オタクで不登校の娘は、

SNSでたくさんのオタク友だちを作り、

それが不登校中の孤独感を埋めてくれ、

コミュ障改善にも結びついた。

 

その点において、

SNSは、孤独な人間を社会に結びつける重要な役割を果たしてくれていると思う。

 

だから、ある意味SNS様様なのだが、

SNS上のオタク友だちには、

現実の友だちにはない特殊な一面がある。

 

それは、そのジャンル(オタクたちは界隈と呼んでる)から気持ちが離れてしまうと、

それまで付き合っていたSNS上の友人とは

ぱったり縁が切れてしまうことだ。

アカウント自体を消してしまい、連絡が取れなくなることも多い。

 

そして、新しくハマったジャンルのアカウントを作り、

そこで新たな友人を作る。

そうやって、いろいろな界隈を渡り歩いていくのである。

 

その趣味にハマっているから友人なわけで、

そうでなければ友人ではなくなるのだ。

 

お互い趣味の話しかせず、

現実にその人がどういう人なのか、どんな悩みを持っているのかなどは、

全く共有しない。

人間関係と言えないようなつながりなのである。

 

また、SNSの仲間は、

ちょっと気に入らない発言があると、すぐつながりを切ってしまう。

そして、2度と帰ってこない。

学校の仲間なら、1週間くらい口を利かなくなってしまったとしても、

何度も学校で顔を合わせているうちに

仲直りの機会が訪れたりするものだが、

SNSでは相手の情報を見ないと思えば完全に遮断できてしまうので、

復活のチャンスがないのだ。

 

それに、少しでも気に入らない人間とは

無理して付き合う必要なんてない。

SNS上には、無限に代わりがいるのだから。

 

多感な思春期や青春時代、

SNS以外の場で、

ともに成長する友人がいたらいいのにと思うが、

結局娘にはそれらしい友人はいない。

学校の友だちは、学校で過ごすだけの友人でしかなく、

今のところそれ以上に深まることがなさそうだ。

SNS上の趣味の合う友だちと遊ぶことばかりに

気が向いてしまっているのだ。

 

また、SNSでは、「超絶すごい人」を簡単に見つけてしまえるのも、

ある種の問題を生んでいると思う。

 

例えば、すごく絵が上手い人、すごく衣装作りが上手い人など、

身の回りにはいないレベルの達人の作品を

すぐに見ることができる。

それが、身近な人を陳腐化してしまうように感じるのだ。

 

私はCちゃんと作品づくりという共通の趣味で繋がり、

長い友人関係を得ることができたが、

もしSNSで、Cちゃんが彼女と合うずっとレベルの高い友人をつくり、

その人たちと同人誌を作るようになったとしたら、

学校の仲間で同人誌を作るという貴重な経験はできなかっただろう。

(Cちゃんとしてはそのほうが有意義だったかもしれないが)

 

人同士のつながりは、

やはり現実にいろいろな出来事を共に経験し、

悩みを打ち明け合ったり、

時にはぶつかったりすることによって

強まるのだと思う。

 

もちろん、オタクじゃない子たちは

昔と変わらない青春を送っているのかもしれないが。

 

2度と帰ってこない青春期、

娘は今大学1年生だが、

これからの4年間、なにか変化があるといいなと

期待している。