不登校は悪いことではない(特に発達障害児にとっては)

 

そう思ってはいても、

親としては心中穏やかではなかった。

 

みんなは学校に行っている。

うちの子だけ、家にひとり取り残されている。

社会からはじき出されたような孤独感、焦燥感。

 

学校の近くを通りがかるときに聞こえる

子どもたちの声やチャイムの音に、

胸が締め付けられる思いをしたものだった。

 

不登校はいいけれど、

家に閉じこもっていていいわけではない。

 

将来社会に出て働くことを考えると、社会性が必要だ。

どこかしらに所属して、人と接する生活をしてほしい

 

そう思った私は、ほうぼうフリースクールを探した。

都会の端っことは言え、電車にアクセスできる地域に住んでいたため、

それなりに選択肢があるという点でかなり有利であったと思う。

 

しかしながら、我が家の気難しい娘ちゃんは、

どのスクールも気に入らなかった・・・

どころか、スクールの見学にもほぼ行かなかった

 

そういったところに行くことに抵抗があったようだ。

 

ここは本当に個性の問題で、

何かしらキラキラしたものでないと、娘の気持ちは動かないのだった。

 

通ったのは、公的機関の

小学校の通級指導教室(2回のみ)と

中学校の通級指導教室(3年間のうち6回程度)。

学校の出席になるということで、少し気持ちが動いたようだったが、

全く気に入ってくれず、続かなかった。

 

それから、放課後等デイサービス。

こちらは大変指導に慣れた若いスタッフが多く、

友達のように思ったのか、

ある程度気に入って、スタッフ相手にヲタトークばかりしていたようだ。

 

後に本人に聞いてみたところ、

こういった発達障害の子どもが集まっているところは、

付き合いづらい子ばかりで疲れるから嫌だった、とのこと・・・。

おい、お前もまさにその発達障害だろ!と心の中でツッコミ。

 

一方的に話すばかりの子や、逆に全く喋らない子、乱暴な子もいる。

発達障害者にはコミュニケーション障害があるのだから、

そりゃあ健常者よりコミュニケーションが取りづらいのは当然だろう。

このコミュニケーション能力は、

発達障害者一人ひとりで差が大きく、

どちらかというと娘は発達障害者の中でも気を使うタイプだったのだと思う。

 

普通の学校では、健常者の子どもたちが娘に困らされていたが、

指導教室では、立場が逆転、

娘が他の発達障害児に困っていた、というわけだ。

 

ここが本当に難しいところで、

じゃあ一体どうすればいいの?ということになる。

健常者とはやっていけない、でも発達障害者同士でもうまくいかない

だからといって、引きこもりでいいわけではない。

 

私達の住む地域にはなかったので、どんな状況なのか知らないが、

情緒障害の教室運営はとても難しいのだろうなと思う。

 

娘にとって、好んで行きたいと思う環境を用意できなかったのは申し訳なく思うが、

その時できる最大限の努力で見つけた結果が、

本人にとって、とても不満だったのは残念の極みだ。

しかし、

小学高学年から中学までの、いじめが大変猛威を振るう多感な時期に、

いじめの危険性がなく通える環境という意味では、

居場所としての役割を少しは果たしていたのではないかと思う(思いたい)。