私は周囲の人たちから、サイボーグと揶揄されている。
毎日、遠くまで出かけているのがあり得ないと感じるらしい。
その私がアメリカに行って、ニューヨークの病院にちょっとだけ入院させられた。
さすがのサイボーグも焼きが回ったのだろう。
楽しいこともいっぱいあったのだが、この風邪騒動でみんな背景になってしまった。
ことの経緯はワシントンからニューヨークに向かう途中のこと。
私はバスの暖房が低くて寒く感じた。
当然、みんなも寒いと思い、暖房の温度を上げてもらった。
多分、これが風邪の引き始めだったのだと思う。
ニューヨークでステーキの夕食のため、タイムズスクエァの近くのレストランに向かった。
その前に撮ったタイムズスクエァ周辺の景色だけが、ニューヨークの写真になった。
この後、ステーキはどうしても食べられそうもなかったので、サーモンに替えてもらった。
ところが、それもほとんど食べられなかった。
サラダやデザートも残して、食べられたのはスープだけだった。
サイボーグの私は、食欲がなくなったことなどない。
風邪かもと思って売薬の風邪薬をのみ、翌日の観光は参加せずホテルで寝ていた。
同じホテルに3泊だったので、寝ていることは構わないのだが、一向に良くならない。
翌々日はフリーの日だったので、添乗員さんと一緒にクリニックに行った。
ここから、あり得ないことが続いたのだ。
クリニックの日本人のお医者さんは、押しつけはしないが、
ERという緊急救命室に行って、点滴などした方が良いと言った。
紹介状をもらって、ERに行って、ビックリ!
どこからどこまでが病院なのか分からないくらい大きい。
病院関係の仕事をしている娘でさえ、その規模に驚いたようだ。
車いすに乗せられて、個室に入るとすぐに検査。
お医者さんとはスマホのようなもので、通訳をしてもらいながら、娘が症状を伝えた。
私は変な割烹着のようなものを着せられたり・・・
体中にペタペタペタペタ貼り付けられたり・・・
血を抜かれたり・・・
レントゲンを撮りに行かされたり・・・
メインのお医者さんは通訳がつくが、他の人はつかない。
添乗員さんがいるうちは良かったが、いなくなったら娘と私だけ。
病院中にワイファイが飛んでいて、
娘はスマホに文章変換をしてもらって、相手のスマホと意思疎通をはかっていた。
私は言われていることが全く分からないので、
娘が「息を吸って」とか「起き上がって」とか簡単なことはそのまま伝えてくれた。
娘がいてくれなかったらどうなったことか・・・?
しばらくしたら、肺炎を起こしかけているし、脱水が酷いと言われて、大きな点滴がつけられた。
その速さが尋常ではない。
私は心臓に負担がかかりそうで怖くなった。
すると、娘が日本ではあり得ない速さだけれど、〇〇なので心臓は大丈夫と教えてくれた。
これほど娘が頼もしく見えたことはなかった~!
私は俎板の鯉で横になっているだけだったが、娘はあちこちに連絡を取るのが大変だった。
ただ、途中で、保険会社と連絡がとれて、この病院は保険会社と提携をしているので、
支払いはしなくていいということや、いざとなったら通訳もしてくれることが分かった。
何時頃だったろうか、「今日は帰れません」と言われた。
翌日はツアーが日本に帰る日だったので、一緒に帰れないということになった。
それからが、またまた大変だった、娘がだけど。
ホテルの延泊、飛行機の手配など・・・
でも、翌日帰れるという確約もないので、飛行機は退院が決まり次第、とってもらうことにした。
戻ってきた添乗員さんが夜遅くまでいてくれて、ホテルとの往復など手伝ってくれた。
添乗員さんは、私たちを置いて帰らなければならないことをすごく心配してくれて、
私が気にしていたガガーリンの孫(?)の絵がついたバッグをプレゼントしてくれた。
その気持ちと、たくさんの時間を割いてくれたことが、涙の出るほどありがたかった。
翌日の朝、私は元気になって大丈夫だと思っていた。
ところが、急に部屋を移され、入り口を閉められて、貼り紙が貼られた。
そして、言われた言葉が「コロナウイルスが出ました」
私は一瞬、頭が真っ白になって、ここで死ぬのかと思った。
後から娘に聞いたら、これはよくあるウイルスで新型でなければ心配ないことが分かったけれど。
でも、感染症の一つということで、管理がきびしくなった。
娘は感染しないように、宇宙服のようなものを着せられた。
私はロボットに看病されている感じだった。
少し余裕が出てきて、娘がスペイン語の看護師さんとスマホで伝達しているのを見てびっくりした。
文章通訳をしてもらうのだから、何語でもやることは同じらしい。
何でスペイン語と分かったのかと聞いたら、
相手のスマホがスペイン語から日本語になっていたからだそうで、
よくぞ、そんなところに気づいたと、またまた娘を見直すことになった。
今日、退院して良いと言われた時には、ホッとした。
それからまた、娘は通訳の人を頼んだり、飛行機を頼んだり、忙しかったけど。
ただ、急だったので、通訳の人は間に合わなかった。
旅行社の人に教わって、自力で飛行場まで行くしかなくなった。
咳はまだしていたので、飛行機に乗せてもらえないと困ると思っていたら、
飛行機に乗って大丈夫という書類を作ってくれた(このためだけかどうか分からないが)。
そこにコロナウイルスと書いてあるそうで、
娘は良く読んでもらわないと却って禁止されそうと心配していた。
でも、どうにか搭乗できて、日本人のCAさんに安心できた。
少し余裕が出てきて、二人ともお土産がないことに気づいた。
機内販売はアメリカのものは少ない。
え~い、フランスでもいいや、とテキトーなものを少しだけ買って、
二人でこんな珍道中はないねと笑いあった。
そして、今日一日、寝ていたら、ブログを書こうという気になれたというわけだ。
ただ、話の時系列は滅茶苦茶かもしれない。
あっちこっちと記憶がバラバラになっている部分がある。
今回の旅行は、大いに娘を見直すことになった。
感謝しても感謝しきれないくらいである。
長~いブログになってしまったが、サイボーグの末路をお笑いくださ~い!



