長く場面緘黙症だった私は、
その間でも、
ありがたいことに
クラスには一緒にいてくれる友だちが常に1,2人いた。
小学校の頃には、
おとなしい子、運動があまり得意でない子など、
教室の端っこにいるような子たちと一緒にいることが多かった。
特に気があっていたというわけではなく、
どんどん動く積極的な子たちを除いたら、
なんとなく集まっていたという感じだったと思うが、
それにしても、ほとんどしゃべらない、
ぼんやりした私をよく仲間に入れてくれていたと感謝している。
学生期間全体を通じてだが、
優しい人が私の相手をしてくれていることが多かった。
クラス替え後、
暗い顔をしてひとりでいる私を見捨てられない奇特な人がいつも現れ、
何かと助けてくれていたのである。
しかし、一度だけ、
誰も私にかまってくれないという瞬間に出食わしたことがあった。
中2の頃だ。
今考えてみれば、年齢的になにかと難しい時期で、
みんな私などにかまっている余裕がなかったのかもしれない。
私はその時ものすごく焦った。
一人でお昼ご飯を食べるなど、地獄である。
気が小さく、目立つのが大嫌いだった私は、
一人で行動することで目立つのがほんとうに嫌だった。
それに、誰か助けてくれる人がいないと、
クラスの動きについていけなくなるし
(ぼんやりしていて話を聞いていないから😅)、
宿題を写させてもらえなくなるし
(宿題を覚えていなくてだいたいやってない😓)、
学校生活が成り立たなくなる。
これは死活問題だ。
(「友だちがいないと寂しい」というより、
「ボッチと思われるのが嫌だ」
「ボッチだと学校でやっていけない」ことを問題にしているのが、
自己中と言われがちなASDのASDたるゆえんか。
友だちを道具として利用したがっているだけと言えなくもない。
我ながらひでえヤツです。
当時の優しいおともだち達、ホントにすみません🙇♀)
私は、
「この人たちなら相手してくれるかも」と思う二人組を見つけて、
休み時間や移動のときなど、必死に着いていった。
なにかしゃべるわけでもなく、ただつきまとってくる奇妙な私に
二人は最初「なにこいつ?」と怪訝そうにしていたが、
そのうちしょうがないか、
とあきらめた様子で相手をしてくれるようになった。
(私の見込みは正しかった!)
気の小ささが却って功を奏し?、
私は自ら新しい友人獲得に成功したのだった。
なんとこの二人のうちの一人は、
その後長きにわたり付き合いが続き、
現在まで親友(と私は思ってる)である。
あのときの私、まじナイス👏
ところで、
クラス替えに関してにはちょっとした裏話があって、
私はクラス替えがあるたびに
それまで一緒に行動していた友だちと必ずクラスを別にされていた。
私がいつも同じ人としかしゃべらず、
交友関係を広げないのを懸念して、
教員が意図的に友人と離れさせていたのだと思う。
それに気がついた私は、
たまには友だちと同じクラスに
させてくれてもいいじゃないか💢
と、わざと私を孤立させようとするかのような
学校の対応に怒りを覚えていた。
だが、私が新しいクラスで毎回新しい友だちを得ることができたのも、
学校側のその方針のおかげと言えばそうなのだ。
ただ、一歩間違えば不登校になりかねない危険な方法だと思う。
私には絶対に不登校にならない(なれない)様々な理由があったため、
その方法が吉と出たと言えるだけだろう。
まあ、これは緘黙症が知られていない大昔の話だから、
今現在ではそんな乱暴な方法は取っていないだろうとは思う(そうですよね?)。