2008年、念願の東京事務所を開設させた。
東京のクライアントの割合が増え続け、いつか東京へ、とはずっと考えていた。
そんな時、ある新入社員の一人が「東京で仕事したい」って言ってくれた。
サイエンス事業部としての船出だ。
予算は20万円、常勤スタッフは当初3人程度、が条件だったからかなりきびしい。
超狭いか、古いか、場所が悪いか。
その時最後に目にとまったのが「隈研吾のデザインした」とふれこみの、とあるSOHOビル。
場所は「神楽坂」、歩6分。
「隈研吾」といえば「サントリーミュージアム」「Aquosの宣伝」など、有名作品は数え切れない。
日本の伝統と現代を融合させた「和のモダン」がかっこいい。
東京大学院工学部建築学科修了、
コロンビア大学大学院建築・都市計画学科講師。
恥ずかしながら私は彼の名前を知らなかったが、作品はほとんど知っている。
ここを見れば彼のすばらしい作品の数々をのぞくことができる。
http://www.japan-architects.com/kengokuma/
物件は彼が駆け出しの頃デザインした物件だ。
テレビが柱にオブジェとして突き刺さっていたり、
木工の郵便ポスト、ぼこぼこ模様のエレベータの壁、
室内にあるキッチンとは思えないセットもユニークだ。
ペントハウスには当初隈研吾が住んでいたらしい。
デザイン会社、写真スタジオなどと取り合いになり、何とか権利を勝ち得た。
大きな窓とハイルーフ、特殊なフローリングがおしゃれだ。
神楽坂駅からの道すがら、畳屋さん、タバコやさん、銭湯なんてのも残っている。
「天神町77」という住所も、何かの間違いかと何度も不動産やさんに確認した。
空襲にあわなかった数少ないエリアだという。
少し歩くと毘沙門天さんもあり、神楽坂の町並みと情緒を楽しめる。
通りの脇には粋なフレンチがあったり、ジョン・レノンが好きだった鰻やさん、なんてのもある。
その事務所も3年がたった。
引っ越しを考えている。
でも東京第一号、ラステックビルは思いでの事務所だ。
もちろんスタッフがすばらしい。
自慢のスタッフたちが日々頑張ってくれている。
隈研吾のように大きく羽ばたきたいものだ。