我が家のLDKは、
ADHD娘ちゃんの私物でいっぱいだ。
オタグッズ(アクスタとか缶バッジとか)と、
コスプレグッズと、
梱包用品(グッズ交換に使用するのだ)と、
手芸用品(ぬいぐるみに着せる服などを制作)に
学校の教科書類が合わさり、
それが混在して何十にも層をなし、
恐ろしい魔界と化している。
そんな空間に、
仕事関係のお客さんを
呼ばなくてはならない機会が時々やってくる😱
1週間前くらいから予告をしておくが、
早くから片付けに取り掛かる、などということはまずありえず、
大抵前日にヒイヒイいいながら片付け始める。
が、早々にバテてしまい、
「もう片付けムリ!」となって、
「じゃあママが勝手に片付けるからね!
あとで文句言わないでね!」
「いいよ(投げやり)」からの
「ママ、あれどこに片付けたの💢見つかんない💢💢💢」
というお決まりのルーティンになる。
とにかく量が多いのがグッズ。
多いものでは、同アイテムが100個以上あったりする💧
グッズさえなければ、もしくはもっと少なければ、
うちのリビングはここまでの惨状にはならない。
先日改めてそれについて尋ねたら、
思わぬ突っ込んだ話を聞くことができた。
問「なんで、こんなにたくさんのグッズを買わなきゃいけないの?
1種類1個あればよくない?」
答「たくさんないと、SNS映えしないから」
問「なんでそんなにSNSに投稿して、SNS映えしなきゃいけないの?」
答「いいねがたくさんほしいから」
問「…ということは、つまり〜?」
答「グッズ中(グッズ中毒ってこと)はみんな、
承認欲求の塊なんだよ💢」
…思いのほか、
よく自己理解されていらっしゃったようで。
「そんなふうにSNSばかりに依存しなくていいんじゃない?」
というと、
「そこしか自分の居場所がないんだよ😡💦」
と号泣。
「オタ活辞めろ(いやそこまで言ってないけど)なんて、
死ねって言われるのと同じだよ!
生きてる意味がないでしょ!」
とまで。
結構重症だよね、これ。
オタ活が生きがいになるのはいいけど、
オタ活第一になってしまうのは違う。
第一になるべきなのは現実の生活であって、
大学のレポートや出席を削ってまでオタ活するのは、
やっぱり順番が狂っている。
でも、それが現状自分の存在意義そのものに
なってしまっているのであれば、
それをやめろとか、否定するのは酷なことだ。
今までのオタ活(=人生)を否定することになるからだ。
私はオタ活自体を否定したことは一度もないと思う。
ただ、身の丈に合わないほどのお金を使ってグッズを買ったり、
学校生活に支障が出るほどのオタ活(及びオタ活のためのバイト)をすることに対しては、
ストップをかけていた。
まあ、それでストップがかかることはまれでしかなかったが😅
しかし、
私が考える程度にオタ活を適量に抑えられている人も多いはずだ。
そういう人と我が娘の違いは何なのか。
私と娘の話はそこにまで及んだ。
(長くなるので、次回に続きます。)