娘の某ピザ屋バイト、
前回はパワハラ店長が一応謝ってくれたものの、
娘がまた何かやらかしたのか、
その後も追い出し攻勢は続いている模様。
「そんなに仕事できないのにまだ続ける気なの?」
「他のバイトしたら?」
などとひどい言葉を投げかけられ、
ついにシフトに全く入れてくれなくなったようで😭
実質首状態です💧
発達障害のカミングアウトは何の効果もなかったようで、
理由がなんであれ、
「仕事ができなきゃやめろ」ということのようです。
商売は金儲けが目的なのだから、
仕方ないところではあるんだけど。
今の店長がよい人物でないのは確かだけれど、
逆に今までの店長がよほどいい人たちだったと言えるのかもしれない。
娘がピザ屋のバイトで及第点をもらえなかったという事実が、
私にとっては結構なショックで。
大学に毎日通うことも難しいし、
将来的に、一体どんな仕事ができるのだろうか、
やはり一般雇用では難しいのではないかという考えが強くなってきている。
ようやく不登校から抜け出て
一般社会(バイトや通信制でない大学)に出てみれば、
定型発達の人との差の大きさを思い知らされたここ数ヶ月だ。
発達障害にも不登校にも色々なタイプが居ると思うが、
うちの娘に関して言えば、
発達障害が原因で学校社会に溶け込めず、不登校になったと言える。
現在不登校でなくなっても、
不登校になった原因そのものは(改善はされているものの)残ったままで、
これから方向性の変換が必要となっているように感じる。
発達障害者としてどう生きていったらいいのか。
どんな居場所があるのか。
最近見た、とある精神科医の動画で、
「よく生きるとはどういうことか」というテーマを扱っていたのだけれど、
その精神科医は、
「問題に向き合い、仕方ないと思って問題を解決していくこと」だと言っていた。
これだけ読むとナンノコッチャ?な言葉かもしれないが、
もう少し言うと、
「世の中いろいろな問題があるし、自分にも問題があるけれども、
それを仕方ないと受けとめて、
できる範囲内で解決してよくしていく(もしくは、よくなっていく)こと」
という意味合いのようだ。
またその精神科医は、
「できればその問題は、自分が少し頑張れば乗り越えられる程度の問題が望ましい」
と言っていたのだが、
本当にそのとおりだと思う。
スモールステップで問題を解決していき、
自己肯定感を得ながら人生を送れれば、
これ以上の幸せ😊✨️はないのではなかろうか?
しかし、そのためにはしっかりと自己理解し、
自分にとって適度な問題解決の場はどこなのかを見極めなくてはならない。
そこが発達障害者には難しい点でもある。
特に娘のようなタイプは、自分の理想像が高すぎて、
巨大ステップを登ろうとして登れず、
階段の前で倒れ込んで絶望😭し、
一歩も進めなくなってしまったりするのだ。
本人は、自分が発達障害であるという自覚が
次第にできてきているところだけど、
障害者として生きることに納得してくれたらと願う母である。