聖路加国際病院名誉院長、日野原重明先生が早朝死去された。1911年生まれ、105歳。呼吸不全だったという。すごい人をまたまた失った。
100歳過ぎても現役医師、チーム医療、看護教育などへの貢献も計り知れない。
朝日新聞のコラム「105歳 私の証・あるがまま行く」を毎回愛読していたが、7月8日号“オスラーの歩んだ道、その背を追って”が最後だった。ほぼ週刊だったのに、その号の前は、6月10日号、「入院、そして我が家に静養日記から」。退院されて、庭の草木を愛でながら執筆されているご様子を記事にしたものだ。その前もほぼ毎週記事は掲載されていたので、それほど悪い状態ではなかったと思われる。退院され、その後も少しは元気になられ、最後の記事を書かれたとしたら、やはり、日野原先生は偉大だ。
最後のコラムというのは、先生の師にあたるウィリアム・オスラー医師の記事。戦後に聖路加国際病院がGHQに接収され、医学図書館が整備された。戦争で長らく手に入らなかった海外の医学論文が読めるようになったのだから、“むさぼるように読んだ”らしい。随所にオスラー博士の名前が頻出したもので、ジープで同行した米軍医に、オスラー博士の本が手に入らないものかお願いすると、後日博士の講演集が届いたのだという。臨床医に必要なもの、生涯超えて,医師の姿を確信した瞬間だった、という。その後日野原先生も翻訳本を出版され、日本オスラー協会を発足され、思想の普及に尽力され、昨年活動を終えられたことも書かれていた。
少し前、筑波である学会があり、あまりに市民っぽい人が会場周辺にあふれていたので何事かと思うと、市民向けプログラムに日野原先生が登場するという。東京から送り迎え付きの車でなく、つくばエクスプレスに乗って会場に入られたというから仰天したのを忘れない。
東京オリンピックまでは生きる、とおっしゃっていたのだそう。
延命はせず、家族に感謝を唱え、静かに眠るような最後だったという。
日野原先生、こんな人はもういない。
朝日新聞のコラム、私は大好きだった。
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