こだま631号名古屋行きで訪れた東海道新幹線掛川駅を午前8時25分頃にスタートした僕は、市街地を一気に北上し、以翼長祐禅師によって延徳元(1489)年に開創され、山号を和光山と称し、本尊に釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を安置して人々の信仰を集めてきた「永江院(ようこういん)」へと向かった家文禄2(1593)年発行の棟札に記載されている内容によると、寺宝の「永江院山門の龍」は、総門とともに掛川城主の山内一豊より寄進されたもので、「龍」にまつわる逸話として、この龍が門前の池によく水を汲みに来るので、近所の人々はそれを恐れて周囲に金網を張り、出られないようにしたと言い伝えられていたのだニコニコそして、ここのお寺で参拝を済ませた僕は、鬼門の方角にあたる掛川城の北東に位置する古い神社で、守護神として歴代城主をはじめ、掛川藩の藩民や旅人の信仰を集めてきた「龍尾神社(たつおじんじゃ)」を目指し、東へ歩いていった走る人到着後、500円の入園料を支払って神社隣接の花庭園に入ってみると、約300本のしだれ梅が見事に咲いていて、紅白梅の甘い香りが辺り一面に広がっていたのだ桜そんな花庭園に心癒されたところで、住宅街の中を南へ下って行き、逆川沿いの道を一気に東へ歩いて行くと、
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江戸日本橋から58里目にあたる「葛川一里塚」に差し掛かった走る人ここの一里塚のすぐ脇を流れる逆川の「馬喰橋」は、かつては長さ23間(約41.8メートル)ほどの土橋だったそうで、現在は県道37号線の普通の橋に変貌していたのだ車そしてここからは、逆川沿いの道を西へ戻り、3年に1度披露される仁藤の大獅子が大切に保存されている「仁藤町大獅子保存小屋」へと向かった家「さわやかウオーキング」の開催に合わせ、特別に公開されていたここの保存小屋の中を覗いてみると、巨大な獅子頭に胴体が25メートル、重さ220キロにもなる日本一の大獅子が展示されており、その巨大さに圧倒されてしまったのだショック!次回の披露は、平成30年に開催される「掛川大祭」ということで、そのお祭りを実際に見学してみたいと思ったニコニコその後、旧オランダ東インド会社の商館長として、寛政10(1798)年に将軍家斉に謁見(えっけん)をし、長崎へ帰る途中において「東海道掛川宿」で客死したため、現在は天然寺に葬られている「ゲイスベルト・ヘンミィのお墓」に立ち寄ってみることにした目さっそく参拝してみると、墓石が当時の日本では珍しいかまぼこ型となっていて、当時のオランダ人のお墓の意匠を伝える大変素晴らしいものとなっていたのだニコニコ
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そして最後に、室町時代に駿河の守護大名である今川氏が、遠江進出を狙って家臣の朝比奈氏に命じて築城させたもので、山内一豊が城主として10年間在城し、大規模な城郭の修築を行って、城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注いできた「掛川城」へと足を運んだあし現在の「掛川城」は、平成6(1994)年に日本初の「本格木造天守閣」として復元されており、そんな天守閣の最上階からは、掛川市街地を一望することができたのだアップまた「大手門」は、天守閣に続いて平成7(1995)年に復元されたもので、大きさは間口7間(約12.7メートル)、奥行き3間(約5.4メートル)の2階建て構造となっていて、白壁に板ひさしが配置され、棟上にはシャチ瓦が飾られた勇壮な構えとなっていたキラキラさらに、掛川城の表玄関にふさわしい楼門造りの本格的な「櫓門(やぐらもん)」は、「木造日本瓦葺き入り母屋づくり」となっていて、江戸時代末期に建てられた「大手門番所」は、城内に出入りするものを監視する役人の詰所となっていたのだ家まぁ~こんな感じで、今日の7.5㌔にわたるウォーキングを満喫した僕は、東海道新幹線掛川駅に午後12時40分頃にゴールをし、こだま650号東京行きに乗って帰りました新幹線おしまいチョキ
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