東海道線蒲原駅を午前8時30分頃にスタートした僕は、すぐ近くにある「青山荘」へと向かった走る人「青山荘」は幕末から明治期にかけて活躍した田中光顕(たなかみつあき)伯爵の別荘で、和洋折衷の白亜の洋館と呼ばれており、約4万坪の土地に別邸と庭園が広がっていたのだ家今回は外観のみの見学だったが、入口にてボランティアの人が説明をしてくれ、どの参加者も一生懸命聞き入っていた耳その後、JAしみず蒲原支店で開催されていた「はっぴい祭」に立ち寄りながら、旧東海道を東へ歩いて行くと、『田子の浦 ゆうちに出でて見れば真白にぞ 不尽の高嶺に雪は降りける』の歌で知られている奈良時代初期の万葉歌人「山辺赤人(やまのべあかひと)」を祀る神社で、山辺赤人が東海道に際し、吹き上げの浜より富士山を望んでこの歌を詠み、その因縁により建立されたと伝えられている「和歌宮神社」に辿り着いたあしここの神社で手を合わせ参拝を済ませた僕は、東海道線の御殿踏切を渡り、江戸時代に徳川家康の命によって「富士川舟運(ふじかわしゅううん)」が開かれ、富士川の流れを利用して甲州からの荷物を蒲原や清水を経由して江戸へと運び、その際に利用した水路の幅が約14メートル、船溜(ふなだまり)が縦36メートル、
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