前回の話のように、

結局娘はどの発達障害者向けの支援もうまく活用できなかった

他の発達障害者と一緒にいるのが辛いというのと、

もう一つは発達障害や不登校などの問題について語るのを嫌がる

という大きな壁があった。

 

そんなことに時間を使っているのがもったいない、というのだ。

 

コミュニケーション練習などの指導については、

そんなの分かってるし、つまらないしやりたくない、とはねのける。

とにかく楽しくないことはやりたがらないので、

せっかくの発達障害児向けカリキュラムも役に立たない。

 

指導を受けたがらない理由は、つまらないからだけではなく、

おそらく自分の弱みを見せたくない気持ちも強かったように思う。

弱みを話すと、途端に涙が溢れて自分を制御できなくなる。

そんな姿を知られたくなかったのだろう。

 

自分の問題には目を背け、

気に入ったことしかしようとせず、気に入った人としか会おうとしない。

気に入ったことというのは、好きなマンガやゲームなどのことであり、

気に入った人というのは、自分の気に入っていることを好きな人のことである。

 

つまり、気に入った人と自分の気に入っている話しかしようとしない。

 

放課後等デイサービスのスタッフは、

こういうタイプの子どもを熟知しているようで、

無理やり指導を試みようとはしなかった。

無理に指導したり、悩みを聞き出そうとしたりすると、

警戒され、逃げてしまうのが分かっているからだ。

(ほとんど野生生物)

 

ひたすら娘の話したいことを話させ、

信頼を得ることを重視していた。

(これは、以前通っていた精神科のカウンセラーも同じだった。)

娘の精神状態がしだいに安定し、成長していくに従って、

たまに学校のことや、進学・将来のことを口にできるようになった。

 

しかし、ガチで組んでの悩み相談のようなことは、

中学2年から高校3年までの間、最後までしようとしなかった

 

これは精神科の先生に対しても同じで、

「最近調子はどう?」に対しての答えは、

いつも「特に問題ありません」。

 

この頑固さには閉口してしまうが、性格なのだからしかたない…のか?

 

将来的に一人で自立した生活をしなくてはならなくなったとき、

困り事を相談できる人、人に助けを求められる人になってほしいのだが、

まだまだ道は遠い。