昨日、“お兄ちゃん”と呼んでいた人が亡くなった。

一人暮らしになった私を気遣って、いつも食事に誘ってくれた。


歌舞伎のチケットを譲ってくれた時に、

    もう歌舞伎座に行くことが困難なんだとは思っていた。

でも、12日にお見舞いに行った時には、まだお風呂にも入っていた。


サンフランシスコから戻った、次の日に電話があり、

    ナパ(娘さんの所)に行ってきたか、と聞かれた。

予定が組んであったので、寄る時間はなかったのだが、

    お孫さんに会ってきてほしかったことは分かった。

こんなことなら、無理してでも寄ってくれば良かったかもと、悔いが残る。


お兄ちゃんの両親と私の両親は、いうならば“疎開仲間”である。

大きな農家の一軒家の離れを、借りて住んでいた。

妹が産まれて母の手が足りなかったのだと思うが、

    2歳の私は坂道を登って、お兄ちゃんの家に入り浸っていたようだ。

お兄ちゃん一家が都内に引っ越した、5歳くらいまで続いた。


母の希望で都立高校を受験することにした時は、

    越境入学なので、お兄ちゃんの家に寄留をさせてもらった。

おばあちゃんがとても喜んでくれて、面倒な手続きを一緒にしてくれた。


私の結婚式には、祝辞を買って出てくれたが、

      奥さんの具合が悪く、出席できなかった。

私たちが新婚旅行をしている最中に、

      亡くなっていたことを、後から知らされた。


再婚をしてからは、おばあちゃんとの付き合いが多かった。

おばあちゃんが亡くなって、子どもさんが巣立ってからは、

    いつも二人で、歌舞伎や、海外や国内の旅行を楽しんでいた。

私と食事をする時は、いつも3人で、

    どちらかというと、女同士のおしゃべりの聞き役にまわっていた。


いろいろと思い出すことばかりで、とりとめがない。

このくらいにしておこう。