられる、気持ちの余裕は忘れないようにと心がけています。
長文です。
眠いです。
建物の話からお仕事の話へ、強引な舵きり

さて、明日は金曜。明後日は休みだ

もう一日がんばろう
